御みやづかいを法華経とをぼしめせ、「一切世間の冶生産業は皆実相と相違背せず」とは此れなり
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今月は「檀越某御返事」だね。一応四条金吾に宛てたお手紙という説が有力の御書。
とても短い御書で、前半は大聖人自身の不退の決意が述べられていて
今回の部分はそのあとのご教示の部分。
男子部は結構な頻度で使われる御文だね。
なにせ、男子部活動かといえば、
「信心は一人前・仕事は半人前」な~って言って
任務のために仕事を休む、SやG。
会合が夜中までで昼間の仕事がだるくて仕方ない。
会社では役立たずだけど創価の中では幹部。
そんな男子部さんは今でも多いのかな?
それとも、今では、活動の方もソコソコだから大丈夫なのかな?
「信心も仕事も半人前」ってところかね。
まぁ、仕事してるだけでもマシな方で
中には、定職も持たないで学会活動してたヤツも結構いたな。
さて、この部分は「信心即生活」「社会即仏法」の法理。
多くの日本人は宗教とは、修行や癒しであって
日常生活からかけ離れたものだと思っているのだろうが
そうではなく日常生活そのものが信心であり、日常生活から離れた仏法はないということ。
「一切世間の冶生産業は皆実相と相違背せず」とは玄義の文だと思ったけど
信心してる人にわかるように言うと「諸法実相」ということだね。
◆実相と云うは妙法蓮華経の異名なり諸法は妙法蓮華経と云う事なり(諸法実相抄)
とあるように、この世界の森羅万象は全て妙法蓮華経の現れということだね。
で、この妙蓮華経を単に法則と捉え法本尊のみ立てる方もいるだろうが
◆法界は釈迦如来の御身に非ずと云う事なし(草木成仏口決)
◆十界の外に仏無し仏の外に十界無くして依正不二なり身土不二なり一仏の身体なるを以て寂光土と云う(三世諸仏総勘文教相廃立)
とあるように、法界とはご本仏の「御身」つまり色心二法のことであり
具体的には、大聖人の色心二法である大御本尊に法界を具しているわけ
つまり、仕事を含め森羅万象の全ては、
大御本尊の法力・仏力の力用ってこと。
だから、今回の御文は「仕事も信心修行と思って取り組みなさい」とい解釈は二次的なもので
むしろ「信心によって仕事も人生そのものも決まってしまう」というのが本筋だと思っている。
◆仏法は体のごとし世間はかげのごとし体曲れば影ななめなり(諸経と法華経と難易の事)
とあるように、ご本仏の仏力・法力を正しく用いるのは、自身の信力・行力である。
正しい信力・行力があれば幸福になれるといことであり
逆に、大御本尊を捨てた学会員が、
たとえ仕事でどれだけ努力しようと最終的には報われない。と結果になる。
法界はご本仏の色心二法といっても、ご本仏もまた十界互具だから
功徳ばかりだしてくれるわけじゃないんだよ。
だからこそ、大御本尊に信を取らなければいけないとつくづく思う。
また、社会即仏法を実際の行動に顕すと
◆智者とは世間の法より外に仏法を行ず、世間の治世の法を能く能く心へて候を智者とは申すなり(減劫御書)
とあるように、国法はもとより
世間の一般的な常識や慣例を違えて仏法を行じない。といことだろう。
勿論、謗法に対しては断固と戦うべきだが、
それ以外のことに対しては世間の中で仏法を行じるべきだろう。
ここ数日「会館葬」について色々コメントもらったが
創価擁護の意見で多いのは「寺院とは本来葬儀の場所ではない」というものだ。
寺院の本理の姿はそうかもしれないが
現代における宗教施設とは世間一般においては
葬儀等の仏事を行う場所でもある。という認識だ。
であるならば、そうした世間一般の認識を無視し
「そもそも論」を主張するのは、世間の法の外で仏法を行じている愚者だと感じる。
他にも、「創価の常識は世間の非常識」と思われることは
書けばキリがないほどある。
「それでも別に構わない。俺たちはコレでいいんだ」と
活動家さんたち思っているのなら創価の発展はないだろう。
てか、もう日本国内では全く増えてないのだから
日本国内では既に広宣流布など不可能ということが数字でハッキリと現れている。
つまりは、創価は世間の法の外でやりたい放題しすぎたってこと。
それがご本仏が下した実相だろうということだ。