創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

創価教学の本質

今も創価活動家は自分達の教学が正しいと

一生懸命主張しているんだけど、

その創価教学を聞けば聞くほど

ホントにチンケだなぁ~って思うし

そんな主張している活動家の教学力の無さに唖然とするな。

本人たちは、自分らの言っていることが

真っ当な教学だと思っているのだろうし

それっぽいことをいっちゃいるが

よく聞いてみると全くチンケなんだよな。

創価教学の基礎というか本質ってのは

妄想とデッチ上げなんだよな。

例えば、日寛上人のご指南である一大秘法の否定。

創価の言い分は、日寛上人のご指南は

時代的背景を考えて取捨選択すべし。ということだが

では、一大秘法のご指南を否定する時代的背景とは何なのか?

そもそも法体についてのご指南が時代的背景を理由に変わってしまうのか?

その理論的論証はしないし、できない。

また大御本尊もその他の真筆の本尊もそれを書写した本尊も

総て本門の本尊である。といい主張の論拠はどこにあるのか?

この理論で言えば身延の本尊でもいいのではないか?

そうした問いかけに関しても納得する回答は皆無だ。

さらに笑ってしまうのが、前法主の顕師は法主を詐称したので血脈はない。

という主張。

法主を詐称したという客感的な証拠が全くない。

学会が勝手にそう言っているだけ。

そもそも、血脈相承がどのようになされているのか知ってるのか?

正しい血脈相承がどのようなものかもわからないに

どうしてニセ(詐称)の血脈相承なのがわかるのか?

さすがの池田センセだって

正宗の血脈相承がどのように行われているか知らないだろう。

後見人として立ち会ったわけじゃあるまいし。

それでいて詐称した。詐称した。って騒いで

こんなの完全な妄想・デッチ上げだろ。

日寛上人は時代的な背景で一大秘法義を唱えた(だけだろう)

大御本尊もほかの本尊も同じ(はずじゃないか)

日顕法主を詐称した(ことにしておこう)

創価教学ってのはすべからく

こうした自分達の都合のいいように妄想しでっち上げたことを

あたかもそれが事実であるかの如く刷り込み騙す。

そしてそのでっち上げを元に理論を展開しているだけなので

彼らの言う大元の妄想を論証しろ。と言われれば

「君はまだ信心がわかっていないね」とか

「学会活動しない人には本当の教学がわからないんだよ」

とか言っちゃってうまくごまかして逃げる。逃げる(笑)

そうした創価教学の本質さえ分かってしまえば

創価教学なんてものかいかにチンケでデタラメかがよくわかる。

日寛上人の一大秘法義や本尊義・血脈に至るまで

創価が否定する正宗教義を

理論的・客感的に文証・理証で否定することは

創価教学と創価教学信仰者にはできないのだ。

それは、今までそれができる学会員が皆無であるという事実が物語っている。

大御本尊を用いなくて良い理由は?

正宗が謗法の理由は?

顕師が法主詐称したという証拠は?

教学的に何一つまともに答えられないだろう。

せいぜい答えは自分たちがそう思っているから。程度の妄想だ。

そんな与太話を「教学」というとは片腹痛い。

もっとも、創価は独立した宗教法人であるのだから

何をどう言おうと創価の勝手だ。

勝手に言ってる分には俺も無理やり止めやしない。

だけど、そんな妄想と欺瞞で成立している創価教学を

日蓮大聖人の仏法である。と言うのは

大聖人仏法の信仰者として看過するわけにはいかない。

そんなインチキ教学を教える創価創価活動家さん達には

一日も早く大聖人仏法・大聖人仏法の信仰者という看板を降ろしてもらいたい。

邪宗創価学会とちゃんと名乗って欲しいね。

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