「妙とは蘇生の義なり」
信心は無窮の活力。
祈り切って壁を破れ!
生まれ変わった勢いで
新時代へ出発だ!
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なんだかなぁ・・・
とりあえず御書とか引用すれば
大聖人仏ぽく聞こえるように仕向けてる?
そんな感じだなぁ。
今回は、「法華経題目抄」かぁ。
この御書は、「具」「開」「蘇」の妙の三義が書かれている御書だね。
この御書に書かれている「題目」ってのは
修行としての唱題と
法体としての題目と二つのことが書いてある御書だ。
主題の「法華経題目抄」というのは、
「法華経」=法体
「題目」=修行
を意味する。
正しい題目を唱える功徳を妙の三義をあげながら説明されている。
正しい唱題とは本文に
◆夫れ仏道に入る根本は信をもて本とす
書かれているように「信」のある題目だ。
では、何に「信」を置くのか?
この御書は佐前の書だからご本尊はまだ顕されていない。
なので、一応文上では、
「法華経」(法)と日蓮大聖人(人)を信じて題目をあげなさい。
そうすれば、法華経の法門のことなど知らなくても功徳が出ますよ。といっている御書である。
佐後以降大聖人のご入滅のあとは
当然、一大秘宝たる本門戒壇大御本尊を信じて唱えるところの
本門の題目に功徳があるということだ。
法体である大御本尊を信じて題目を上げれば
法門法義がわからなくても功徳があるのだ。
昔の学会員はそうやって信心して功徳を受けていたわけだね。
さて、新時代の学会及び幹部・活動家は
その法体である大御本尊を捨て、敵対した。
つまり、いくら題目をあげようが
「蘇生」も「成仏」もしない。
大御本尊に「信」を取らなければ、本門題目ではなく
ただの、カラ題目である。
身延や佼成会・顕正会などと変わらない。
そんな題目は、体にもよくないし時間の無駄。
幹部・活動家は別として
本当にこの信心で功徳を受けたい会員の皆さんは
いつも書いているが、大御本尊に信をとって題目をあげてください。
創価教学なんていうインチキを学ぶより
何もわからなくても、大御本尊を知らなくても
大御本尊様・日蓮大聖人様に「信」を取って題目を上げることが
仏道=成仏に入る根本ですよ。
それにしても創価の言う「新時代」ってなんなんだ?
仏意仏勅の正統なる大聖人の弟子から退転し
邪教仏敵への大変換をしたことなのか?
な~にが「新時代」だ。
こんな言葉に騙されちゃいけないよ。