創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

会館で葬儀をしない事に関する学会員の陳腐ないいわけ。

前回の会館で葬儀をしないことに対する俺のブログに反応した学会員のブログがアップされた。

題して「なぜ創価学会の会館で葬儀がおこなわれないか」というブログで

「一体どんな理由を述べるのか?」興味がわいたので読んでみた。

う~ん・・・申し訳ない。あまりに陳腐ないいわけなので少し笑っちゃいました。

その理由?いいわけ?が

【簡単な話である。 創価学会の会館は建設の際、斎場としての手続きを経ていないからだ。】

だそうで。

そもそも、まず論点がずれている。

他人のブログを「ウオッチ」してブログを書いている人なのに

その割には、読解力が低いというかなんというか・・

人の話をちゃんと聞いてる?って感じ。

俺が書いたのは、一般の人が「創価の会館で葬儀ができないのはおかしい」

と言ったことに関して、「その通り」と主張したのである。

それに対して【斎場としての手続きを経ていない】

なんてのは全く見当違いで答えにも反論にも言い訳にすらなっていない。

俺がいっているのその以前の話だし、そんな次元の話ではない。

では、なぜ斎場としの手続きをしないのか?

葬儀も出せない会館を会員の金で建設するのはおかしいだろ

と言っているのである。

会員の浄財で建設した会館で葬儀もできない。

創価の功労者の故人に対して会館も使わせないのか。

友人葬だの会館は現代の寺院だのって言ってるのはウソか?。

そういうことに対しておかしくはないのか?

一般人だって「おかしい」と思っているのに

創価はどう思っているんだ?

と言ってるのがわからないのか、

はたまたわからないふりをして惚けているのかわからないが、

そのような趣旨に対し「建設の際に手続きしていない」なんていうんじゃ

やっぱりこりゃ相変わらず話が全く噛み合わない。

相手が学会活動家なら「なるほど建築の時に斎場の手続きしてないのね」って思うだろうが

そんな陳腐な言い訳が通用するのは創価村の中だけだ。

続けて、

【通常、葬儀を執り行うための施設を「斎場」という。斎場というと火葬場を想像する方も思うが

「斎場」とは“業として葬儀を行うことを主たる目的とした集会施設” の事を指す。

また“業として”というのは聞き慣れないだろうが有償無償は関係がない。

依頼者からの委託をうけて「葬儀」事業をおこなうところが斎場だ。】

と言ってるのだが、確かに納骨・火葬を行わない施設は集会場の扱いである。

集会場である以上、都計法・建築基準法の範疇で、

用途地域等の制限を除けば違法建築でない限り

市街地のどこでも建築確認はおりる。

そして「集会場」で火葬等を行わない葬儀を出すことは違法ではない。

違法ならば、地域の自治会館で葬儀を出すのはすべて違法である。

そもそも、通夜・告別において「どこそこでやってはいけない」なんていう法律はない。

よほど公序良俗に反さない限り、

公民館でもホテルでももちろん自宅でも通夜・葬儀は執り行える。

まぁ、創価の会館で葬儀を出すのは

公序良俗に違反する。っていうのなら納得してあげるが(笑)

もしも通夜・告別式は定められた場所でやらなければならない。

という法律があるなら俺は知らないのでぜひどの法律なのか教えてほしい。

また、ご丁寧に相模原市の条例をリンクしているが

それはあくまでも条例であり、しかも建築前の話である。

既存で建っている施設(会館)において

通夜・告別式を行うことに対し違法性などどこにもないのだ。

それに、元々創価の会館というのは宗教施設である。

宗教施設に対し建築許可をおろすときに

「通夜・告別式はやらないでください」と行政がいうわけね~だろ(笑)

宗教施設である以上、通夜・告別式などの

儀式が行われることは常識的に考えて当然なんだよ。

それこそ、宗教施設が宗教施設たる所以だろ。

宗教施設の建築確認をおろしたあとで

「葬儀をやるとは思っていませんでした」なんてヤツいるか?

さすがに無宗教の人だって普通の人間なら

宗教施設であるなら葬儀の一つもやるのだろう。と思うさ。

つまり民間の斎場と違い宗教施設の場合は

建築前に斎場としての届け出なんていらない。

宗教施設で確認申請しているのだから、

葬儀が行われることがあるというのは、

個別で届け出るまでもなく大前提なんだよ。

むしろ、宗教に関係ない選挙の会合をするなら

そっちを事前に届け出ろ。って話だ。

宗教施設なのに政治活動をするんだから

そっちの方がよほど世間からも周辺住民からも理解されないだろう。

宗教法人の施設だから固都税も免除されているのに

葬儀もひとつも出せないほうがおかしい話なんだ。

学会が寄進した正宗寺院は「斎場」としての届け出をしたのか?

してないとしたら、日蓮正宗を斎場の届を出してないのに葬儀をやるのは違法だと告訴しろよ。

創価新報で「斎場の届を出さないで葬儀を行う反社会的な宗門」とかキャンペーンしてみろよ。(笑)

そんなことできるはずないよな。

違法じゃないんだから。

違法どころか宗教施設でその信者が葬儀を行うはむしろ当然の話だ。

世間一般の人はそう思うから

「なんのための会館なの?」って言うんだよ。

そんな当たり前のことすら、創価脳の方々にはわからないらしい(笑)

そして、最後に

【斎場でなくとも宗教施設を建設する場合には、地域住民とのトラブルにならないよう事前に建設地の

自治体(自治会)との交渉が欠かせないのだが、どうも件のアンチ学会のブログ主さんは、そういった一般的

な常識も持ち合わせていおられないようだし、調べるつもりもなさそうだ。】

と締めくくっているが、

現在ある会館はそういうことをクリアにしているから建築できているわけだ。

その宗教施設で葬儀を行うことになんの障害もない。

お寺で葬儀をやっていて、「葬式するのはヤメロ」と

怒鳴りこんでくる周辺住民なんてそうそういない。

(正宗寺院にイカガラセで行く活動家はいるかもしれないが)

いたとしたら、最初の段階から地域住民の反対を押し切って寺を建ててしまったからだろう。

もし、会館で葬儀をして地域住民が怒鳴り込んできたら

それは、創価が強硬にその場所に会館を建ててしまったか、

あるいはその地域の学会員たちの素行がよほど悪いかだろう。

つまりは、その地域では創価学会など認められていない。ということだ。

素直に「私たち創価は世間で認めれられてないので会館で葬儀はできません」

といった説明のほうが、なんぼかマシだ。

いずれにせよ、建築に関する法律と葬儀等に関する法律をごちゃまぜにして、

あたかも会館で葬儀ができないのは法律で決まっているから。

とのごとく読者に誤読させ、逆に批判する手法は

相も変わらず、創価活動家の陳腐で欺瞞に満ちたやり方である。

もし、こうしたことを確信犯でなく、本気で主張しているなら

申し訳ないが少し〇〇〇が悪すぎる(笑)

人のブログをウオッチするのは構わないが、この程度では・・・

まずは自分自身をウオッチした方がいいと思う。

「一般的な常識」?笑っちゃうよ。

他人に常識を説く前に、ご自分の常識が

いかに一般的な常識から外れているか気が付いたほうがいい。

創価の常識など世間の非常識。ってことに気が付けないのがお気の毒。

まぁ、創価の活動家は、コト創価批判のことになると

一般常識も理屈もへったくれもないからなぁ。

創価村の条例を持ち出して、

村民でもない人々にその条例を押し付け、

君たちは間違っている。非常識だ。

というくらいしか反論できないのだろうが

毎回毎回、誰も彼も、どんな話題であっても

言い訳・反論が陳腐で欺瞞に満ちているんだよね。

創価学会の会館は建設の際、斎場としての手続きを経ていないからだ。】

って・・・・本気で言ってるなら、いろいろ心配です。

まぁ、今回は単なる冗談と受け止め、笑っておきます(笑)

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