創価ダメだしブログ

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日目上人もついに抹殺

今回の御祈念文(創価はご観念文って言わないだったね)の改定。

地味~に、こっそり日目上人を抹殺(抹消)してたね。

とうとう一閻浮提座主には南無しないってか。

まぁ、血脈否定・法主否定する上で

御祈念文から日目上人を外すのは予定通りなんだろう。

三宝破壊もここに極まれり。って感じだな。

もっとも、大御本尊を捨てた時点で三宝破壊してるのだから今更言った所でなんだが。

そのくせ、いまだに御本尊と大聖人と日興上人には南無する。ってんだからワケ分からない。

大聖人仏法における三宝とは、

大御本尊・日蓮大聖人・日興上人なのだが、

これは久遠元初三宝で、信仰の根本。

この久遠元初三宝に南無すればいいというのが学会の主張だ。

が、この久遠元初三宝の立て分けには、内証と外用の立て分けの内

外用による立て分けだ。

内証の久遠元初三宝は、三宝一体でありその体は言うまでも無く

日蓮大聖人=大御本尊だ。

その内証久遠元初三宝を信受しないで

外用の別体三宝に南無するなんどう言う神経してるのやら。

では、日目上人以下の歴代法主

「住持の三宝」である。

内証の久遠元初三宝は大御本尊であるが

化法に即し外用の面において、御本尊・大聖人・日興上人と定めている。

そして、その内証を住持つまり守り伝えるのが住持の僧宝である歴代法主の立場だ。

この「住持の三宝」は、南無する対象ではないというのが今の学会教義になる。

これは、完全なる学会の邪義だ。

まず、「久遠元初」であろうと「住持」であろうと

三宝」と呼ぶのであれば、それは僧宝であり南無する対象である。

これは、仏法の基本中の基本である。

さて、大聖人仏法では歴代法主はどのような存在かと言えば

日寛上人の三宝抄には

■所謂僧宝は日興上人を首と為す、是れ則ち秘法伝授の御弟子なる故也。然に則吾が日興上人嫡々寫瓶の御弟子なる事分明也。故に末法下種の僧宝と仰ぐ也。

とあり、続いて

■爾来日目日道代々咸く是れ僧宝也

と明確に書いてある通り

日興上人以降の日目上人以下の法主も僧宝であると言われている。

また、同じく日寛上人の文底秘沈抄には

■而して後法を日目に付し、日目亦日道に付す、今に至るまで四百余年の間一器の水を一器に移すが如く清浄の法水断絶せしむること無し、蓮師の心月豈此こに移らざらんや、是の故に御心今は富山に住したもうなり

とあり日目上人以下歴代法主も僧宝であると日寛上人は言われている。

故に、当家三衣抄において

■南無仏・南無法・南無僧とは若し当流の意は、

南無本門寿量の肝心、文底秘沈の大法、本地難思境智冥合、久遠元初、自受用報身、無作三身、本因妙の教主、末法下種の主師親、大慈大悲南無日蓮大聖人師。

南無本門寿量の肝心、文底秘沈の大法、本地難思境智冥合、久遠元初の自受用報身の当体、事の一念三千、無作本有、南無本門戒壇の大本尊。

南無本門弘通の大導師、末法万年の総貫首、開山付法南無日興上人師、南無一閻浮提座主、伝法日目上人師、嫡々付法歴代の諸師。

とご指南されているのだ。

学会員の中には、この文において日目上人の前に「南無」と書いてないから

日目上人には南無しなくていい。と日寛上人も言っている。

などという事をいうのもいるが、

上記の日寛上人のご指南を読めば、寛師が目師に南無しなくて良い。などと言う道理が無い。

また、目師に南無しなくて良いならば、

南無すべき「一閻浮提座主」ってのは目師以外の誰なのか?

具体的に誰が「一閻浮提座主」なのか是非教えてもらいたいものだ。

まさか創価学会が一閻浮提座主なんて・・・

言うヤツがいるんだなぁコレが。

そういう幹部活動家は、三宝抄の

■及び門流の大衆亦爾也云々

の文を出してきて、法主及び大衆だから

俺たちも僧宝だと言っていいんだ。

とか言っちゃうんだけど

ここでいう大衆ってのは、一般大衆って意味じゃないんだよ。

大衆ってのは「ダイシュウ」って読む「タイシュウ」じゃない

で、この「ダイシュウ」ってのは、僧侶の事。

広く言えば、僧侶(教団)とその僧侶(教団)の信者って意味。

だから創価学会や学会員は「大衆」じゃない。

よって創価&学会員は僧宝と呼ばれる資格はないってこと。

てなわけで、一応三宝論で予想される学会員の反論も

最初に破折しておいた。(まぁ他にもあるけど)

いずれにせよ日寛上人の当家三衣抄には

■行者謹んで次第を超越する勿れ、勢至経の如きんば妄語の罪に因って当に地獄に堕つべし

と書かれていいる。

僧宝たる日目上人以下歴代法主を抹殺(抹消)するような

次第を超越する創価の幹部・活動家は地獄に落ちるってさ。

ああ、日寛上人も抹殺してるのだから

日寛上人の言葉なんてどうでもいいってか?

それでいて、よくも日寛上人書写(のコピー)の御本尊を拝めるね。

たいした二枚舌だな。

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