創価ダメだしブログ

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慈折広布の御本尊

退転壮年部おじさんのコメントで

「慈折広布の御本尊」について書かれたあったので一言。

「慈折広布の御本尊」とは創価本部の大誓堂にご安置されている

創価学会常住の御本尊。

学会本部では、この慈折広布の御本尊に

お目通りすると功徳があるっていう触れ込みだが

「どこか特別な場所に行く必要ない」と言って

宗門の登山を批判しているその口で

「大誓堂」を特別な場所にしたててる

相変わらずの二枚舌ぶりは置いといて

この御本尊を書写し下付したのは

ご存知の通り、日昇上人だ。

そしてどの御本尊を書写したかといえば

当然の如く、戒壇大御本尊でる。

これまた、ご存知かもしれないが

その日昇上人のご指南を、確認のために引用する。

日蓮大聖人様は弘安二年十月十二日に本門の本尊を建立せられ、この本尊を一器の水を一器に移すように日蓮、日興、日目と付属せられ不肖日昇までに伝えられ、丑寅の勤行怠慢なく今日まで伝えられたのであります。本門の戒壇の本尊こそ富士大石寺にまします三大秘法の御本尊であります。(聖教新聞 昭和27年)

■久遠本仏たる宗祖日蓮大聖人は南無妙法蓮華経をお唱へ出された年から二十七年即ち弘安二年に出世の御本懐たる本門戒壇の大御本尊を一切衆生に総与遊ばされたのであります。 (大白蓮華 昭和二七年)

戒壇の大御本尊の御内証を、帯し奉って不肖日昇六四世の法主として、御本尊様に信仰をそめておしたため申しあげている御本尊でございまする。(聖教新聞 昭和30年)

■夫れ戒壇の本尊は宗祖日蓮大聖人の本懐、末法衆生の帰命の法体、一宗依止の当体なり。宗祖日蓮大聖人弘安二年十月十二日之れを建立して、血脈付法の二祖日興上人に身に当て給わるところなり。 (大日蓮 昭和30年)

このように、学会の大誓堂にご安置されいる

慈折広布の御本尊とは

日昇上人が、唯授一人血脈により、

弘安二年の本門戒壇大御本尊の内証を書写し

創価学会にお下げ渡しした御本尊なのだ。

しかるに、創価

その唯授一人の血脈相承を否定し

戒壇大御本尊を信仰の対象から除外した。

それはつまり、学会常住の

慈折広布の御本尊の根本を否定した。

ということに他ならない。

そんな、学会員が

大誓堂などという邪教チックなネーミングの場所に行き

慈折広布の御本尊に祈ったところで何の意味もない。

◆本師既に曲れり末葉豈直ならんや源濁れば流清からず等是れ之を謂うか(太田入道殿御返事)

根本を否定しておいて、慈折広布の御本尊も何もなのである。

いやむしろ、正宗の根幹を否定したのあれば

速やかに、慈折広布の御本尊を正宗に返納すべきなのである。

その昔、顕正会が自会の本尊がまだない時代に

創価にダミーで入会し、本尊をもらうと退会する。

あるいは創価法華講の未活動家の家に行き

本尊を持って帰って自分達でつかう。

という本尊泥棒をしていたことを思い出す。

創価の大誓堂の慈折広布の御本尊は

正宗を騙して盗んだ本尊。

顕正会のお株を奪う手口の

本尊泥棒とは創価のことだと思うわけだ。

そしてそんなに重要な慈折広布の御本尊を所持しているのに

なぜが会員に渡すのは「日寛上人」の本尊だ。

慈折広布の御本尊をコピーすればいいんじゃね?

学会常住の本尊の写じゃなく

なんで、淨圓寺の本尊のコピーなわけ?

いかに、創価が本尊なんてどうでもいい。って思っているかよくわかる。

こんな滅茶苦茶・支離滅裂な本尊義・本尊観

これでいいの?

どうなの?学会幹部・活動家さん。

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