おっさんさん。まずはコメントありがとうございます。
リコメ書こうと思いましたが
少し長くなるのと
久々のバリ創価さんのコメントなので
折角だから本文記事にさせてもらいます。
まずは、おっさんさんが創価が大好きなこと、
そしてこのブログを読んでムカつていること
よ~く分かります。
あっ、別にだからどうこうはないんですよ。
ここは、創価を熱く語ってもらって全然構わないブログですので。
ただできれば感情論ばかりでなく、
知ってる範囲でいいので、大聖人の教学のことも書いてくれると嬉しいです。
まぁ、その上でおっさんの意見を読ませてもらうと
なんだか私には理解できません。
まず、冒頭で
>自分勝手に拝んだっていーさ。
>誰もダメて言ってないしー!
と言ってるにも拘ず、中程では
>ここまで、他人に信心の道作ってもらってさー、
>他人なんか知りませんわぁ(´・ω・`)>
>自分がよかったらぁーいーんでぇーす(^_^)v
>とかー、ありえないじゃーん ヾ(○´Д`○)ノ
って・・一体どっちなんですかねぇ?さっぱりわかりません。
それはさて置き、私はおっさんさんに
非常に、いや~な創価幹部臭さを感じます。
あなたは、
>たーだの、甘えだーよ。 てか、しんどい道をいこーよ!
>でさー、ちゃーんと、 一念さだめたほーがいいと思います。
>中途半端にしてないでさー。
この言葉をこ本当に悩み苦しんでいる会員さんに言えますか?
自分のことばかり祈ってるのはお前の甘えだ。
苦しい道を歩め。
お前の苦しみはお前の甘ったれた信心の結果だ。
そうリアルに悩んでいる会員さんに言うんですか?
どうですか?
それとも、ネットで知らない相手だけにしか言えないんですか?
どっちです?
仮に、貴方がリアルでも同じこと言ってたとして
言われた相手はそれで救われるとでも思ってますか?
それで言われた相手の心が軽くなるとでも思っていますか?
昔、ある部員さんが悩みがあって幹部に相談したら
いまのあなたの書いたことと同じことを言われました。
その後、彼は幹部不信になり組織から離れました。
その彼に相談され時、私は
「自分のことだけ祈ればいいんだよ」と言いました。
彼のその後は分かりませんが
私には「お前の信心が甘い。足りない」とは言えませんでしたよ。
だって、そんな指導は指導じゃない。
まさに「自分のことしか考えない」自己満足です。
「俺はこうやってやってきたんだ。お前もそうしろ」
で、「お前もそうしろとは言ってない」とあとで言い訳するんです。
それが多いんですよ。創価幹部は。
相手のことを知りもしないで適当なことをいう。
ご自分でそう思いませんか?
>甘ったれた信心してると認めてるけど、
>それが、これまで拝んできた管理人さんの結果じゃん
あなたは、私の何を知っていてこのようなことを書いたのでしょう?
ただの罵詈雑言ですか?誹謗中傷ですか?
私も同じように言うならば
あなたの信心など信心とは呼べないシロモノです。
あたなたがどんな人生を歩んできたか知りませんが
そんなモノ他人には取るに足りない人生ですよ。
どうですか?
あなたを知らない私にこんなこと言われたくないでしょう?
他人に言われて嫌なことは自分も言わないことです。
そういうここをセンセに教わりませんでしか?
>甘えたことをへーきで言えちゃう大人になってることに違和感ないんですか
自分の人生観を物事や他人に対する尺度にする。
そんな嫌なおっさんになっている自覚はないんですか?
よく職場にいますよね?
俺の若い頃はなぁ~。という例のアレです。
>文証だせ、文証だせと、おっしゃるが、もうヒドイ現証でてるじゃん。
どんなヒドイ現証が誰に出ているのですか?
具体的に示してもらえませんか?
出せないならだたの悪口ですよ。
>良い悪いの話しじゃないよ。
謗法の是非を話してる訳でもないよ
私は、大聖人仏法上の善悪の話をしています。
好き嫌いの話はしてません。
上記に書いたように、会員さんに対する指導とは
【自分の人生観】を語ることではありません。
大聖人の仏法をもって指導するのです。
いまの創価活動家ではできませんか?
文証は出せませんか?
それでは、会員さんとコンセンサスはとれません。
悩んでいる会員さんは、あなたの苦労話や武勇伝に興味はありません。
創価や池田センセにも興味がありません。
それに興味がなければ祈りは叶いませんか?
それに興味がなけりゃ信心が甘いのですか?
悩みを抱えた会員さんが興味があるのは
どう祈れば願いが叶うのか?
そして、それを文証・理証で納得したいのです。
それをするのが指導です。
少なくても私が幹部の時はそうしてきました。
「おれの苦労から見れば、お前の悩みなんてたいしたことない」
そんな心根では、刺さる指導はできませんよ。
私の体験から言えば、
刺さる指導とはやはり御書を通じた指導なのです。
悩んでいる人間に、人師・論師の言葉は不要です。
>まず同志や師匠を馬鹿にするのはやめよーよ。
同志とは、同心であり、同心の心とは、信心のこと。
弘安二年の大御本尊に対する信心が故に
異体同心というのである。と戸田先生は言ってますよ。
ですから、大御本尊を信受しない人は同志とは言えません。
(少なくとも戸田先生とは同心じゃありません)
また師匠とは、主・師・親三徳具備の大聖人です。
それと私は創価幹部・活動家をバカにはしてませんよ
真剣に破折しているだけです。
それと、皆が励まし合って信心できるようになったのは
大御本尊の仏力・法力ゆえです。
まさか、身延の本尊でも
同じように世界に流布したとはいいませんよね。
その大御本尊を蔑ろにして、一体何に感謝するのでしょう。
追伸
>自分(一念)
>甘ったれた根性(魔)
これの文証は?
◆文証無き者は悉く是れ邪偽彼の外道に同じ(真言見聞)
◆経文に明ならんを用いよ文証無からんをば捨てよとなり(聖愚問答抄上)
おっさんさん、貴方があなたの信念で
信心することは何の問題もありません。
また、私はおっさんさんがどのような信心をしても
何の文句もありません。
文証なんてなくても
自分の信じるところを進めばいいのです。
ただ、他人に指導したり
他人を批判するときは
大聖人の仏法を基準に話さなければ
仏法者とは呼べませんし
誰も納得しません。
それで納得するのは
創価の活動家同士だけです。
それでは、広宣流布はできません。
いまの、おっさんの話は
そうしたダメ幹部の匂いが漂っています。
それでは折角の素晴らしい体験(私は知りませんが)が勿体無いですよ。
創価教学でなく、大聖人の仏法を学んでくださることを期待します。
最後に
またいつでもコメントくださいね。
今度は、大聖人の仏法について語れると嬉しいですね。