創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

広布推進会に初めて参加しました。

先週のことですが、【広布推進会】の会合に初めて参加しました。というのも私の創価時代からの盟友であるS元副部長がそこで体験談の発表をする予定だったからです。しかしS元副部は体調不良で当日は不参加。でも私達の地区長さんがS元副部の書いた原稿を代読してくれました。彼の折伏体験は良く知っているので本人が発表する姿を見たかったのだけどちょっと残念でした。さて【広布推進会】というのは各寺院の御僧侶と講頭さんなどの法華講員が集まって折伏と育成を推進する会合です。最初に各支部(寺院)の成果の発表がありました。正直目標に対する進捗具合はかなり厳しい数字でしたがそれでも結構な人数が入信しているなぁって思いました。私の住む地域は全国で中盤あたりの順位でしたらほぼ全国平均の数字と思われるので全国的に法華講はそこそこ増えているのだと確認できました。体感では法華講は増えていると感じていましたが数字をあげられると体感が間違っていないと納得でした。創価陣営は正宗各末寺が折伏目標未達ばかりだとアナウンスをしますが、確かに目標未達の寺院は多いけどでも確実に折伏の成果は出ていて法華講は増えているも事実です。おそらく新たに法華講になった人の中には元創価民も相当数いると思いますからその分は創価民は減っているとうのも事実ですね。私は別に目標を達成することに越したことはないけど目標達成しなくても少しずつでも折伏が進んでいけばいいと思っています。大切なのは少しずつでも前進する事だと思ってます。その先に結果として目標を達成があるものだと思っています。また創価報道では法華講が御僧侶から折伏ノルマ達成の締め付けをされているようなアナウンスもしていますよね。では実際はどうなんだろうと【広布推進会】での御僧侶の指導を聞いていましたが、折伏・育成の大切は話されますが締め付けや煽りの指導はまるでなく激励の言葉ばかりでした。法華講になって創価の言う「ノルマ地獄」なんてモノは全く感じたことはなかったですが、【広布推進会】といういわば法華講の活動家ばかりが参加する会合でも「ノルマ地獄」と感じるような指導はないということが確認できました。むしろ創価の会合の方が「煽り」「叱咤」が多く厳しい指導が多かったですね。創価活動家時代の会合に比べると【広布推進会】は、悪く言えば「ぬるい」よく言えば「優しい」そんな感想を持ちました。そもそも『目標』と『ノルマ』は違いますね。『目標』は自分達の決めたもので『ノルマ』は他人から与えられたもの。ですから法華講折伏はあくまでも『目標』ですからもともと『ノルマ』なんてありません。創価の場合は『目標』という言葉を使っていますが、その実体はほとんどが『ノルマ』じゃないですか。どうですか?創価民さん?自分が自主的に決めた『目標』ってあるんですか?ともあれ今回【広布推進会】に初参加して色々と確認できてよかったです。そして今年はまだ個人折伏が成就していない自分としてはなんとか一人今年中に折伏を成就したいとあたらめて思い、日々唱題を申し上げています。「折伏は楽しく」という、私の創価活動家時代からのモットーを忘れずに楽しみながら折伏行をしていきたいと思います。

 

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五老僧超略伝④伊予阿闍梨日頂

伊予阿闍梨日頂は建長4年(1252)駿河国静岡県)重須の豪族・小林伊予守定時を父として産まれましが父が戦死し母が鎌倉に出て、その時に富木常忍と再婚しまし富木常忍の養子となりました。弟に後に日興上人の元で重須の学頭となった日澄師、妹に乙御前がいます。妹の乙御前は御書を承った日妙聖人の娘の乙御前とは別人です。日頂は富木常忍の香花寺であった若宮の真間弘法寺(当時は天台宗寺院)で出家し文永4年(1267)頃に大聖人に謁し弟子となり日頂の名をたまわりました。大聖人ご在世の時はこれいった功績はありませんが、富木常忍が釈迦仏を建立した時に大聖人に代理で開眼をしています。身延において大聖人の元で薫陶を受けていましたが熱原法難の際にも特別な活躍はしていません。ただ【伊予房は機量物にて候ぞ】【いよ房は学生になりて候ぞつねに法門きかせ給へ】と御書に書かれているように法門理解に関してはある程度大聖人の信頼を得ていたと思われます。大聖人が御入滅の時には葬儀も、その後の百日法要にも日向同様に「他行中」として不参加でした。他門流はこの向・頂の不参加について「止む得ない正当な理由があっただろう」という推測していますが、ならば逆に「他行中」の内容を誰も伝えていない方が不自然だと私は思います。だた日向同様、大師匠である大聖人の葬儀と百日法要のどちらにも不参加だったことは向・頂は弟子としての自覚に著しく欠けていたと思われても仕方ないでしょう。日頂においては養父・富木常忍が大聖人の葬儀に連なっていますから尚更「他行中」の内容が伝えられていないのは不自然です。さて、大聖人滅後の日頂は最初は真間弘法寺を弘教の拠点とし、永仁3年(1295)頃からは和名ヶ谷(現在の松戸あたり)を拠点に教線を張っています。養父・富木常忍は若宮の法華寺と真間の弘法寺を両寺一寺制を敷いていました。若宮法華寺の流れを中山門流といい弘法寺の流れを真間門流といいます。日頂は一応は真間門流ということになりますが、常忍の子でありながら法華寺弘法寺どちらも相続できませんでした。これは日頂が永仁元年(1293)に常忍に勘当されたためです。勘当の理由として中山門流では法華寺で行われた大聖人の3回忌法要に遅参し勘当されたという、いわゆる「泣き銀杏」伝説を用いていますが、真間門流では真間の俗別当(在家の寺院経営者)であった及河七郎宗秀の讒言により日頂は勘当されたという事になっています。及河七郎宗秀は我が子を弘法寺の主職にしようと企て邪魔者の日頂を落とし入れたわけです。当時、日頂は真言宗僧侶と通行がありそのことを常忍に讒言したということです。中山の「泣き銀杏」説より真間の及河陰謀説の方が有力と言われています。いずれにしても日頂の勘当は常忍が死ぬまで解かれることがなく、法華寺は帥阿闍梨日高(大田乗明の子)に弘法寺は日楊(及河七郎宗秀後見人)に相続し富木常忍は正安元年(1299)に無くなりました。(弘法寺の開山は日頂となっていて日頂から日楊に相続した説もあります)さて、日頂は常忍の死の翌正安2年(1300)3月まで和名ヶ谷にとどまり、その後に故郷の重須に帰ります。日頂は弟の日澄師の後を追うように富士に戻りましたが、重須に戻ってからの日頂の動向を伝える文書は何もなく詳しくは分かっていません。そして文保元年(1317)3月8日。66歳で入寂しました。日頂の母・妙常尼は日常寂後に重須に移り、日頂・乙御前とともに隠棲したと伝えられおり、その草庵が現在の重須・正林寺で日頂が開山となっており、日頂達の母(妙常尼)、日頂、日澄師、乙御前、定時の5人のお墓があります。

 

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法隆寺のクラウドファンディングに思う。

「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」の正岡子規の俳句で有名な奈良・法隆寺がCF(クラウドファンディング)で資金調達をしている報道がありました。コロナの影響で拝観料が激減して維持管理費を賄うためCFに踏み切ったようです。

世界遺産法隆寺ー1400年の歴史遺産を未来へー(法隆寺 2022/06/15 公開) - クラウドファンディング READYFOR

法隆寺聖徳太子が建立した寺院で世界最古の木造建築があるお寺です。そしてなんといっても世界遺産ですからね。多くの日本人が知っている超メジャーな寺院ですね。流石は法隆寺です。目標の2000万円を一日足らずで集め現在は5000万円超の寄付が寄せられたそうです。これが新興宗教団体には手に入らない権威というものでしょう。寄付した人の大半は法隆寺に対する信仰心ではなく文化遺産を残したいという気持ちで、いうならば被災地への義援金と同じような感覚で寄付したのだと思います。それだとしても歴史・文化を残し伝えようとする日本人が大勢いることは嬉しく思います。日本人の心もまだまだ廃れていないと感じることができ清々しい気分です。因みに法隆寺法相宗系の聖徳宗という宗派の本山です。聖徳太子建立の寺院なので聖徳宗です。信徒はおよそ2万人。と聞くと多いようですが新興宗教団体はもとより他の既存宗派と比べても恐ろしく少ないのです。それでも寺院を維持できたのは年間65万人と言われる参詣者の拝観料があったからです。法隆寺の拝観料はお高目の大人1500円ですから平均1000円の拝観料収入で換算すると65万人で年間6億超。コロナで参詣者が減少したとはいえ3億円超の収入があります。信徒2万人弱の宗派ですから3億でも十分だと思うのですがそれでは資金不足だそうです。コロナのせいにしていますが資金不足の根本原因は、拝観料に依存して弘教(信者獲得)を疎かにしていたからだと思います。弘教もせず、ただ寺院を管理をしているだけで6億超の入金がある。それに住職達が胡坐をかいてきた結果が今回の資金不足の最大の原因です。そもそも、宗教団体の目的とは自宗の教義を弘めることで、それはとりも直さず自宗の信徒を増やすことなのです。それを放棄した宗教団体は最早、宗教団体とはいえません。ただの観光事業です。CFしなければ寺院の維持管理ができないならば法隆寺は国営化すればいいと思います。宗教団体として弘教しないなら国営化しても政教一致になりませんから何の問題もありません。普段は弘教もせずに寺の儀式と手数料(拝観料)商売しているくせに金に困ったから皆さん寄付をしてください。っていうのは正直って法隆寺は既に宗教としてテイを成していないと思います。建築物や文化物を見世物にして供養を徴収すし、それで生活をするの事は僧侶として尊敬できるものではないです。法隆寺に限らず既存宗派のほとんどは弘教しないのが当たり前だというのが現代の風潮ですね。その結果、歴史や伝統を持つ多くの既存宗派は廃れ、創価幸福の科学のような新興宗教団体に信徒を奪われたのです。各宗派の宗祖・開祖が見たら今の既存宗派の体たらくをどう思うのでしょう。そんな中、既存宗派でおそらく唯一といっていいと思いますが日蓮正宗は弘教を旨としています。弘教するが故に世間からの批判もあります。世間どころか既存宗教の僧俗でも正宗を批判する人をみ受けます。しかし私はそんな日蓮正宗は素晴らしい宗派だと思っています。正宗においては拝観料もなければ賽銭箱もない。御供養をしたいと言われても信徒以外からの御供養は受け取らない。なのでCFなんて当然することもない。あくまでも信徒からの御供養だけで総本山及び末寺を維持管理しているのです。私はこの姿が本来あるべき宗教団体の在り方だと思ってます。人が大勢集まって拝観料や賽銭で経済的に潤ったとしても信徒が増えなければ宗教として何の意味もない。つまり有っても無くてもどっちでもいい存在です。現代の日本人の宗教離れは、宗教は有っても無くてもどっちでもいい存在であるという考えに起因することが多いと思います。信徒を増やし(弘教して)、信徒の御供養で運営していくのが正しい宗教団体の在り方だと思いますし、そうすることによって宗教は必要なものであると人々は思うようになるのではなきでしょうか。そういう意味において日蓮正宗は宗教の王道だと思います。逆に多くの他宗派は宗教としては邪道を歩んでいると思います。参詣者が減り拝観料の売り上げが下がって大変だから寄付してくださいなんて宗教人としては恥じるべきことだと思います。寄付した方々の真心は美しいと称賛できますが、法隆寺の僧侶達に対しては、「恥を知れ」と思うばかりです。ともあれ、日蓮正宗法隆寺のような窮状にいつなるや分かりません。いままでの宗史においても何度か大石寺が疲弊した時代もありました。それでも時の僧俗が一致団結して戒壇大御本尊を守ってきました。そうした歴史の上に私達は戒壇大御本尊をいただいています。これを後世に残すためには日蓮正宗の信徒としては折伏・弘教以外にありません。法隆寺のCFの報道を見て改めて日蓮正宗の素晴らしさと、法統相続を含めた折伏・弘教の大切さを感じました。

 

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いまだに「僧侶の妻帯がぁ」などと正宗誹謗する学会員を再び嗤う。

当ブログのストーカーブログである鯛焼き恥部長ブログで、またしても鯛恥部長が僧侶の妻帯を取り上げて正宗を誹謗しているようだ。(今時この話題を出してくる創価民はほとんどいないけどね)僧侶の妻帯については以前教えてやったのだが知識も智慧もない無教学の鯛恥部長には理解できなかったようだ。相変わらず、創価莫迦のひとつ覚えの日亨上人の『日興上人詳伝』の中の御指南を盾に減らず口を叩いているようだが、日亨上人は『魚鳥食開訓』で、

◇二百五十戒や十重禁戒や四十八軽戒が、すでに七百年一千年の昔、無益であった事はいうまでもない。日蓮大聖の御法の流れを酌む者は先刻御承知であるけれども、徳川政府三百年間の干渉に拵へあげられた一種異様な僧界の戒法は、今に社界一般に浸潤して、老人方が、僧風を品秩するの定規となっておる.彼僧は魚肉を食うたから生臭坊主だの、彼僧は女人と同衾したから破戒和尚だのとおっしゃる。幾分の理解あるような顔をしている青年達までも、少し御機嫌に叶わぬ事があると、老人並の旧思想に逆転して、無用の悪口をおっしゃるそうじゃが、現代に、其様人のあるのは夢のような真実事である。もっとも、禁欲斎戒を標榜にする宗門の坊さんなら、何と言われても、身から出た錆で、致し方もあるまいが、六百有余年の昔に末法無戒を喝破した日蓮大聖の門下には、迷惑千万の至りじゃ。いや、これは法華僧が徳川政府の俗権に押し付けられて聖僧顔になって、肉食妻帯の真宗僧侶などを虐めた報いかも知れんが、現代の者には、トンダ迷惑の事である

と明確に妻帯禁止などという戒法を否定しているし、そもそもが日亨上人ご自身が妻帯している事実を見れば亨師が妻帯を禁じる理由はない。百万歩譲って亨師が妻帯を禁じた御指南をしたとしても、亨師以降の法主上人は誰も僧侶の妻帯を禁じていない。大聖人の御聖訓に、

◆先判後判の中には後判につくべし(開目抄上)

とあるように御指南と言うのは前後に相違があれば「後」の御指南を取るのである。化義は時代によって変化するのだから当然のことである。日興上人の『遺誡置文』と日有上人の『化義抄』の内容も多少違っているが相違している部分については『化義抄』を取るのである。そのような御指南を拝聴する基本も知りもしないで言葉だけを我田引水するのが創価罵活動家の手口だ。そもそもが、歴代上人の書物なんて読んだこともないくせに知ったかぶっているのが莫迦すぎる。こんな調子で日亨上人の御指南を今の時代に持ちだしてきて「妻帯している僧侶は聖僧ではない」などという非難は見当違いも甚だしい。創価お得意の単に正宗の御僧侶にイメージを落とさんがための卑劣な印象付け発言である。さて、ここまでは妻帯・聖僧について正宗の見解について書いたが、では次に創価教側の見解を池田発言から見てみよう。創価教祖・池田大作は次のように発言している。(太字は池田大作スピーチから引用)

●この御遺誡は、大聖人・日興上人が、僧侶の「妻帯」を絶対に許されていない、という明確な文証である。「聖僧」とは、「清僧」とも書き、妻帯・肉食をしない僧をいう。(中略)「一旦のヨウ犯」どころか、妻帯したうえに、破廉恥な行動で宗風を汚し、猊座を穢し続ける法主。日興上人が明確に、そういう人間は「退座」せよ、「降格」せしめよと命ぜられているのである。それに逆らう者は、日興上人への反逆者である。(1992.10.24)

と『日興遺誡置文』を挙げてスピーチしている。(僧侶の妻帯を絶対に許されていないとか言う池田って本当に無教学すぎるww)しかして同じ口で池田は正宗を離脱した脱落坊主達を、

●真実の僧たる「日蓮正宗改革同盟」「憂宗護法同盟」「青年僧侶改革同盟」の皆さまも集われた。(1995.4.26)

●「改革同盟」「憂宗護法同盟」「青年僧侶改革同盟」の皆さまもおられる。邪教を離れ、邪教を斬り、責めておられる本当の僧侶である。私どもの同志である。(1997.4.21)

●また、改革同盟――″本当の僧侶″の方々もおられる。(1998.7.20)

と称賛している。池田だけはない。かの悪名高き聖教新聞での罵詈雑言の紙上座談会では、秋谷・谷川・佐藤浩なども脱落僧たちを、【真実の聖僧】と称している。さてさて、なんちゃら同盟の脱落僧たちだがヤツらみな「妻帯・肉食」をしているではないか。無知の池田が言うには、「聖僧」とは、「清僧」とも書き、妻帯・肉食をしない僧をいう。のではなっかたのか?ならば「なんちゃら同盟」の脱落坊主を「真実の僧」「本物の僧侶」と呼ぶのは完全な自語相違である。池田風に言えば「なんちゃら同盟」の脱落坊主は日興上人への反逆者じゃないか。(脱落坊主は反逆者で間違いないが)鯛恥部長は、日亨上人の御指南と整合性が取れないとかなんとか法華講員にインネンをつけているようだが、まずはオマエ等の教祖・池田大作の上記のスピーチの整合性を説明して見ろ。妻帯・肉食不可ならば、脱落創価坊主は「本当の僧侶」でも「真実の聖僧」でもない。これを認めるのか?脱落創価坊主が「真実の聖僧」ならば、妻帯・肉食と聖僧は全く何も関係ない。こっちを認めるのか?ええ、一体どっちなんだよ(嗤)鯛恥部長じゃなくていいから、だれか回答して見ろよ。池田・秋谷・谷川・佐藤etc、どうなんだよ?オマエ等の師匠の池田の発言だぞ。妻帯・肉食をしている「なんちゃら同盟」の坊主たちは聖僧なのか?聖僧じゃないのか?弟子としてキチンと答えてみろよ(嗤)また無回答か?(藁藁)まぁ所詮、こんなもんですわ。創価の連中なんてものは。法華講員も莫迦創価民に妻帯の件で誹謗されたら、この池田スピーチの自己矛盾を突いてカウンターを食わせてやればいいんですよ。創価民なんてモノは法門や法義を説明してやっても理解できるオツムはないから、この池田スピーチの矛盾を突いたほうがダメージを与えられます。それにしても鯛焼き恥部長の支部の部員さんが可哀そうだわ。こんなのが支部長なんだから。ある意味こんな莫迦支部長は滅多にいないから貴重っていえば貴重だけど(笑)それともやっぱり鯛焼き恥部長は支部の部員さんに嫌われているのかね。だから当ブログをスーキングしてストレスを解消しているのだろうか?まぁ恥部長は私は恥部長のブログを読んでチェックしているという妄想を抱いているようだけど、ゴメンね。まじ読んでね~んだわ(笑)でも他の方が読んでこちらに報告してくれてるから間接的は読んでいるから安心してね。感想はね~、相変わらずオマエ等(複数形)莫迦だよね(笑)あ、これは悪口じゃないよ。あくまでも個人的な感想だから(笑)

ばか【馬鹿/莫迦】とは 

  1. 知能が劣り愚かなこと。また、その人や、そのさま。

  2. 社会的な常識にひどく欠けていること。また、その人。

  1. つまらないこと。無益なこと。また、そのさま。

  1. 度が過ぎること。程度が並はずれていること。また、そのさま。

  1. 用をなさないこと。機能が失われること。また、そのさま。

  2.  

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御講拝読御書研鑽(2022年6月・祈祷抄)

大地はささばはづるるとも虚空をつなぐ者はありとも潮のみちひぬ事はありとも日は西より出づるとも法華経の行者の祈りのかなはぬ事はあるべからず、法華経の行者を諸の菩薩人天八部等二聖二天十羅刹等千に一も来つてまほり給はぬ事侍らば、上は釈迦諸仏をあなづり奉り下は九界をたぼらかす失あり、行者は必ず不実なりとも智慧はをろかなりとも身は不浄なりとも戒徳は備へずとも南無妙法蓮華経と申さば必ず守護し給うべし

 

今月の御講拝読御書は『祈祷抄』の有名な御文です。この御文については過去2度【創価教学じゃない御書講義】で記事にしています。

▼過去記事はこちら

創価教学じゃない御書講義(6月度座談会御書・祈祷抄) - 創価ダメだしブログ

創価教学じゃない御書講義(2021年6月座談会御書・祈祷抄) - 創価ダメだしブログ

 

過去の創価座談御書の範囲は当該御文の前半部分だけなので今日は後半の【行者は必ず不実なりとも智慧はをろかなりとも身は不浄なりとも戒徳は備へずとも南無妙法蓮華経と申さば必ず守護し給うべし】の部分を研鑽したいと思います。当該部分の「不実・愚痴・不浄・無戒徳」とは本文では別して法華経の行者と言われていますが、総じて言えば「不実・愚痴・不浄・無戒徳」とは末法衆生に共通します。末法の荒凡夫は本未有善の衆生ですから皆「不実・愚痴・不浄・無戒徳」の人間です。そうした末法衆生であっても南無妙法蓮華経を唱えれば諸天善神は必ず守護します。その理由は本抄の冒頭から当該御文の直前まで書かれていますが簡単に言うと仏菩薩を含めた十界の衆生法華経によって成仏できたので法華経とそれを説いた仏に対して必ず報恩すると誓いを立てたからです。もちろんここでいう南無妙法蓮華経を唱えるのは人法一箇の大御本尊を受持するという意で、単に南無妙法蓮華経の唱題をすれば守られるのではありません。ですから創価や顕正・身延等の信者がいかに唱題しようと諸天の守護はありません。しかし、法華講員でもなかなか祈りが叶わない時ってありますよね?その祈りが叶わないのには原因があります。

◆何に法華経を信じ給うとも謗法あらば必ず地獄にをつべし(曾谷殿御返事)

との御妙判にように「謗法」があると祈りは叶いません。謗法については『松野殿御返事』に書かれいる十四誹謗が有名ですが、我々、法華講員は戒壇大御本尊様に帰依したので大謗法の罪からは逃れています。しかしつい十四誹謗の謗法を犯してしまうこともありますよね。やっちゃいがちなのは「懈怠謗法」と「著欲謗法」ですよね~。むしろこの二つはセットといってもいい(笑)末法の荒凡夫の我々にはそうした謗法がありますので祈りが叶うのに時間がかかる場合があるわけです。

◆謗法に上中下雑の謗法あり(顕謗法抄)

との御教示のように法華講であっても下・雑謗法は犯してしまいます。そうした我々のことを「不実・愚痴・不浄・無戒徳」の法華経の行者といいますが本文ではそうした我々でも必ず祈りが叶うと大聖人は言われています。何故かと言えば御本尊の仏力・法力によって雑謗法等の小さな罪業は消えてしまうからです。日寛上人は、

◇懺悔と云ふ事大切てこさる。其の懺悔は如何様にするそ。(中略)善に付け悪に付け南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経と唱え奉れは、衆罪は霜露の如く消へ失て仏の仏心仏界となり、善根はは彌増長する程に、或い世事の営にさへられ、或いは世間の事にさえられて、縦仏前には向はざれとも手に珠数をは持たざれとも、只常住不断に南無妙法蓮華経を心に忘れ給はぬか尤肝要てこさる。(序品談義)

と御指南されています。即ち、勤行・唱題を実践すれば自然と日々の自身の謗法は消えていき善根は増長していくわけです。この罪障消滅と善根増長のバランスが整ったときに祈りは叶う訳です。故に法華経の行者の祈りのかなはぬ事はあるべからず」と大聖人は仰せなのです。では何故、勤行・唱題で謗法を消滅できるのかというと、これも日寛上人が

◇心に折伏を忘れて四箇の名言を思わずんば、心が謗法になるなり。口に折伏を言わずんば、口が謗法に同ずるなり。手に数珠を持ちて本尊に向かわずんば、身が謗法に同ずるなり。故に法華本門の本尊を念じ、本門寿量の本尊に向かい、口に法華本門寿量文底下種・事の一念三千の南無妙法蓮華経と唱うる時は、身口意の三業に折伏を行ずる者なり。是れ則ち身口意三業に法華を信ずる人なり。(如説修行抄筆記)

とその法理を御教示してくれています。即ち、勤行・唱題は自身に対する折伏であり、折伏とは悪を破し善を生じされることだからです。ここで1点だけ重要なことがあり、唱題の時は【心に折伏を思わなければいけない。ということです。折伏ができる・できない、やる・やらない、ではなくまずは最初に心の中で「折伏をしたい」と思うことが重要になります。「折伏」を思わずに自分の願いだけを唱題していたら自身の謗法が消えないのでいつまでたっても祈りが叶わないのです。もちろん、自分の願いは好きなだけ祈ってください。最初に「折伏したい」と思うことを忘れなければ祈りは絶対に叶う。私はそのように心がけて日々の勤行・唱題をしています。

 

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さよなら、創価御書。

先月、ずっと使っていた創価版御書から現在の正宗版御書へ変更作業が終わりました。変更作業というのは御書の要文にマーカーを引く作業だったのですが、約4年かけてようやく正宗版御書の全要文へのマーキングが完了したわけです。正宗に移籍後すぐに正宗版御書を購入しましたが他に読みたい書籍がたくさんあって、その合間に御書移管作業をしていたので結構な時間がかかってしまいました。だたその甲斐があって4年かかりましたが正宗版御書を全編読破することができました。

左がいままでの創価版御書で右が正宗版御書です。こんな感じで2冊の御書を並べて対称しながらマーキングをする作業をしていたわけです。これで今まで使っていた創価版御書はお役御免となりました。創価版御書は本当に貧乏している時に、なけなしのお金で買った思い出深き御書ですから捨てずに保管しておきたいと思ってます。しかし四半世紀以上も使っていたので結構ボロボロです。

目次のページなんて本体から取れちゃって分冊状態になっていますし、

御書カバーもこんなにボロボロ。これでも御書カバーは3代目なんですよ。書き込みもほぼ全ページに「これでもか!」というくらいしてあります。創価時代のメンバーから私の御書はどこが本文でどこが書き込みか分からないってよく言われましたが自分では分かっているので無問題です。いま昔の書き込みを読み返すと、「こんなことも分からなかったのかぁ」「こりゃ完全に池田教学だな」と思う書き込みも多く、恥かしいやら懐かしいやらです。それだけ教学的に成長できたんだなぁってしみじみ思います。御書研鑽で一番の思い出は御義口伝の研鑽です。知人の学会員から当時は持っていなかった『御義口伝講義』を借りて活動の合間に1年くらいかけて全編研鑽しました。この時に『法華文句』が欲しいってつくずく思いました。『観心本尊抄』『生死一大事血脈抄』などは部活等でよく講義しましたね~。今から思えば池田創価流会通でダメ講義ですが、それでも日寛上人の御指南(文段など)を基本に講義していましたから当時の自分としては池田創価教学にどっぷり浸かっていなかったと自負しています。(まぁ基本ダメなんだけど)それとこの御書は広宣部時代には法華講顕正会・身延・仏立宗などとの対論の時に良き相棒として常に私のそばにありました。「ああ、この御文は顕正会の対論の時によく使ったな」なんて思い出しながら作業をしていました。色違いの付箋がたくさん貼ってありますがMyルールに則って色違いにしているんですよ~。よく引用する御文はだいたい何ページにあるか分かってしまう位に使い込んだこの創価御書もこれで引退となります。これからは正宗版御書に研鑽の書き込みをしていき御書名でページが分かるくらいになりたいですね。また御書研鑽と並行して聖典の御文も研鑽していきたいと思ってます。そんなわけで、さよなら創価御書。いままでありがとう!長い間お疲れ様でした・・って定年退職する課長さんかい!

 

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『化義抄』を学ぶ⑪(46~51条)

記事中の「赤文字」は『化義抄』から「青文字」は日亨上人の『註解』、「太字」は日達上人の『略解』からの引用文といたします。

【第46条】当宗の経を持つ人、二親をも当宗の戒名を付けて又仏なんども当宗の仏を立つる時、初七日より乃至四十九日百箇日乃至一周忌乃至十三年・三十三年までの仏を立てて訪わん事然るべし云云、何れの時にても年月日などは訪わん時を始めとして仏も書く事・子細に能わず云云。

 

本条に書かれている「当宗の仏を立つ」とは本尊のことではなく塔婆や位牌のことです。塔婆・位牌も本尊同様にその原理は草木成仏ですのでここでは塔婆や位牌のことを「仏を立てる」と表現されています。本条項は亡くなった両親が未入信であっても自分が当宗の信徒で願主になれば忌日・年回はもとより、いつでも自分が思い立った時に塔婆を立てて追善供養をしても構わないし、故人に戒名もつけもらえるという条項です。私も法華講に移籍して最初に学会員のまま亡くなった父の塔婆供養をしました。創価は会員を寺院から離す目的で塔婆・戒名は不要だと盛んに宣伝していますが戒名も塔婆も大聖人の時代から存在する化義です。しかも創価のインチキな所は塔婆を否定しておいて位牌は否定しないというところです。前述したように塔婆も位牌も原理としては草木成仏の義ですから用途としては同じなのです。それにもかかわらず塔婆はダメで位牌はOKといういい加減な事をいうのが創価です。(もっとも学会葬で使う位牌は誰が書いたかわからない題目のシールを貼ってあるだけのこれまたインチキ位牌ですが)因みに創価の一部会館の一室は『恩師記念室』として牧口・戸田の両会長の位牌は安置されているそうです。なんの意味があって両会長の位牌を安置しているのかは不明です。ともあれ創価・顕正から正宗に移籍したならばまずは先祖の塔婆供養をすることが大切だと思いますし、法華講になればいつでも好きな時に追善供養をすることができます。

 

【第47条】学問修行の時、念比に一字一句をも習い候人、死去なんどの時は、経も読み仏をも立てて霊供なんども備えて、名を付け訪わん事子細に能わず、其の謗法の執情をこそ同ぜられ、死去の後執情に同せずして訪わん時子細なきか、縦い存生たりと云うとも其の謗法の執情に同ぜずして祈祷もなさん事子細なきか。

 

当宗信徒が、亡くなった未入信の世間的な恩人や友人・知人に対して回向や塔婆供養、戒名を付けてもらうことは構わないし存命中でも例えば当病平癒などその人の為に祈祷するすることは差し支えありません。ただし、その人の謗法を容認してはいけない。というのが本条項の御指南です。私は、池田大作が死んだときには塔婆を立ててあげようと思っています。同じように思っている元創価法華講員さんもいると思います。何といっても創価員は池田に対し塔婆供養もできませんから。もちろん、池田の謗法は金輪際許さないし破折し続けます。また池田に対する報恩の念や恋慕の気持ちなど毛筋ほどありません。ただ死んで無間地獄で咽び泣く池田大作と師匠の為に塔婆の1本も立てることもできない創価民の哀れな師弟の姿を悲しむだけ。その思いで池田が死んだ暁には塔婆供養を【してやろう】と思ってます。創価民が本当に池田を大切な師匠だと思っているなら正宗へ移籍し池田の当病平癒を祈り、死んだ後には塔婆を立てて追善供養をするのが正しい弟子の道ですが今の創価員にはその法理・道理も通じません。池田の自業自得とはいえ哀れなものです。【あしき弟子をたくはひぬれば師弟・地獄にをつといへり】との御文にもあるように池田を無間地獄へと誘うのは他でもない創価員達なのです。そして池田が死んだ後に正しい追善供養をしてくれのは池田を批判している私のような元創価法華講員だけですね。ご愁傷様です。

 

【第48条】父親は他宗にて、母親は法華宗なる人、母親の方にて其の信を次ぐべき聞、彼の人には経を持たすべきなり、其の故は人の種をば父の方より下す故に、父は他宗なるが故に、母方の信を次ぐべき人には初めて経を持たすべきなり云云。

 

両親が父親が邪宗で母親が当宗の信仰をしていた場合、その子が信心を受け継ぐならば子供に御本尊を受けさせなさいという御指南です。

◇父親が他宗謗法の人で、母親が本宗の信心を持てる時、その子息は、信心の血脈は母親より継ぐのでありますから、その子息には本因下種の題目を唱えしめるのであります、そのわけは、人の種性は父親より受けることは勿論でありますがその父親は他宗謗法でありますから、仏種にかぎりては、母親から継ぐべきであります。

例えばご主人が創価で奥さんが法華講だった場合、その子供にはきちんと御受戒をうけさせて仏種を相続させる法統相続が大切になるということです。しかしそれとは別にやはり一家和楽を目指し家族への折伏を祈り成就させることが、難しい事かも知れませんが一番だと思います。

 

【第49条】白腰をさしたる摺をば法華宗の僧も著べし染袴きべからず。

 

「白腰をさしたる摺」とは白い糸で腰の部分を縫っている袴のことで当宗の御僧侶は派手な色の袴を着用せずに地味な色合いの袴を着用すべきであるという御指南です。

 

【第50条】一里とも他行の時は十徳を著すべし裳付衣のままはしかるうべからざるなり、裳付衣は、勤行の衣なるが故に、ただし、十徳の上に必ず五帖けさをかくべきなり、只十徳計りにては真俗の他宗に不同なきなり。

 

本条項は昔の当宗の御僧侶の外出着についての御指南で現在では十徳を着る人もいないので無実の条項です。あえて言うならば御僧侶はあまり奇抜で派手なファッションをしてはいけない。ということでしょうか。

 

【第51条】有職・免許の後は状などには有職を書くべし、緩怠の義にあらず、俗の官堵寿領の後、状並びに着到なんどには書くが如し云云。

 

本条項は御僧侶に対する御指南で我々信徒にはあまり関係が無い条項です。内容については以下の日達上人の略解を参考にしてください。

◇緩怠は、前述のごとく失礼の意。官堵寺領とは、官堵は仕官、寿領は受領で、国守となるをいう。着到とは、役所に他地から出仕した時に書く到着名簿のこと。僧が阿闇梨号を法主から免許になれば、手紙等には、阿闇梨号を書くべきであります。たとえば、俗間において任官しあるいは国守になった後は、手紙あるいは出仕の到着名簿には、任官名や役名を書くごとくであります。

 

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