創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

題号だけの御書講義⑦(如説修行抄)

今月の題号だけの御書講義は「如説修行抄」です。この題号には通別二義があります。「如説修行」とは通じて言えば(一般論として)「教」に訳せば内外・大小・権実全てに通じ「時」に約せば在世・滅後に通じます。「教」に約すとは、外道や小乗教・各爾前・権経に全てにおいてそれぞれに教主が存在し教主の「教え」が存在します。その教主の教え「如説」の通りに修行をすることを「如説修行」といいます。「時」に約すとは、1・人法相対、2・師弟相対、3・自行化他の三義があります。1人法相対とは「如説」は法・「修行」は人。2師弟相対とは「如説」は師説・「修行」が弟子。3自行化他とは「如説」は人に向かって説くので化他・「修行」は自行。という事です。この三義は在世・滅後のどちらにも通じる解釈であるということです。このように一応「如説修行」とは全ての教えと三時をまたいで存在しますが、別して言えば、「如説修行」とは、「教」に約せば文底観心の如説修行であり「時」に約せば末法今時の「如説修行」の人法・師弟です。その別しての大聖人仏法における「如説修行」が書かれているのが本抄です。この題号を細かくみていくと、「如」とは如来のことであり「人」=「仏」で人本尊の日蓮大聖人のことです、「説」とは如来の説法であり「法」=法本尊の南無妙法蓮華経です。従って「如説」とは人法一箇の法体である本門の本尊=戒壇御本尊です。また「修」とは「修める」ということなので自行。「行」は実際の行動ですから化他です。従って「修行」とは自行化他に亘る本門の題目です。そして本門の本尊である大御本尊を信じ本門の題目である信行の題目を唱えるその姿・場所が本門の戒壇ですから、この「如説修行抄」の題号にはこのように三大秘法が含まれているわけです。さてこれを師弟相対義に当てはめれば「如説」=戒壇大御本尊を「師」として自行化他の題目を唱えるのが大聖人仏法の正しいそして根本の師弟相対です。とはいえ御本尊そのものは言葉を発しませんから、大御本尊より法水写瓶を受けられた御当代猊下及び歴代上人のご指南に従い修行することが、正しい「如説修行」になるわけです。例えば今の創価池田大作氏の小説を学びその小説のごとき修行することを師弟不二と呼び「是」としていますが、その修行は通じて創価の「如説修行」であり、別して大聖人の「如説修行」ではありません。即ち本門文底の観心の修行ではなく、末法今時の修行でもないのです。学会活動とは学会の修行であり外道の修行なのです。このような外道の修行は謗法になっても功徳にはなりません。まさに創価は本抄本文にかかれている「物怪」なのです。前述しましたが「戒壇大御本尊(如説)を受持(修行)する」ことが大聖人の門下の「如説修行」です。さて本抄の本文には如説修行の具体的な修行のひとつとして

◆一乗流布の時は権教有つて敵と成りてまぎらはしくば実教より之を責む可し

とのご指南があります。まさしく戒壇大御本尊を捨てたのにも関わらず「日蓮仏法」などと吹聴している創価のごとき謗法を責めることが大切な如説修行です。その為には日々の勤行・唱題です。この唱題(受持)の一行に全ての修行が含まれるのです。100日唱題行の最中です。一日2時間はできなくても各人の生活のなかで出来る限りの「如説修行」をしてきましょう。私もいまのところ毎日2時間唱題続いています。


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