創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

純粋な信心

「純粋な信心をしている学会員を馬鹿にしている」

創価の活動家に言われることがある

また、昔ある幹部に

「指導されたことを素直に聞ける純真な信心が大切だ」

と指導されたことがある。

俺のこのブログをもしも創価活動家さんが読んでいたら

「そうだ。そうだ。オマエは傲慢だ」と絶対思うと思うが

正直言って俺は、「純真な信心をしている学会員」を

馬鹿にしたことは一度もないし

そんな気持ちになったことも、ただの一度もない。

俺が、言いたいのは

純真な信心=正しい信心

ではない。ということだ。

およそ、どんな宗教の信者も

その宗教に対して皆「純真な信仰心」があるものだ。

不純な信仰心。

そんなものは成り立たないだろう。

では、純真な信仰心があれば

総てそれは正しいのか?

それは違うよね。

特に、大聖人仏法においては

宗教の、正邪・浅深を説き

唯一、最も正しき法門を説き

法体を顕しているのだから。

純真な信仰心自体は尊いかもしれないが

その信仰心に基づく言動が正しいとは限らない

いや、むしろ正しくない方が多い。

例えばイスラム国で自爆テロを実行する人達。

自分の命を捨て、

他人の命を奪ってまでその信仰を貫く。

まさに不惜身命。

ある意味ソレって池田センセよりも凄いことだ。

この、イスラム国の純真な信仰者を

尊い」「偉い」と思うか?

思うのだったら、もう何も言うことないが

俺は、そうは思えない。

ある意味犠牲者で可愛そうだと思うが

尊い」とはどうしても思えない。

俺は創価の純真な活動家に思うことは

イスラム国で自爆テロを実行する信者に対する思いと同じだ。

創価はテロなんてしない。人など殺さない。」

そう創価活動家は反論するだろうが

確かに人は現実には殺さないが

俺からみるとそれ以上酷いことをしているように見える

なぜなら、人々を無間地獄に落とす活動をしているからだ。

◆悪象等は唯能く身を壊りて心を破ること能わず悪知識は二倶に壊るが故に乃至悪象の為に殺されては三趣に至らず悪友の為に殺されては必ず三趣に至らん」文 此文の心を章安大師宣べて云く「諸の悪象等は但是れ悪縁にして人に悪心を生ぜしむる事能わず悪知識は甘談詐媚巧言令色もて人を牽いて悪を作さしむ悪を作すを以ての故に人の善心を破る之を名づけて殺と為す即ち地獄に堕す」(唱法華題目抄)

例えば、不幸にもテロに遭遇して命を落としても三趣に堕す事はない。

ところが、創価活動家(悪友)に創価の邪義に染められてしまえば必ず三趣に至る。

イスラム国のテロとは比べ物にならないくらい

創価のテロは恐ろしい。

そうしたテロ行為をするのは「純真な信者」なのだ。

純粋であればあるほどだ。

そして、そうした純粋な信者にテロ行為をさせるのは

常に「指導者」と言われる人間なのである。

イスラム国しかり、オウムしかり、

「指導されたことに素直に従うのが大切」などというのは

指導者が自分の都合の良い信者を育成すための詭弁に過ぎない。

だから俺は「純粋な信心をする学会員さん」を馬鹿にしたkとなど一度もない。

むしろその逆で畏怖の念すら覚える。

そして、その純真さを正しいベクトルに向けと欲しいと。

純真に教学を学び

純真に大御本尊を信じた時に

純真な信心=正しい信心

になる。

純粋な新聞啓蒙

純真な選挙活動

そんなものは「信心」じゃない。

それは純真な学会活動だけであって

そんなことをしたところで「尊く」もなんともない。

むしろすればするほど害毒になる。

純真=正義ではないのだ。

正義を純真に行うから「尊い」のだと思うのだが。

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