創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

波田地チャンネルを見てみたが。

創価新報と言えば、元創価新報の記者で平成の宗創問題の時に対宗門の創価教学を考案し大作センセから褒章までもらいながらいまでは仏敵として創価からバッシングされている波田地克利氏。俺は広宣部時代にはその名を聞かなかったがその後その名と主張を知り確かに広宣・教宣で使われている対宗門ロジックは波田地氏の考案した論説が使われている。その波田地氏が昨年ユーチューブに「波田地チャンネル」なるチャンネルを開設してSNSで話題になった。ユーチューバーでひと儲けと思ったのだろうが、チャンネル登録者も再生回数も伸びておらず思惑が外れたかもしれないね。俺も年末年始の休みを利用して全部で3つの動画を見てみたがまぁ内容は現創価執行部批判が大半で俺としてはあまり興味がない分野なので飛ばし飛ばしみていた。俺が聞きたかったのは波田地氏の大聖人仏法に関する法門法義の話だったのが、最初の動画の7分目くらいからの彼の発言を聞いてだいたい察してしまい以降は彼の動画というより彼の教学力に興味を失った次第である。そこで語られていた内容とは概ねこうである。「創価仏法の根本は戸田2代会長の獄中の悟りと大御本尊なのだが戸田会長の言っている大御本尊と大石寺戒壇の大御本尊は別個のものだ」とこう言う事である。もうこれを聞いた瞬間に波田地氏の教学の底が見えた気がした。氏が言うには創価学会は「創価仏法」というジャンルらしくてその原点は戸田会長の獄中の悟達にあるそうだ。これは誰が聞いても「仏法」ではない。これを「仏法」というならば戸田が仏であることを論証しなければならない。そのためには戸田がいつ・どこで・どんな修行をして仏になったのかという論理歴な論証が必要であるがそんな論証はできるわけない。彼の言う「創価仏法」などという仏法などどこにも存在しないのである。そもそも戸田の獄中の悟達そのものが何を悟達したのか分からない。戸田は「大御本尊とはいったが大石寺の板曼陀羅戒壇大御本尊とは言っていない」とのことだがそれは至極当然の話である。なぜなら獄中の戸田は大聖人仏法が何たるかをほとんど理解できていない状態だったからだ。戸田が牧口とともに入獄するまでの戸田の信心はどんな状況であったと言えば、師と仰ぐ牧口に付従っていたに過ぎない。その牧口の信心と言えば、最初に常在寺に所属するも教化親の三谷氏と喧嘩別れをして中野教会所(後の昭倫寺)に移籍するもそこでも喧嘩し会員が寺院へ参詣するのを禁止するなどし事実上日蓮正宗と絶縁関係にあった中で戸田は投獄されたわけである。つまり獄中にいた戸田は大聖人仏法の正統たる日蓮正宗とほぼ無縁の状態で大聖人仏法の法門法義の門前をウロチョロしていただけに過ぎない。戸田の獄中の悟達の第1は無量義経の「三十四の非」であり法華経にすら入っていない。第2の悟達の「法華経に説かれる『虚空会の儀式』に参列していたことを悟った」と言う話も「虚空会の儀式」は法華迹門で説かれている話で法華本門にすら入っていない。いかにいわんや文底仏法を戸田は知る由もないのである。要するに獄中及び出所当時の戸田には大聖人仏法の「法体」など微塵も理解できているはずもなく大聖人のご本尊を全て「大御本尊」と思っていたのであろう。それは釈迦仏像等の他宗の本尊と比較して「大本尊」だと思っていた(言ってた)と想像する。まさにこの時の戸田は権実相対レベルで種脱は当然のこと本迹相対ですら怪しいレベルなのである。そんなレベルの戸田の獄中の悟達を創価仏法の根源と言ってるのが波田地氏である。戸田が本当に大聖人仏法の法門法義を理解できるようになったのは、出所後よく御歴代法主の指南を受け正しい大聖人仏法を学んだ後である。獄中の悟達では波田地氏のいうように「大御本尊」と「戒壇大御本尊」の区別がつかなかった戸田ではあるが、その後の戸田は大御本尊といえば大石寺戒壇大御本尊であるということをよく理解できたようだ。「創価仏法」の仏を仮に戸田だとしよう。「獄中の悟達」とは戸田が発迹顕本するまえの教えなのである。その教えを根源とする波田地教学もまた自己申告通り大聖人仏法ではなく創価仏法なのである。そんな幼稚な教学でよくぞここまでやってこられたと寒心するとともに、これが「あの」波田地氏の教学なのかと落胆した。3本目の動画では波田地教学の目玉である八重の相対の話もしているがそれについてはまた後日触れるとしてまぁ波田地教学には本当にガッカリである。


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