創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

母の葬儀が終わる。初めての日蓮正宗での葬儀でした。

先週亡くなった母の葬儀が終わりました。一昨日に通夜、昨日告別式を終え荼毘に付した後で菩提寺で初七日法要を営み一区切りつきました。人並みの寂しや悲しみもありますがそれ以上に母に対する感謝の思いの方が大きいです。臨終の相はまるで楽しい夢でもみて笑っているかの様な穏やかな顔で今頃は大聖人や諸仏と一緒にいるのかな?と思って見ていました。今回の母の死は父の時と少し気持ちが違いました。私がこの信仰してから亡くなった身内は父・祖母・叔父といますがその時は唱題の時に成仏を祈っていましたが、今回は母の成仏を全く祈っていません。それは成仏しているのは当たり前で少しも心配がないからです。ただ御本尊に「母がそちらに行きましたのでよろしくお願いします」とお願いするだけです。父・祖母・叔父は創価員のまま亡くなりましたが母は強盛な信心とは言わないまでも晩年に勧誡を受け日顕上人の御本尊を下付いただだきお寺にも参詣し戒壇大御本尊様に2度お目通りできました。また昨年2月の危篤状態から御本仏のお力で1年教師寿命をし彼女の念願だった父の回忌法要もすることができて良かった。唯一の心残りは昨年退院後に体力が戻らず母と一緒に御登山できなかったことですがそれでも数年前に母を日蓮正宗に戻せたことは私の今世での一番の親孝行だと思っています。そしてそのお陰で今回は初めて日蓮正宗で葬儀を執り行うことができました。私の一族で最初の日蓮正宗での葬儀です。祖母・父・叔父は学会葬でしたからその違いをまざまざと感じました。御住職には枕経から始まり炉前まで読経・唱題をしていただき本当に有難いです。また今回初めて『導師御本尊』を目にしましたし御住職による引導文も初めて拝聴しました。創価では『導師本尊』や『引導』にいちゃもん付けてますが数年前の母の兄(叔父)の学会葬とは雲泥の差です。読経の声からしてど素人の創価壮年部と修行を積んだ御僧侶では全く違います。通夜に参列してくれた友人の学会員も(その友人は数年前に父親の葬儀を学会葬でしています)、学会葬よりも正宗の葬儀の方がいいと素直に認めていました。唯一、学会葬が勝っているのは御供養がないから金がかからないというだけですが、葬儀にすら金の話を持ち出すところが金満創価らしいですね。因みに生前、母の所によく来ていて仲が良かったように見えた近所の学会員夫妻は今回の葬儀にはお見えになりませんでした。死んだら票にすらなりませんから用無しということでしょうかね。私としてはその学会員夫婦が来ないのは分かっていたし来なく良かったというのが本音です。いずれにしても母を妙法によって霊鷲山へ旅立たせることができて良かったと安堵しています。まだしばらくは遺品整理等いろいろとやらなければならいことがありますがまずはホッと一息ついてます。また今回の母の死で思ったのは法華講の方で親御さんが未入信の人は折伏して親御さんが元気なうちに正法に帰依できるように頑張って欲しいですね。そうじゃないと後悔することになるかも知れませんから。特に親御さんが学会員や顕正会員の人は尚更です。

 

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