創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

御講拝読御書研鑽(2020年4月・三大秘法禀承事)

題目とは二の意有り所謂正像と末法となり、正法には天親菩薩竜樹菩薩題目を唱えさせ給いしかども自行ばかりにしてさて止ぬ、像法には南岳天台等亦南無妙法蓮華経と唱え給いて自行の為にして広く他の為に説かず是れ理行の題目なり、末法に入て今日蓮が唱る所の題目は前代に異り自行化他に亘りて南無妙法蓮華経なり

今月のお講も中止になったけど今月のお講の御書のテキストが地区長さんからLINEできたので研鑽してみます。今月は三秘抄の題目についての部分が拝読箇所です。「題目」という言葉を研鑽するときに留意すべき点は、大聖人が「題目」と言われた時は、「法体」としての題目と「修行(相)」としての題目と2通りの捌きがあるということです。「体」と「相」ですね。これは次下の「戒壇」も同じなんですけど「戒壇」にも「体」と「相」があります。ここをごちゃ混ぜにするのが創価の題目義であり顕正会戒壇義です。この「体と相」の立て分けをしっかりしないと創価や顕正に騙されたり法論等で誤魔化されたりするので注意してください。さて本文にはいるけど「題目」というのは法体に約すと「一念三千」とも呼びます。この一念三千の題目には法華迹門・法華文上と法華文底の3種類があります。三重秘伝抄(六巻抄)に詳しいですが今日は割愛します。そのうち正像法の題目(一念三千)は、3種の題目のうちの法華文上の本迹の一念三千の題目なのです。少し前に「種熟脱」や「久遠元初」の記事に書いたようにこの法華文上の一念三千の題目は「脱」の題目です。よってこれは他人に説くべき題目なのではありません。なぜなら正像の衆生は皆、本已有善ですから下種の必要はなく自行のみで事足りるからです。これに対し大聖人の一念三千の題目は文底本因の「種」となる題目であり、末法は皆、本未有善の衆生ですから自行のみならず化他にも亘るわけです。簡単にいえば正像の題目とは単に修行のみ題目であり末法の題目とは「法体」と「修行」が一体の題目です。これが「理の一念三千」と「事の一念三千」の違いになります。

次に末法の修行としての題目ですが本文では「自行」と「化他」があると言われています。いうまでもなく「自行」とは勤行・唱題であり「化他行」とは折伏ですね。「折伏の大事」はご住職や法華講の幹部や諸先輩に事あるごとに指南・指導をされていると思います。何故折伏が大事なのか?その理由はたくさんありますがここでは書きません。いろいろと書いたところで「折伏」をやろうとかやりたいとか思わないでしょ?(笑)法華講の幹部の人達もあれこれ言った所で即折伏をする人は増えない事は重々承知だと思います。私も創価時代に弘教長をやっていましたが折伏は本人がやりたいと思わない限りできないわけです。じゃぁどうしたら「やりたいと」思えるのかが問題なわけです。私の信条としては自行即化他なんです。日寛上人は観心本尊抄文段で、

◇自行若し満つれば必ず化他有り。化他は即ち是れ慈悲なり

とご指南しています。つまりですね、折伏というのは「自行」が満ちれば必ずやりたくなるんです。「折伏できない」「折伏しようと思えない」「折伏する勇気がない」というのは、まだ「自行」が満ちていないからなんです。だからまづ「自行」をキチンとやる事から始めれば必ず折伏をしたくなり折伏をしたくなれば必ず折伏は成就します。では具体的に「自行」とは何をするのか?と言えば勤行・唱題とあとは教学です。日々の勤行唱題ができるようになり題目を上げることが苦ではなくなり、なおかつ御書をはじめとする教学を日々学んでいけばやがて「自行」は満る時が来ます。「自行」が満るときがくれば自然と折伏ができるようになります。例えば何か覚えれば誰かに自然と話したくなるでしょ。気持ちよく勤行・唱題をして大聖人の仏法を学んで覚えたら自然と誰かに話したくなるんです。だからいま「折伏ができない」「折伏する気が起きない」ということで悩んでいる法華講員さんがもしいたならば、何もそんな事で悩む必要はありません。一旦、折伏の事は忘れて朝晩の勤行と唱題をしっかりやって毎日少しでもいいから御書を読んだり学んだり「自行」に専念すればいいわけです。そして自分が「折伏をやってみたいなぁ」って思ったらやればいい。何も無理やり折伏しなきゃなんて自分の言い聞かせることはありません。観心本尊抄文段には次のようなご指南もあります。

◇我等が信力、行力は必ず法力に依って生ずるなり。若し水なくんば則ち蓮華生ぜず、若し法力なくんば何ぞ信行を生ぜん。この故に本尊を仰ぎ奉り法力を祈るべし。水に依って蓮華を生ずと雑も、若し日光を得ざれば則ち翳死疑わざるが如く、我等法力に依って信力・行力を生ずと雖も、若し仏力を得ざれば信行退転さらに疑うべからず。蓮華の若し日光を得れば則ち必ず能く栄え敷くが如く、我等仏力を蒙れば則ち信行成就して、速かに菩提を得るなり。

大御本尊を信じて「自行」に励めばその法力・仏力によって必ず信力・行力が生まれますから安心していいのです。これが私の自行即化他の原則です。たしかに来年の宗祖生誕800年という節目までも目標はあるかもしれませんが折伏は来年以降も続くわけですから焦ることなくまずがしっかりと「自行」を励むように頑張りましょうね。


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