創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

坂巻さんのコメントへ。(件の方の件)

坂巻さんコメントありがとうございます。

このブログへの批判ブログを書かれている方の件。

ブログの抜粋をいただきありがとうございます。

正直言ってあまり興味がないので私は読んでませんが

一応、抜粋していただいた部分を読みました。

「あ~あ、またこれかぁ(笑)」という感想ですね。

坂巻さんが折角引用してくれ、

また私の考えを知りたいと言われましたので

少しだけ所感を書きます。

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このような論を展開する際には、以下のような手続きを踏むべきである。

●用いる史料の妥当性の検討する

●用いる史料の偽書説が濃い場合には、偽書の根拠への反論を行う

日蓮以外の人物のテクストを用いることの意義の説明/相対化

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件の方の主張する所は上記部分だとおもいます。

では所感を書かせてもらいます。

×用いる史料の偽書説が濃い場合には、偽書の根拠への反論を行う

まず、偽書説を言うのなら「偽書の根拠への反論」を求める前に

偽書である事の証明」が先でしょう。

例えば、「御義口伝」。

いつ・だれが・どこで書いたのか?

それを証明しないでおいて反論も何もないのです。

偽書説を言いだす人間は全てこんな感じです。

とっとと、「御義口伝」を書いた人と

書いた年月日を教えて欲しいものです(笑)

それも出来ない癖に、相手に反論を求めるなんてのは

議論にさえなりません。

「どこでだれがいつ御義口伝を書いたのか」

それを聞いてください。

偽書の疑いが濃厚」なんていう逃げ口上は

散々色々な人から聞いたので、そう言う答えはいりません。

×本来言うまでもないのだが「御義口伝」は偽書説がほぼ通説となっており

言うまでもないがって、何が言うまでもないのでしょう。

誰の通説でしょうか(笑)

まさか、現代の人師・論師の通説ってんじゃ話になりません。

人師・論師の話しやそうした通説を真実だという思い込み。

「池田先生の言ってる事は絶対よ」とか

創価は世界中から支持されているのだから正しいんだ」と

叫んでいる創価の幹部活動家と全く同じ脳みそです。

このような主張は、

本人の、「偽書であって欲しい」という妄想であり

願望以外の何物でもありません。

そうした個人的願望を真実であるという前提の上での

ロジックですから取るに足りません。

個人的見解を御高説したい気持ちはわかりますが、

私には何の興味もありません。

×用いる史料の妥当性の検討する

だれがどのように妥当性を判断するのですか?

まさか、立正大学教授の

身延の僧侶ですか?(笑)

×日蓮以外の人物のテクストを用いることの意義の説明/相対化

これに至っては噴飯もので、

大聖人以外の言葉やテキストを用いているのは

むしろ偽書論を主張している側、つまり件の方でしょう。

日蓮大聖人が「御義口伝」を偽書といったのですか?

大聖人以外の人が「偽書だ」といってるんですよね?

その人達の言葉やテキストを用いる事の意義の説明はしてるのですか?

おそらく書かれていないと想像します。

件の方は上記を全て省略していますが、

まずは自分自身が省略せずに書いたらどうでしょうか?

このお方は、

結局、ご自身の専横な信念に基づいた社会性/公共性の欠片もない主張を、

あたかも智者の正統的言説であるがごとく吹聴している。

しかしその内実は、自慰行為的なお説教と何ら変わる事無い。

言葉を選ばずに言えば、「糞」である。

と思います(笑)

牡丹さんもコメントしてくれましたが

自分の言ってる事が、

ぜ~んぶ自分に当てはまりますね。

このような人は、人を批判することはできても

まともに話す事は無理でしょう。

相手にばかり色々要求するくせに、

自分自身は要求した事をしない。

ああ、これも創価体質の大きな特徴でした(笑)

坂巻さんも件の方に説明を求めてみたらどうでしょう?

多分何一つ答える事は出来ないと思います。

そもそも、偽書だなんだって主張するなら

全ての仏典は、釈迦の筆ではない。

それを何故、大聖人は引用されているでしょう。

それが分からないのですよ。

コノ類のかたは。

法門と法体の違いも分からない。

創価の幹部活動家にも多いのですね。

それが創価をダメにしている原因のひとつです。

まぁ、大聖人仏法の法義の初門すら理解できないうえに

かといって大御本尊に対する信もない。

このような方々は、

せいぜい「偽書論」とか

「大御本尊否定論」とかを言う以外に無いのでしょうね。

仏説で無く、人師論師のどこぞの学者さんの言っている事を

リフレインするだけで、いまさら物珍しくもない部類です。

そもそも、このお方は「法体」とは何である。と言ってるのですか?

おそらく「法体とは何か」なんて事に言及していないと思います。

要は、「法体とは何か」なんて分からなし考えた事もないのです。

このようなロジックの人に法体が示せる筈が無いのです。

何故なら、仏説に依らない人師・論師の学説で導いた法体では

仏法でなく凡夫法になってしまうからです。

それをやろうとしているのが、創価幹部です。

そのうえで、この方の言説が、

「より高度かつ多様」なんでしょうか。

(てか、ご自身を高度で多様な思考をしていると思ってるのでしょうか)

私には到底その様には思えません。

というのも、この方の主張は私の知っている

御書もマトモに読んだこともない身延信者と全く同じだからです

まぁ、大聖人仏法を信仰しているわけじゃない

門外漢の主張ですから、稚拙なのもいたしかたないですが

件の方の主張の一部を読ませていただいて

特に目新しい話もありませんし、

興味のわく内容でもなにので

改めて「どうでもいい」というのが感想です。

最後に、

坂巻さんに限らず、このブログの記事を読んで

納得する。もしないも、

支持する。もしないも

それは読者の方一人一人が決める事です。

納得してもらいたくて書いてるでもないし

支持されたくて書いているワケでもありません。

偽書説」?それはそれで大いに結構。

「大本尊否定」?そうしたい人はそれでもいいでしょう。

それは各人が決めてくださればいいのです。

PS.件の批判ブログの内容にていて言及するのはこれが最初で最後になると思います。

正直、批判内容がどうでもいい内容だし(ぶっちゃけると低レベル)

批判をしてはいけない。ってのもオカシナ話なので、放置します(笑)

(質問があればお答えしますが、それ以外は書きません)

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