Sさんの、通夜・告別式に参列し
最後のお別れをしてきた。
葬儀は当然、学会葬だったが、
やっぱり学会葬は嫌な感じだ。
いや、故人が親しければ親しいほど
学会葬のインチキさには腹が立つ。
勿論、Sさんは学会活動家のままで亡くなったのだから
Sさんの希望で学会葬にしたのは分かっている。
遺族の方々も、俺の後輩K君以外は
学会葬で、家族を送れた事を喜んでいるだろう。
でも、俺はこんなインチキ葬儀を営む創価には腹が立って仕方ない。
学会葬で学会員が大勢葬儀に集まるのはいい。
中にはそれほど親しくもない学会員が混ざってようとそれもいい。
それは、世間の一般的な葬儀でも同じだし、
俺自身も義理がけで会ったこともない方の葬儀に参列することもある。
学会活動家が最後に共に活動してきた仲間に
見送られたいと思うのは当然だし、
遺族の方もそうした人達が見送ってくれれれば
故人喜ぶと思うのも間違っていない。
また、「友人葬」と銘打ちながら
香典を持ってこないとか
弔電のひとつもよこさないとか
世間的には「そんな友人いね~よ」とは思うが
組織からしなくていい。
とお達しもあるので、それが創価の常識ということにしておく。
「友人」ならば、祭壇に樒の1基も出すもんだがそこは許す。
因みに、今回は俺とあと二人。3人連盟でお樒をお供えしたが、
他人からの樒は俺たちの1基だけで、
むしろそっちの方が驚いた。
せめて「創価学会」としてそれくらいしろよ。と思った。
では、何がインチキで腹が立ちのか?というと
ひとつは、池田大作先生からの長文の弔電。
そこには、「Sさんの訃報に接し懇ろにお題目を送った」とある。
ウソこけ。
大作先生が、お題目など送れるような状態であるわけね~だろ。
5年以上も会員の前に姿を現せないのが何よりの証拠だろ。
活動家は、「先生はお元気。具合の悪いという証拠はあるのか」って言うだろうが
それをいうなら、まず「元気」だって証拠を見せてみろ。
聖教新聞に写真が載ってる?
バカ言うなっての。
今時そんなもんが証拠になるわけね~だろ。
ただでさえ、「芸者写真」を捏造した前科のある
聖教新聞社の発表なんて信用できないだろ。
もしも、ホントは大作先生が「お題目を送っていなかったら」
組織ぐるみで故人と遺族を騙しているということだ。
それは、創価学会の功労者に対しする冒涜以外の何者でもない。
そしてもひとつの最大のインチキ・イカサマは
例の儀典長による読経である。
仏法の「ブ」の字も分かっていない
方便自我偈の読経して即身成仏しただと?
そんな法理が大聖人仏法のどこにあるんだ?
死骨成仏・即身成仏の法理ってのは、
◆法華を悟れる智者死骨を供養せば生身即法身是を即身といふ、さりぬる魂を取り返して死骨に入れて彼の魂を変えて仏意と成す成仏是なり、即身の二字は色法成仏の二字は心法死人の色心を変えて無始の妙境妙智と成す是れ則ち即身成仏なり(木絵二像開眼之事)
と御書にあるように、「法華を悟れる智者」が供養する。というのが大前提なんだよ。
創価のヘタレ壮年部のどこが「法華を悟れる智者」なんだ。
「法華を悟れる智者」とは大聖人のことに他ならないが
その大聖人。つまり「大御本尊」を信受しない奴らが
「法華を悟れる智者」であるわけね~だろ。
そもそも凡夫の俺らが法華を悟れる道理はないが、
最低限「大御本尊」を信じれば智者の一分にはなれる。
我ら凡夫は悟る代わりに信じるのだから。
それが、それを捨てちゃってる人間が導師をして
インチキ読経して故人が即身成仏できる道理がどこにあるんだよ。
しかも、今回は儀典長として導師をしたのが、
俺の男子部時代に他支部の副部長だった人間。
男子部時代は「仕事が忙しい」といって
副部長らしいことを何一つしなかったヤツだ。
当然教学の方もサッパリで
行学ともに中途半端な信心しかしてこなかった人間だ。
こんなヤツが「法華を悟っている」わけね~だろ。
こんなヤツに導師なんてされた日にゃ、
◆人死すれば魂去り其の身に鬼神入り替つて子孫を亡ぼす(木絵二像開眼之事)
ことにもなりかねない。
本当に勘弁である。
俺が参列しそうな人の葬儀の時は
お願いだから導師をを断ってくれよ。
俺の後輩も今回の儀典長の男子部時代のヘタレぶりは知っているので
「はぁ~やれやれ」って気持ちだと言っていた。
なので、「こいつが導師じゃダメだから遺族だけできちんと勤行しなおすように」
と通夜の晩にK君とその兄貴に言っておいた。
次の朝は家族全員でご遺体の前で五座の勤行をしたとのことだったのでホッとした。
このような、インチキ・イカサマな葬儀を執り行ってるに
「仏教の本義に基づいた友人葬」などというのは
まさに、大嘘つきこの上ないのだ。
そもそも、創価自体が創価仏を詐称しているイカサマ団体である。
そんなイカサマ団体に「仏教の本義」なんて言われたくない。
「友人葬」は否定しないが
せめて、大作センセのニセ弔電と
謗法壮年部の導師によるインチキ読経はやめてくれ。
それが、故人とご遺族に対する誠意というものだ。