創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

人材

いかなる組織も、発展するも衰退するも「人材」次第。

創価も「人材」を見つよう!、育てよう!注力している。

「人材」といえば、最近では

「人財」と書く(呼ぶ)企業が増えているようで。

なんでも「材」とかくと、

まるで「人を材料」のように扱っているイメージがあるらしい。

まぁ、そう言われればそういうイメージもあるけど

正確には「材」とは、「材料」ではなく「才能」という意味だそうだ。

「才能のある人間」

それを「人材」というらしい。

ではここでいうところの「才能」とはなにか?

それは世間一般で言うところの「才能」とは

ちょっとニュアンスが違う。

組織の言う「人材」とは

組織の「役に立つ才能」ということになる。

所属する組織に役に立つ才能がある人を

「人材」と呼ぶ。

野球の球を、160kmで投げられたり

氷の上でスケート靴を履いてジャンプして4回転回ったり

それは常人ができない素晴らしい才能ではあるが

運送会社や回転寿司店では何も役に立たないので

そのような人を、運送会社や回転寿司店では「人材」とは言わない。

さて、では創価の言うところの「人材」とはどんな人か?

聖教新聞をたくさん啓蒙する(売る)ことのできる人・・・人材である。

公明党への投票を多くに人に頼むことができる・・・人材である。

創価の財務に高額の金額を出すことができる・・・人材である。

上記のような人材を増やすことができる・・・人材である。

いままで、俺は勘違いしていた。

いまの創価は「人材不足」だと思っていた。

だって、御書は知らないし、弘教はできなし、対論・破折もできないんだもん。

なんとまぁ「人材不足」と嘆かわしく思っていたのだが

「組織に役に立つ才能を持った人」を「人材」というならば

創価は、豊富な人材が揃っている

実に素晴らしい組織と認識を変えなければならない。

新聞啓蒙もできない。Fも沢山取れない。財務も一口しかできない。

そんな活動家さんもいるかもしれないが

そんなことで悲観的にならなくても大丈夫。

創価の組織の中でもっとも必要な才能とは

「本部・幹部の言うことを黙って聞く」ということであり

「自分で何も学ばない・考えない」というのが一番の才能なのだから。

文句も言わず、疑問も抱かず活動していること自体

もはや「創価の大切な人材」なのである。

何もできなければ、会社や社会の中では

「人材」扱いされないだろうけど

それこそか、創価活動家としての

一番大切な才能であり、資質だと思って差し支えない。

ただし、そうした「創価の人材」を増やさないで欲しい。

なぜなら、「創価の人材を増やす」といことは

「大聖人の敵を増やす」ということだから。

創価にとってのは「人材」とは

大聖人仏法にとっては、自分と他人に

罪業を積ますだけの

「人罪」以外の何者でもないのだから。

因みに、「人材」と「人財」の違いとは

代わりがあるか、ないかの違いだとか。

「人材」とは才能があっても代わりがいる。

「人財」とは代わりのきかない、かけがえのない人らしい。

そうなると創価で「人財」といえば

池田センセだけ。なんだろうな。

あとは、代えの効く「人材」

う~ん、そう思うと「人材」といわれても嬉しくないかな?

創価も、聖教に書くときは

心にもなくても

「人財」って書いてあげてほうが

活動家の皆さんは喜ぶとおもうんだけどね。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 創価学会へ