創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

牧口常三郎は平和主義者でもなければ反戦活動もしていない一般的日本人です。

今日は、創価学会の初代会長の牧口常三郎氏の誕生日だ。創価史によると牧口氏は反戦・平和主義者ということになっている。私も創価活動家時代にはそのように教わりそう信じていた。当時はいまと違い情報が簡単に入手できなかったのでいとも簡単に信じてしまった。しかしいまはネットで何でもすぐに調べられるので牧口氏の当時の言葉をや行動を知ることができる。例えば天照太神の御礼をお祭りするとかの問題は、萬世一系の天皇を二元的に考え奉る結果であって、吾々は現人神であらせられる天皇に帰一奉ることによって、ほんとうに敬神崇祖することが出来ると確信するのである。またこれが最も本質的な正しい国民の道だと信ずる次第である。(大善生活実証録)】との言葉から牧口氏が天皇中心の国家観を持っており神札を受けない理由が戦争に反対していたからではなく、天照大神天皇を同列に並べてはならないという思考から神札を祀らないと主張していることが分かるし、【若し日本をして、英国や独逸(ドイツ)或(あるい)は丁抹デンマーク和蘭(オランダ)等の如く、近隣に直接に強圧力を以て居る強国があつたならば、平常大なる力を其方面に向けて防御に努めなければならぬし、若し又我国が周囲に斯る恐るべき強敵がなくして、却って日本を恐れる処の弱い国家があるならば、又其れ相応に力を用ひなければならぬ(牧口常三郎全集・第4巻)】との発言は自国防衛だけでなく弱国に力を行使せよと、いわゆる侵略戦争を認めているどころか推奨している。同様の発言はネットを検索すれば他にもたくさんある。しかし逆に牧口氏から戦争そのものに反対する発言は見当たらない。また史実として創価教育学会の初期は赤化教員に対する転向指導を行い特高警察と蜜月の関係を結んでいたし、創価教育学会の発足当時の顧問に貴族院議員や官僚の他に海軍大将・野間口兼雄氏や台湾総督・太田政弘氏が名を連ねている。反戦・平和・反天皇制の思想を牧口が持っていたなら軍人や植民地支配の最高責任者に顧問の要請をするわけがない。では牧口氏はどうして逮捕・投獄されたのか。それは氏の有名な【一宗が滅びることではない、一国が滅びることを、嘆くのである。】の一言に凝縮されていると思う。この言葉には当時の牧口氏の思想が滲み出ている。【一国が滅びるのを嘆く】というのは日本の敗戦を嘆くことで逆説的に言えば日本の戦勝を願っているのという反戦主義とは言い難い思想がある。そして【一宗が滅びること】を何とも思わないというのは牧口氏の大聖人仏法に対する浅識と弱信を物語っている。ここから分かることは、牧口氏の獄死は世法で言えば大聖人仏法に対する無理解ゆえに吶喊し不敬罪治安維持法の国法を犯し、仏法で説明すれば大聖人仏法を悪しく敬って日本の戦勝を願ったからである。決して反戦思想など持ち合わせていないし実際に反戦活動をしたこともないし、大聖人の仏法に対する護法の精神があったのではない。牧口常三郎氏の実像は「日本の戦争での勝利を願う」当時どこにでもいる一般的な日本人の思想そのものなのであり、それは悪い事でもなければ非難されることでもない。確かに戦争なんて誰もしたくないが、戦争が始まってしまえば自国の勝利を願うのは当然だからだ。自分の愛する人々や故郷・祖国を守りたいと願うのが何故いけないことなのか。戦争に勝利したい祖国を守りたいと思うことが「悪」なのだろうか。私はそうは思わない。だからこそ創価牧口常三郎氏に対する捏造歴史には腹が立つのである。何故ならそれは牧口氏の愛国心を傷つけることであり氏に対する冒涜であるからだ。そもそもが創価反戦・平和などと言い出したのは池田大作が会長になってからの事である。牧口常三郎氏は愛国心あったが大聖人の仏法を素直に信仰することができなかった単なる一個人であり一信徒である。創価の言うような反戦・平和主義者でもなければ大聖人仏法を守った人間でもない。当時の一般的な日本人であり偉人も何でもないのである。でも別にそれでいいじゃないか。歴史を捏造して偉人に祭り上げなくてもいい。ただそうしなければならないのが新興宗教団体の創価の哀しい所でもある。牧口・戸田・池田と伝説にしなければ組織を維持できないのは中身が空っぽだからである。ともあれ牧口常三郎氏が反戦・平和主義者であったという根拠は創価大本営発表以外には何もない。それが歴史の事実である。

 

▼一日「イチ押し」お願いします!

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 創価学会 批判・告発へ
にほんブログ村


創価学会ランキング