創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

安倍晋三元首相死去の報に接して。

安倍晋三元首相が昨晩死去されました。昨日の昼過ぎに銃撃され危険な状況にあるという事を知り何とか一命をとりとめてくれるといいなと思っていたのですが、残念な結果となりました。ご遺族の方々にお悔やみを申し上げるとともに今朝の勤行・唱題の際に安倍氏のご冥福を祈らせてもらいました。私は特に安倍シンパでもなければいわゆるアベガーと言われるアンチでもない。首相としての安倍氏は外交は下手でしたが、中国・韓国・北朝鮮に対し毅然とした強い態度で臨んでいたのは個人的には高く評価していました。特に韓国に対する妥協しない姿勢はそれまでの首相には無かった態度で多くの日本国民は支持したのではないでしょうか。その反面で国内の政治手法は、強行・恫喝・欺瞞・隠蔽などを感じる言動が多く独裁者色が強い印象があります。今回の安倍氏銃撃は民主主義の根幹を揺るがす行為であると多くの人々が発言しています。言論を暴力で封じ込めるやり方はまさに民主主義を否定する蛮行であり愚行ですが、安倍氏自民党、そして連立を組む公明党もここ10年余りの間で権力という名の暴力で民主主義を破壊してきたと思っています。例えば森友問題で公文書改竄を強要されそれを苦に自死した赤木俊夫さんなどは、まさしく安倍政権が権力という名の暴力で命を奪ったようなものだと思うし、先般の自民党大臣の「野党の話は一切聞かない」発言も民主主義を真っ向から否定する問題発言です。安倍氏の死は痛ましいことではありますが、多くの国民を疲弊させ日本という国を閉塞してしまったのは安倍氏と自公与党による所が大きいと思ってます。このような痛ましい事件が起こってしまった一因に権力が庶民を追い詰めたという背景もあることは過去の歴史をみても否めません。日本国民は大人しい国民だと言われ暴動を起こすような事は滅多にしませんが、現在の日本国民が置かれている状況はいつ暴動が起きてもおかしくないレベルだと感じています。ひろゆき氏がSNS「社会に疎外されたと感じる日本人の多くは自殺を選んできたけど、他殺を選ぶ人が増えるという悪い予想が当たってしまってる昨今。そろそろ、蔑ろにされた人々に向き合うべきかと」と発言していましたが、その通りだと思います。政府はそろそろ蔑ろにされている多くの一般国民と真摯に向き合うべきでしょう。ただ山上容疑者にはそうした政治的な背景はなかったようです。山上容疑者のここまで報道されている供述によれば特定の宗教団体に恨みがありその宗教団体と近い安倍氏を襲撃したというのが犯行動機のようです。「特定の宗教団体」という報道はその後「特定の団体」と言い換えて報道していますが、具体的な宗教団体名を伏せて報道しているのでネットでは早くも統一教会創価学会顕正会日本会議などの名を挙げて様々な憶測が飛び交っています。教団名を報道しないのは選挙期間だろうから創価学会なのではないか?という「ごもっとも」と納得してしまう意見も多く散見します。いたずらにプレスが教団名を匿名にするから無関係な教団にも迷惑をかける結果になっています。また山上容疑者の供述では母親が教団にのめり込み家庭崩壊した事が恨みを抱く原因とのこと。彼の供述がウソかホントか分かりませんが宗教による家庭崩壊は創価学会を含め新興宗教団体にはありがちなパターンでもあります。やがて色々と判明すると思いますが、相手が誰であれ理由が何であれ暴力を使い剰え他人の生命を奪う事は許されません。二度とこのような惨事が繰り返されないように願うばかりです。

 

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参院選挙について思う事。

今週の日曜は参院選挙の投開票日。創価活動家は相変わらず期日前投票へ内部・外部を連れ出しで毎日忙しそうだ。SNSを見ていると創価員に投票所まで連れて行ってもらっても公明以外の政党に投票した人も結構いるようで公明党比例800万票の目標達成はするのか結果が楽しみである。(おそらく無理だろう)注目は岡山選挙区。自民党小野田紀美候補が公明党の推薦を拒否。怒った創価・公明サイドは対立の野党候補を応援していているようでこの選挙区の結果からも目が離せない。しかしこれもオカシナ話だよ。連立を組んでいる自民の候補が推薦拒否したらその候補を落選させようとするかね~。自民党に対し公明党の力を見せつけるというのが狙いなんだろうけど(要するに創価お得意の恫喝)、こんなことをする政党と連立を組む自民党もかなりおかししいわ。どちにしても小野田氏の当落如何によっては今後の自公の関係に変化が起きるかもしれない。というか既に小さな亀裂が入っているとみていいだろう。岡山選挙区の結果は気になる。小野田氏のような候補を落選させるようであれば自民党の未来は暗い。小野田氏にはぜひ創価公明のイヤガラセを跳ねのけて当選してもらいたい。さて、全体的には今回の参院選は最初から無風といわれ自公与党で改選過半数は間違いないだろう。また自民党の完勝ということになる見通しだ。とにかく各野党が協調しない結果、自民に負けるといういつものパターンになるだろう。大型スパー(自民党)の脅威に対していつまでも「うちにはうちのやり方がある」といってそれぞれの店が勝手にやっているが野党。本当は商店街として協力しないと大型スーパーに対抗できないのだがそれが出来ないのは野党各党の党首が一国一城の座を守りたいからなのだろう。自公が完勝するとなると今の路線は変わらないということになる。つまり増税・物価高・社会保障の縮小・防衛費拡大などなど今までの暮らしの延長が選挙後には待っているわけだ。本当にみんなそれでいいのかと思う。そんなに国民はいまの暮らしに満足しているのだろうか。少なくても私は今の状況に満足していないし様々な不安は拭えない。公明党の議員がよく使う言葉に「政治の安定化」という趣旨のモノがあるが、安定=安心ではない。いまの暮らしが安心できる暮らしならば政治が安定することはいいことだが、不安と不満の暮らしを安定させるような政治・政権が安定するのは避けなければならない。また先日、自民党の大臣が「野党のいう事などなにひとつ聞かない」と発言してたが、これが与党の本音であることは間違いない。それはどの政党が与党になっても同じことを思うだろう。だから私は以前から衆参ねじれ国会がベストだと思っている。本来は米国のように2大政党化するのが望ましいが日本では巨大野党が存在しなし今後も巨大野党が出現することも前述の通り各野党党首の器が小さすぎて望み薄だ。なので2大政党化は難しい。よって衆参でねじれ現象を起こす以外に野党に投票した国民の意思を国会で反映させる方法はない。ねじれ国会であっても本当に国民に支持されるような法案は与野党で擦り合わせて成立させる。いままでもそうだった。だからねじれ国会となっても問題はない。むしろねじれていた方が国民の最大公約数の法律を成立されることができると思っている。意外と分かっていない人も多いが参院選挙では政権交代はしない。だから参院選挙で野党が勝っても野党政党が政権を担うことにならない。だからこそ逆に安心して野党に投票できる。まぁ今回の選挙では自公がまた勝利して私の希望するねじれ国会にはならないだろう。そして野党の声を無視して自公与党の決めた法律がバンバン成立する。消費税もやがてまた上がるし、年金や生活保護費はまた下がる。防衛税も新設されるかも知れない。憲法や安全保障関連も今よりも右傾化するのは必須だ。いままで30年間、全く豊かになっていない日本がまだ続くと思うとウンザリする。それでもいまのところ投票先は決めていないが、とりあえず投票日には自公以外の野党に1票投じてくるつもりでいる。「選挙に行っても何も変わらない」って私も昔は思っていたが、選挙にいかないと知らぬ間に色々なことを変えられてしまうのだから、やはり選挙には行った方がいいと思う。特に未来の時間が多く残っている若者は選挙に行っておかないと将来自分たちの首を絞めかねないことになるかも知れないよ。

 

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【7・3 創価学会師弟の記念日】の嘘くさいエピソード。

今日、7月3日は【創価学会師弟の記念日】です。「出獄と入獄の日に師弟あり」と創価民には有名な池田大作の一句のとおり大阪事件にで池田大作が逮捕されたのが昭和32年7月3日です。

★大阪事件・過去記事はコチラ▶大阪事件とは - 創価ダメだしブログ

創価公式サイトでは、【池田青年室長が逮捕された7月3日午後7時というこの日この時刻は、くしくも、1945(昭和20)年に戸田第二代会長(当時理事長)が出獄したのと同日同時刻でした。夕張から羽田経由で大阪に向かう池田室長を見送りながら、検察による取り調べの過酷さを身をもって知っていた戸田会長は、池田室長の肩を抱き「死んではならんぞ。大作、もしも、もしも、お前が死ぬようなことになったら、私もすぐに駆けつけて、お前の上にうつぶして一緒に死ぬからな」と語ったといいます。また、池田室長が拘留されている間、戸田会長は衰弱した体をおして、みずから大阪地検に室長の不当逮捕への抗議に出向きました。池田名誉会長は「足もともおぼつかぬ憔悴したお体で、手摺にしがみつくようにして階段を上り、大阪地検にも抗議に行かれた。後にその話を聞き、師のありがたさに、私は涙した」と語っています。のちに池田名誉会長は、7月3日にちなみ「出獄と入獄の日に師弟あり」と詠み、無罪の判決を見届けることなく生涯を終えた恩師を偲びました。(太字はSOKAnetからの引用)】

と代作小説に書かれている戸田会長と池田大作の美しい師弟の姿を史実として公開しています。私も創価活動家の頃はこの話が実話であると信じていましたが、これが調べれば調べるほど実に「嘘くさい」のですよ。まず細かい事を言えば戸田会長と池田では入獄した場所が違います。戸田会長は「刑務所」ですが池田は「留置所」です。「留置所」とは通称「ブタ箱」と言われている警察署の中にある場所ですから刑務所は全く違うのです。「刑務所」と「ブタ箱」同列に扱うのはちょっと無理筋です。ここはさて置き、池田逮捕当時の新聞は、

■さる四月の参院大阪地方区補選の際の創価学会選挙違反を追及している大阪府警捜査二課は、三日夜、<住所略>創価学会渉外部長池田大作(二九)を公選法違反の疑いで自宅で逮 捕した。(日本経済新聞S32・7・4夕刊)

■大阪の参院補選違反を追及中の大阪府警捜査二課では三日午後七時、<住所略>『創価学会』渉外部長兼参謀室長、池田大作(二九)を公選法違反容疑で逮捕した。(毎日新聞S32・7・4)

と報道しています。また当時の創価の機関誌では池田の逮捕日を7月4日と報道しています。これらの史料で分かることは創価公式や人間革命で書かれてる「昭和32年7月3日、午前ーー山本伸一は千歳空港をあとにした。大阪府警に出頭するためである。(略)府警に着くと、早速、伸一は公職選挙法違反の容疑者として取り調べられ、午後7時過ぎ、待ち受けていたかのように逮捕されたのである。」(太字は小説・人間革命より転載)との記述はフィクションで、3日に北海道から羽田経由で大阪府警に出頭して逮捕されたのではなく、3日は東京の自宅で午後7時に逮捕されその後大阪に連行され4日に大阪府警で身柄を拘束されたという方が信憑性が高いです。ですから「出獄と入獄の日」は戸田の出獄は3日で池田は逮捕が3日で入獄(ブタ箱行き)は4日ということになり同じ日ではありません。また3日は自宅で逮捕されていますから創価公式に記載さている羽田空港での戸田会長の見送りは不可能です。よって「死んではならんぞ、大作」云々というエピソードも架空か空想の可能性が高いでしょう。また戸田会長が大阪地検へ抗議に行った話も嘘くさい。これらのエピソードは戸田城聖全集に一言も書かれていませんし昭和32年のこの時期に戸田会長が憔悴している様子も当時の戸田会長の発言等からは窺うことができません。(むしろ元気溌剌・やる気満々です)さらに言えば「午後7時」という同時刻の一件は、池田の逮捕は報道に午後7時とあるから確定ですが、戸田の出獄時間は戸田自身の書いた『若き日の手記・獄中記』の中に、「三年間の独房の生活。ついに確心取った。弟子本尊の本当の生活意識をとりもどした。その日のくるまで、御本尊様からお許しはいただけなかった。七月三日午後八時、ついにお許しを得て、七二九日目で台町の家に帰った。」と書かれています。そう、出獄は午後7時はなく午後8時なのです。『若き日の手記・獄中記』は戸田本人がリアルタイムで書き記しているのですから間違いようがありません。まとめると戸田の出獄は7月3日午後8時で池田の入獄は7月4日の時間不詳(逮捕は7月3日の午後7時)というのが客観的な史料より導き出される結論になってしまいます。どこをどう見ても、【池田青年室長が逮捕された7月3日午後7時というこの日この時刻は、くしくも、1945(昭和20)年に戸田第二代会長(当時理事長)が出獄したのと同日同時刻でした。】という創価公式発表のような結論にはならないのです。【くしくも同日同時刻】などと、あたかも偶然不思議の一致のように発表していますが、「くしくも」でもなければ「不思議」でもないのです。事実を曲げて作為的に【同日同時刻】にしたわけですから。これは数々の池田神話を作り出した手法と同じ手口です。しかし池田の小説や随筆だけなら、「池田の妄想のフィクション」で済まされるけど、公式サイトでこういうデタラメを発表していいんですかね?もちろん創価公式発表が事実で私のこの記事が事実誤認である可能性もありますが、ならば創価民さんなら誰でもいいので【くしくも同日同時刻】だったという事を証明できる客観的な事実を示してもらいたいですね。もちろん、創価公式さんでもいいですけど。いずれにせよ今日7月3日の【創価学会師弟の記念日】のエピソードはこのように非常に胡散臭い。というかもうこれはウソでしょ?池田神話を無理やり作ろうとするからあちこちボロが出ちゃんだよな~。池田ジジイの妄想に付き合って特別なエピソードなんて作らなくてもいいと思うんだけどなぁ。怪しい新興宗教団体だから何か素敵なエピソードが欲しいのだろうけど、池田絡みのエピソードって作れば作るほど怪しさが増すから逆効果だと思うよ(笑)

 

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創価教学じゃない御書講義(2022年7月座談会御書・四条金吾殿御返事)

日蓮は少より今生のいのりなし只仏にならんとをもふ計りなり、されども殿の御事をばひまなく法華経釈迦仏日天に申すなり其の故は法華経の命を継ぐ人なればと思うなり。

 

今月の座談会御書も過去に取り上げて御文の焼き回しでした。たまには今まで取り上げた御文ではない御書を取り上げて欲しいのですが教学部の怠慢ですね。今度は原田会長の息子が教学部長に昇進したので今後の原田Jrに期待したいところです。

★過去記事はコチラ▶創価教学じゃない御書講義(7月度座談会御書・四条金吾殿御返事) - 創価ダメだしブログ

 

創価教学的には池田大作の『永遠の経典に学ぶ』の中から、【「法華経の命を継ぐ人」が出現したことは、師匠の勝利であり、仏法の勝利です。あとは弟子が、師匠の思いを受け止め、師弟不二の信心で、戦い、勝利することです】こんな指導あたりを引っ張り出して池田先生にお応えする不二の弟子としての戦い(笑)で参議院選挙大勝利って感じですか?座談会でこんな感じの御書講義を聞かされる創価民さんが気の毒です。さて今日は前回とは違う視点で講義したいと思います。「仏力」って当ブログで良く書きますし創価民さんも聞いたり使ったりすると思いますが、「仏力」って具体的にはどのような力なのか?今回の御文にその答えが書かれています。さぁ~ここで5分間、当該御文を読んで「仏力」って何なのか考えてみましょう(笑)はい。では正解発表します。「仏力」とは、されども殿の御事をばひまなく法華経釈迦仏日天に申すなり】この御文の事をいいます。創価のインスタント勤行でも自我偈の最後に、【毎自作是念 以何令衆生 得入無上道 速成就仏身】って読みますよね。「 毎に自ら是の念を作す 何を以てか衆生をして 無上道に入り 速かに仏身を成就することを得しめんと」と読み下しますが、御義口伝で

◆仏の衆生を護念したもう事は護とは唯我一人能為救護念とは毎自作是念是なり(御義口伝巻上)

と言われているように、「仏力」とは御本仏・日蓮大聖人が私達の成仏(幸福)を常に祈ってくださっている力の事なのです。凡夫の池田大作がいくら学会員の事を祈った所でそれは「仏力」ではありませんから池田の祈りに応えた所で成仏も勝利もありません。いつも言うように四力冥合(妙力)によってのみ成仏が叶うのが大聖人の仏法です。さて、御本尊には「仏力」以外に「法力」がありますが基本的にはこの二つは一体です。しかしメインは「法力」にあるのではなく「仏力」にあるのです。何故なら「法力」が有っても「仏力」が無ければ私達衆生がその「法力」に浴することができないからです。御本仏の「毎自作是念」の大慈悲があってこそ私達は無限の「法力」に浴することが出来るのです。ですから、「御本尊は宇宙の法則を具現化した曼荼羅」というような創価教学は大きな間違いなのです。御本尊はあくまでも法力を所持した御本仏の姿なのです。幸福製造機でも唯のモノでもなく御本仏の姿が御本尊なのです。創価は日寛上人書写の御本尊を日蓮正宗から盗み取って勝手にコピーして本尊にしていますが、その行為は創価が御本仏を作り出しているということになります。そんなこと可能だと思いますか?広宣流布をしているから自分達が御本仏を作っていいなんて本気で思っているのでしょうか?創価民は池田創価が勝手にコピーした自宅の本尊掛け軸を御本仏だと思っているのですか?だとしたらその根拠はなんですか?何の根拠もなしに自分達で御本仏をカラーコピーで作る。これを大謗法といわずしてなんというのか他の呼び方があったら教えて欲しいモノです。以前当ブログでの私との対話の中で創価現役副本部長のTS氏が奇しくも「創価本尊には仏力も法力もない」と言っていましたが、まさにその通りです。TS氏は大正解です。創価本尊に仮に宇宙の法則を図顕した「法力」が備わっていたとしても、前述した通り「仏力」が無ければ事としての「法力」は現れません。「仏力」の備わる本尊とは、日寛上人は『観心本尊抄文段』の中で、

◇我等此の本尊を信受し、南無妙法蓮華経と唱え奉れば、我が身即ち一念三千の本尊、蓮祖聖人なり

と御指南され、さらに同文段において、

◇就中、弘安二年の本門戒壇の御本尊は、究竟中の究竟、本懐の中の本懐なり。既に是れ三大秘法の随一なり。況んや一閻浮提総体の本尊なる故なり。

戒壇大御本尊こそが根本総体の本尊(根本の御本仏の姿)であると示されてします。そして私達が戒壇大御本尊を信受して唱える題目は私達の自身の唱題であると同時に私達の口を通じて大聖人が私達に対して「毎自作是念」の祈り(仏力)をしてくださっているのです。法華経の命を継ぐ人】の事を祈っているという根本の意はそこにあります。それが分れば法華経の命を継ぐ人】の定義は自ずと理解できるはずです。この部分については次回また詳しく書きますが(どうせ数年後にこの御文を座談会でやるのだろうから)、ハッキリと断言できることは、創価本尊掛け軸にいくら唱題しようとそんな創価民のことを大聖人はこれっぽっちも祈ってくれないということです。まぁ大聖人よりも池田に祈って欲しいならそれはお好きにしてもらっていいですが成仏はしませんよ。(そもそも今の池田は学会員の事とか祈れる状態なのでしょうかね)むしろそんなインチキ掛け軸に唱題したら謗法を重ねるだけだと忠告しておきます。いやですよね?そんなのは。だったら早く戒壇大御本尊(大聖人)の許に戻りましょうよ。冷静に考えてみてくださいな。池田や創価に貴方を成仏させる「仏力」があるかどうかを。

 

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JIKATSU(創価自主活動支援サイト)の座長・林信男氏の華麗なる変節。

先日、JIKATSU(創価自主活動支援サイト)で座長を名乗る林信男のツイートがTLに流れてきたので読んだら何故か公明党支援のツイートが。『自活グループ』のサイトには、【選挙、新聞、財務ではなく、日常の中で先生と共に生きる。御書と先生のスピーチを学び、祈り心を耕す。その信仰の実感を友に語り伝えるということ。(中略)いきなり決められた人を選挙支援するような選挙運動でもない、新聞拡張員のような活動でもない、心の中で師匠と語らいながら、共に歩む生き方です。】(JIKATSUサイトから引用)と書かれていて選挙支援などという創価組織活動から離れて信心をするというグループであったはずなのにその座長の林氏が何故に公明党応援活動をSNSで始めたのか不思議だった。

★過去記事はこちら▶JIKATSU(創価自主活動支援サイト)に集まる学会員さん。 - 創価ダメだしブログ

そこで、JIKATSUサイトを久々に見てみたらどうやら林氏は自活グループから離れたようである。6月の座談会御書講義は楽しいそうにやっていたのが何故急に自活G活動を止めたんだろう?運営内でのゴタゴタなのか、それとも自活G内で何か有ったのか理由はよく分からないけどJIKATSUサイトのメインコンテンツである座談御書講義を担当してた林氏が自活Gから抜けたのが本当なら自活サイトの運営にも支障があるのではないかと思う。まぁ林氏レベルの御書講義なら代わりはいくらでもいるだろうけど。林氏の身の上に何が有ったのかは分からないし別にそこまで興味があるわけでもないのだが、自活サイトを立ち上げた波田地グループも元足軽会の3人組グループもいつの間にか尻つぼみになって原田創価にかすり傷程度をつけるくらいの事しかできないのは残念である。もっとも執行部派だろうが反執行部派だろうがどちらも池田大作狂に変わりないわけで、『全員謗法』の『アウトレイジ』を見ているようなモノである。前回記事でも書いたが本当に大聖人仏法を自主的に信仰したいなら正宗に移籍するのが最善の方法である。法華講は「ほぼ自活」の世界である。自活仲間を作りそのコミュニティに所属している時点で『自活』とは呼べないと思うが。さて林氏がいかなる理由で自活Gから抜けたのかは別として林氏のこの変節ぶりには驚かされた。創価の選挙戦を否定していたはずの林氏が、【もちろん妙法流布が主眼の御書ですが、法戦で題目をガンガンあげて友人・知人に会うことによりラブ注入ならぬ(笑)題目注入です!法戦即妙法流布の一大機縁でもありますね。】【皆さん、人生の春夏秋冬の中で、真剣な祈り、願いを込めて、この法戦に参加されているのだな。そう思うと目頭が熱くなる思いですし、心で手を合わせたくなります。『法戦即桜梅桃李の物語』ではないでしょうか。】(以上太字は林氏Twitterより引用)などとSNSで発言している。選挙(法戦)即妙法流布って、もうただの莫迦ツドウカ。いままで自活を推進し啓蒙してきたのは何だったのさ。って感じだよね。自活Gの創価民の中には林氏の変節ぶりを批判する人もいるでしょうね。私は一信仰者としてこの変節ぶりは理解に苦しむ。信仰者としての矜持とかないのだろうか。池田大作みたいに最初から信心がない下衆はともあれ、林氏はそれなりの信念が有って自活を推進してたのだと思っていたから、このあまりの変わりようには嘲笑せずにはいられない。また林氏は知識的な部分においては教学をシッカリ教学を学んでいるように思えるのだが、そんな人が法戦即妙法流布・法戦即桜梅桃李の物語なんて発言することも私には理解できない。所詮は池田創価教学の域だから仕方ないにせよ、自活を叫んでいたと思ったら選挙は法戦なんて急に言い出すのは本人には言い訳はたくさんあるのだろうけど変節漢の謗りはまのがれないだろう。林氏の敬愛する池田大作変節漢が大嫌いと言ってたはずだがどうなんだろう。いずれにしても自活もこれで下火になっちゃうかもね。そうなるとちょっと残念かな。所詮、在家同士の集まりなんてこの程度なんだろうけど。しかも自活なんて自分勝手な信心したい人間の集まりでしかないし、広く会員の参加を促すためか反創価・反執行部も逆に反日蓮正宗も前面に出していないのでインパクトに欠けるのでコンセンサスを得るのは難しい。そうなると単なる烏合の衆だもんな。林氏にはもうちょっと頑張って欲しかったけどね。まぁ林さんも良かったら日蓮正宗に戻ってくれば?誰からも称賛されないし誰にも偉そうに指導できない。誰かと一緒にわちゃわちゃすることもない。それでも、たった一人でも自分の信心をひたむきに続けていく。そんな真の自活をする覚悟があるならばだけどね。JIKATUサイトに集まっている創価員さんもね。

 

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梵我一如さん、創価員の3連コンボ勧戒おめでとうございます!

梵我一如さんから、友人の創価員さんとその友人とそのまた友人の創価員さん3名が創価を退会し、勧戒受けて正宗に移籍し戒壇大御本尊の許に戻ったとの嬉しい報告をもらいました。こんなに嬉しくて素晴らしい話をコメント欄に埋もれさせてしまっては大聖人様に申し訳ないので梵我一如さんには無許可ですが、管理人の独断と権限で記事に残しておくことにしました。(笑)以下太字は梵我一如さんのコメントからの引用です。

自然に折伏ができました。 こんにちは。僕の創価時代の同志で他支部の部長で、現在地区幹部の知り合いから連絡がはいり、その方が創価時代に折伏をした、同じく地区幹部とともに日蓮正宗のお寺に駆け込んで見事帰伏したということです。 その方には僕が日蓮正宗に行った時に散々に破折したんですが、その時は分かるけど創価はやめれないし、池田先生が間違うとは思わないといっていました。 僕は面倒くさがりなんで、一度破折したらあとは放置プレーなんですが、4年の時を得て自動的にお寺に駆け込んで友人共々信徒になりました。

これが今回の件での最初の梵我一如さんのコメントです。4年前の梵我一如さんの下種が縁だったんですね。4年は経過しましたけど一人への下種が知らぬ間に二人に増えているところが凄いですよね。法が広まっていくプロセスを見ているようです。

 

一昨日は友人とそのまた友人の御受戒に参加してきました! そのまた友人はお寺の御本尊を拝して号泣

そしてこの二人の勧戒に参加された梵我一如さん。友人の友人は、お寺の本尊の前で号泣。梵我一如さんも言っていたけど本当にその気持ち「わかります」よね。やはり心の奥では大聖人を求めていたのでしょう。だけど創価に在籍していればその心を封印しなければなりませんからね。その封印が解け「本物の御本尊」を拝せた時の言葉では表せない気持ち。私もその瞬間のことを今でも覚えています。

 

感動の御受戒後にテンション上がったそのまた友人がソウカ時代に勧誘してしまった友人を折伏! なんと今日はそのまた友人のそのまた友人が御受戒を受けることになりました! 

ここが友人の友人さんのすごい所ですよね。お寺の「本物の御本尊」に感激してすぐに報恩感謝の折伏をする。もちろん最初の友人さんもこの友人さんを連れて戒壇大御本尊の許に戻って来たのだからスゴイです。梵我一如さんの眷属なんだなぁって思いました。

 

今日の御受戒は女性の方です。 すでに、珍聞も断ったそうです。(笑) 御本尊も持参で準備がいいね! 御受戒後に「あ〜、これでもう選挙頼まなくて済む〜。」と心からの声というのか、ほんとに安堵の表情で仰っていました。 

そして3人目の友人の友人の友人さんが勧戒。「選挙を頼まなくて済む」の言葉は、よ~く分かります。自分が公明党に投票するだけならまだしも、何か悲しくて自分の友人・知人に公明党への投票依頼なんかしなけりゃならないんですかね。「選挙は信心」なんて創価は言いますが、大聖人の御書のどこを読んでも「選挙は信心」どころか「政治は信心」とすら書かれていません。池田創価は選挙絡みで違法行為をたくさんしてきた過去(現在も)があるわけで、それが創価の選挙信心ならカルト信心と言われても仕方ないですよね。法令違反で逮捕者を出しているわけですから。でも今回勧誡を受けた3人はもうそんなことからオサラバですね。善哉・善哉。

 

友人とそのまた友人は毎日お寺に通って唱題をしているとのことです。

素晴らしいですね。古くからの法華講員さんだって寺院に参詣しない人は大勢いますからね。それを毎日通って唱題。私も似たような体験を経てきましたが、こういう人は法華講になっても寺院参詣を惜しまなようになります。最初からお寺が好きなんです。早く、ご自宅に御本尊様をお迎える出来るといいですね。

 

大石寺にも是非近いうちに行きたいと盛り上がりました。

御登山は早目に行けるといいですね。戒壇大御本尊にお目通りしたら、それこそ号泣ですよね。梵我一如さん、ナビしてあげてくださいね。私も機会が有れば梵我一如さんと愉快な仲間たちの皆さんと御山でお会いしたいです。

 

友人とそのまた友人とそのまた友人の三人が突然、性狂新聞をパタっと止めちゃって、座談会にもいかないし、選挙もやらないとなると! そう、ソッカー戦闘幹部がやってくるぞー!😭 三人とも大丈夫です!決意は堅いです!👍 と言ってはいますが、ソッカー幹部は創価国語を駆使して屁理屈の達人です。あらゆる意味不な詭弁を強弁してなんだかそうなのかな?ってなっちゃうかもしれません。😵

大丈夫ですよ。このような方達が創価に戻ることはありえません。とはいえ「先々の用心」は大切なので、先回りして創価国の連中が言ってきそうなことをレクチャーしておくのもいいかもしれません。梵我一如さんがいれば何の心配ないですけど。逆にソッカー幹部が気の毒にすら思えます。いや、ついでにそのソッカー幹部も折伏しちゃってください(笑)というわけで、取り急ぎかいつまんで梵我一如さんのコメントをUPしました。それにしても、創価員3人の数珠繋ぎ連チャン・3連コンボ折伏は本当に素晴らしいし嬉しい。創価を退会するだけでもいいことですが、その上で正宗に移籍するという事は、大謗法から大正法に帰依するのですから、地獄から仏界へ移ったことになりますからね。こんなに嬉しい事はありません。このブログを読んで一人でも多くの創価員さんが、このお三方に続いて欲しいと思います。また今回のコメントを読ませて頂いて改めて聞法下種をすることの大切さを確認させてもらいました。下種しなれば永遠に正法の芽は芽吹きませんからね。梵我一如さん素敵な報告をありがとうございました。またお三方のご友人の皆様、本当におめでとうございます!

 

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『化義抄』を学ぶ⑫(52~56条)

記事中の「赤文字」は『化義抄』から「青文字」は日亨上人の『註解』、「太字」は日達上人の『略解』からの引用文といたします。

 

【第52条】謗法の妻子眷属などをば連連教化すべし、上代は三年を限つて教化して叶わざれば中を違うべしと候いけれども、末代なる故に人も機も下根なれば五年十年も教化して、彼の謗法の所を折伏して同ぜらる時は正法の信に失なし、折伏せざる時は同罪たる条分明なり云云。

 

本条項は、自分の妻子や兄弟・親類縁者などの眷属への折伏を継続して行うことを御指南されています。大聖人・日興上人・日目上人の時代(上代)には3年間折伏して入信しなかった時はその妻子眷属とは絶縁すべしという掟でしたが、上代より時代が下った現在においては人の機根も劣るので5年、10年と継続して折伏教化をしていく事とされています。そのように継続して折伏教化をしていくならば妻子眷属等の謗法与同罪にはならないと言われています。逆に妻子眷属への折伏教化をしない時には自分が十分な信心をしていたとしても謗法与同となります。日亨上人は、

◇妻子眷属の謗法を世間一旦の慈愛に溺れて厳重に折伏せず或は教訓折檻を加ふる事ありとも型式一辺にして厳格の処置を為すの勇気なき者は仮令自己は型式の礼拝読経等を怠らぬにもせよ妻子の謗法と同罪たるべし。(註解第86条)     

と御指南されています。即ち「強く言うと嫌われるのではないか?」というような妻子に対する一時の愛情に溺れて折伏教化をしなかったり、或いは単に形式だけの折伏ではいけないということです。妻子眷属に対しては相手の為にもそして家庭や一族の為にも厳格に継続して折伏していくことが肝要です。もちろん、「信心をしなければ離婚だ。勘当だ。」というのは厳格ではなくただの短気、脅迫ですからそのような折伏は不可です。どこまでも真の愛情とは折伏をして大聖人の仏法へ導くことであるということを根本に妻子眷属への折伏を実践・継続していくことが本条項の御指南の趣旨です。

 

【第53条】当宗は折伏の宗なる故に山居閑居は宗旨に背く云云、然れども附弟を立てゝ後は宗旨の大綱に背かず云云。

 

当宗は折伏を旨とする宗派であるので安易な隠居は不可であるという条項です。「もう歳だから」「いままで沢山やったら」といって折伏もせず自宅にこもって唱題行や教学だけをすることは宗旨に背くことになります。ただし後継者を立てた後の隠居については必ずしも宗旨に違背することではありません。このことについて日亨上人は、

◇己れ老憊となり弘化奔走に堪へず徒弟の法器ありて此に堪ゆる者あれば、此を後任として、己は山居閑居するも宗旨の大綱たる折伏の意には背かずといへども、己れに代るべき徒弟も養育せず・且つ身心壮健にして閑遊安逸を貪るは大に宗旨に背くの罪人なり(註解52条)

と言われています。老いて自分の身体が不自由になり、かつ後継の弟子を育成していれば隠居して良いのです。ただし後継の弟子がいるからといって元気なうちに隠居するのは折伏の宗旨に違背します。日顕上人は、日如上人に血脈相承された後も楽隠居することもなく御隠尊猊下として御遷化の直前まで種々の御教導をされていました。それに比べ池田大作創価発表では「お元気」であるにも関わらず、「後継の弟子に全てを任せた」などと言って会員の前から姿を消しています。このような真似は本当に池田が「元気」であるならば本条項に違背する行為です。さらに言えば、在家の身においては後継の弟子に全て任すなどという考え自体が間違っています。『化義抄』はあくまでも法主上人・御僧侶方に対する御指南が主眼です。個人の在家の修行者たるものは、いかなる立場にあろうとも死の間際まで自行化他の修行を怠ってはいけません。「後継の弟子に任せる」など、とんでもない増上慢の言動です。

 

【第54条】他宗なれども祈祷を頼みて・後は此の病御祈祷に依て取り直し候はゞ・御経を持ち申すべき由約束の時は祈祷を他宗に頼まれん事子細無きか、左様の約束も無くして他宗の祈を成さん事は・謗法に同する条更に以て遁れ難し云云。 

 

他宗や無信仰の人から当病平癒の祈祷を依頼された時は、その相手が病気が完治したら必ず当宗へ入信すると約束をすれば御僧侶はその人の当病平癒の祈祷をしても良いが、その約束がないまま謗法不信の人の祈禱をするのは謗法与同になるという御指南です。信徒の立場でいうと未入信の人の祈祷を御住職などに依頼する時はもちろんですが、自分が御本尊に未入信の家族・友人・知人の当病平癒等の祈願をする時も、その相手を必ず折伏しますという強い思いがなければなりません。その思い無くして祈ってもその願いは叶いません。大切な家族や友人・知人の為に祈る時は相手が未入信であれば必ず折伏をするという心をもって唱題申し上げることが肝要です。

◇他宗謗法の人から、病気平癒の祈念を頼まれた時、もし、その人が病気平癒の後は、必らず正宗に信伏帰依すると誓約するならば、その他宗の人の依頼にて、当病平癒の祈念をして差支えありませんが、そのような誓約もなく、ただ頼まれたからとて、他宗謗法の人の祈念を行ってはいけません。もし、行えば与同罪となるのであります。

 

【第55条】学問修行の時は宗を定めざる故に他宗の勤め行事をなし、又他宗のけさ衣をかくる事一向子細なきか、宗を定むる事は化他門なり、学問修行は自身自行なるが故なり云云。

 

本条項は御僧侶のみに当てはまる条項ですので在家を対象としていません。御僧侶が修行中の時は仏法を学ぶ上で他宗の勤行したりや他宗の袈裟衣を着用することは許される。という内容です。昔は檀林等で他宗の教育機関(学校)に通っていた時期もありましたが現在では正宗においても自宗で教育機関も整備されているで本条項に書かれているような他宗の勤行や袈裟衣着用といった心配はありません。当然のことですが在家においては、いかなる理由があっても他宗の勤行をしたり他宗の本尊に礼拝することは固く禁止されています。ただし折伏・破折の為に他宗の教義や歴史を学ぶことは差し支えありません。また、御僧侶方も修行が終われば謗法は厳禁であることはいうまでもありません。

◇それは自身修行中で、自行のためですから差支えありませんが、一度学成り、行積めば、化他のため弘教するのですから、自分も一切謗法を厳禁の上に、折伏すべきであります。

 

【第56条】親先祖、法華宗なる人の子孫の経を持たざれども、真俗血筋分かるに皆何れの代なれども法華宗なるべし、根源となる躰の所、仏種を断つ時、自ら何れも孫ひこまでも断仏種なり、但他宗他門の真俗の人、法華宗の真俗の人に引摂せられ師範の所にて経を持つ人は、縦い引摂する真俗の人仏種を断つ故に不審を蒙るといえども引摂せられる他宗他門の真俗の人は仏種を断つ引摂せらるる人に同ぜずんば師範の不審を蒙るべからず云云。

 

本条項は、まずは親や先祖がしっかりと当宗の信仰を持っていたならば子孫が仏道修行を怠っている程度であれば当宗の信徒・檀家として認められますが、その一族の主が大謗法を犯すような事が有ればその家は当然、檀家としての地位を失い謗法・堕地獄の家系となると言われ、逆に自分を折伏してくれた僧俗が後に大謗法になったとしても、その教化親に与同しなければ当宗の信徒として扱われるという御指南です。この御指南故に私のような元創価員であっても寺院において差別されることはりません。また極稀に昔からの法華講員さんが元創価や元顕正を差別するような言動があると聞き及ぶことがありますが、もしそのような法華講員さんがいるならば本条に違背しているということを知って欲しいと思います。さて、創価民は「池田先生」や「創価学会」のお陰で大聖人の仏法に縁ができたから池田や創価に恩を感じているという人も多くいますが、今の池田創価戒壇大御本尊をすてた大謗法団体です。知恩・報恩は世法や道徳においては美しい心だと思いますが、仏法においてはいくら恩義が有ろうとも大謗法と与同するのは不可なのです。池田創価に対する報恩は創価の与同するのを止め戒壇大御本尊の許に戻り池田創価を破折し折伏することです。

 

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