創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

法隆寺のクラウドファンディングに思う。

「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」の正岡子規の俳句で有名な奈良・法隆寺がCF(クラウドファンディング)で資金調達をしている報道がありました。コロナの影響で拝観料が激減して維持管理費を賄うためCFに踏み切ったようです。

世界遺産法隆寺ー1400年の歴史遺産を未来へー(法隆寺 2022/06/15 公開) - クラウドファンディング READYFOR

法隆寺聖徳太子が建立した寺院で世界最古の木造建築があるお寺です。そしてなんといっても世界遺産ですからね。多くの日本人が知っている超メジャーな寺院ですね。流石は法隆寺です。目標の2000万円を一日足らずで集め現在は5000万円超の寄付が寄せられたそうです。これが新興宗教団体には手に入らない権威というものでしょう。寄付した人の大半は法隆寺に対する信仰心ではなく文化遺産を残したいという気持ちで、いうならば被災地への義援金と同じような感覚で寄付したのだと思います。それだとしても歴史・文化を残し伝えようとする日本人が大勢いることは嬉しく思います。日本人の心もまだまだ廃れていないと感じることができ清々しい気分です。因みに法隆寺法相宗系の聖徳宗という宗派の本山です。聖徳太子建立の寺院なので聖徳宗です。信徒はおよそ2万人。と聞くと多いようですが新興宗教団体はもとより他の既存宗派と比べても恐ろしく少ないのです。それでも寺院を維持できたのは年間65万人と言われる参詣者の拝観料があったからです。法隆寺の拝観料はお高目の大人1500円ですから平均1000円の拝観料収入で換算すると65万人で年間6億超。コロナで参詣者が減少したとはいえ3億円超の収入があります。信徒2万人弱の宗派ですから3億でも十分だと思うのですがそれでは資金不足だそうです。コロナのせいにしていますが資金不足の根本原因は、拝観料に依存して弘教(信者獲得)を疎かにしていたからだと思います。弘教もせず、ただ寺院を管理をしているだけで6億超の入金がある。それに住職達が胡坐をかいてきた結果が今回の資金不足の最大の原因です。そもそも、宗教団体の目的とは自宗の教義を弘めることで、それはとりも直さず自宗の信徒を増やすことなのです。それを放棄した宗教団体は最早、宗教団体とはいえません。ただの観光事業です。CFしなければ寺院の維持管理ができないならば法隆寺は国営化すればいいと思います。宗教団体として弘教しないなら国営化しても政教一致になりませんから何の問題もありません。普段は弘教もせずに寺の儀式と手数料(拝観料)商売しているくせに金に困ったから皆さん寄付をしてください。っていうのは正直って法隆寺は既に宗教としてテイを成していないと思います。建築物や文化物を見世物にして供養を徴収すし、それで生活をするの事は僧侶として尊敬できるものではないです。法隆寺に限らず既存宗派のほとんどは弘教しないのが当たり前だというのが現代の風潮ですね。その結果、歴史や伝統を持つ多くの既存宗派は廃れ、創価幸福の科学のような新興宗教団体に信徒を奪われたのです。各宗派の宗祖・開祖が見たら今の既存宗派の体たらくをどう思うのでしょう。そんな中、既存宗派でおそらく唯一といっていいと思いますが日蓮正宗は弘教を旨としています。弘教するが故に世間からの批判もあります。世間どころか既存宗教の僧俗でも正宗を批判する人をみ受けます。しかし私はそんな日蓮正宗は素晴らしい宗派だと思っています。正宗においては拝観料もなければ賽銭箱もない。御供養をしたいと言われても信徒以外からの御供養は受け取らない。なのでCFなんて当然することもない。あくまでも信徒からの御供養だけで総本山及び末寺を維持管理しているのです。私はこの姿が本来あるべき宗教団体の在り方だと思ってます。人が大勢集まって拝観料や賽銭で経済的に潤ったとしても信徒が増えなければ宗教として何の意味もない。つまり有っても無くてもどっちでもいい存在です。現代の日本人の宗教離れは、宗教は有っても無くてもどっちでもいい存在であるという考えに起因することが多いと思います。信徒を増やし(弘教して)、信徒の御供養で運営していくのが正しい宗教団体の在り方だと思いますし、そうすることによって宗教は必要なものであると人々は思うようになるのではなきでしょうか。そういう意味において日蓮正宗は宗教の王道だと思います。逆に多くの他宗派は宗教としては邪道を歩んでいると思います。参詣者が減り拝観料の売り上げが下がって大変だから寄付してくださいなんて宗教人としては恥じるべきことだと思います。寄付した方々の真心は美しいと称賛できますが、法隆寺の僧侶達に対しては、「恥を知れ」と思うばかりです。ともあれ、日蓮正宗法隆寺のような窮状にいつなるや分かりません。いままでの宗史においても何度か大石寺が疲弊した時代もありました。それでも時の僧俗が一致団結して戒壇大御本尊を守ってきました。そうした歴史の上に私達は戒壇大御本尊をいただいています。これを後世に残すためには日蓮正宗の信徒としては折伏・弘教以外にありません。法隆寺のCFの報道を見て改めて日蓮正宗の素晴らしさと、法統相続を含めた折伏・弘教の大切さを感じました。

 

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