一代の肝心は法華経法華経の修行の肝心は不軽品にて候なり、不軽菩薩の人を敬いしはいかなる事ぞ教主釈尊 の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ
今月の座談御書は「 崇峻天皇御書」の一番最後の一節。創価民が大好きな「人の振る舞い」ってところです。
大好きな一節な割には創価民は自分達の振る舞いで世間に嫌われているという残念な人が多いですな。(笑)
まぁ創価民がこの一節をいうのは、専ら法論とかで破折されて回答不能になった時だよね。
当ブログも創価民たちに「口が悪い」とか「上から目線」とか言われ
で最後に「人の振る舞い」つまり俺の振る舞い(言葉つかい)に難癖付けるってパターンだ。
それでよく自らを「仏法者」と名乗れるよなぁって思う。
こっちは破折してるんだよ。優しく諭してるわけじゃないんだよ。わかる?
確かに生きていく上で言動は大切な要素であることには異論はない。
が、仏法者を名乗るのであればこの御文を世法上・表層的に理解するのでなく、
大聖人仏法を根幹にして理解しなさいよってことだ。
「言葉遣いが悪い」とか「上から目線は止めましょう」とかその程度の話は少年部にする話でしょ。
流石に俺も少年部は破折しない。ひょっとしたら当ブログにコメントしてきた創価活動民は少年部だったのか?
確かにあまりにも乏しい知識と稚拙なロジックは少年部と言っても通用するけどな(笑)
さて、この御文の意味するところの「人の振る舞い」とはどういうことなのかというと、
前半部分に◆法華経の修行の肝心は不軽品にて候なり
と書かれているように「法華経の修行」としての「振る舞い」のことだ。
不軽菩薩が人を敬ったのはそれが「法華経の修行」だったからだ。
ここが肝心でいわゆる外道(仏道ではないという意味)で説くところの道徳ではなく、
あくまでも法華経の説くところの修行に基づいた振舞こそが不軽菩薩の振舞なのである。
この法華経の修行とは2種類ある。
「安楽行品」に説かれている、身・口・意・誓願の四安楽の修行。これ「摂受」
で、不軽品に説かれる修行は「折伏」である。
◆無智悪人の国土に充満の時は摂受を前とす安楽行品のごとし、邪智謗法の者の多き時は折伏を前とす常不軽品のごとし(開目抄下)
なので不軽菩薩の行動(振舞)とは「折伏」に他ならない。
そしてその「振る舞いは」当時の人々に支持されていたのかというと全く支持されていなかった。
つまりいまでこそ「人を敬う」事は一般的に素晴らしい振舞であると認識されるが
当時の人々や世間においては不軽の振る舞いはある意味非常識だったのである。
だからこそ不軽菩薩は上慢の四衆に迫害されたわけだ。
それでも、不軽菩薩は「折伏」を止めることをしなかった。
この振る舞いこそが「法華経修行者」「仏法者」の振舞なのである。
つまりは「折伏をし続ける」ことが教主釈尊の出世の本懐であり、
他人を敬う事であり人としての最高の振る舞いであるということだ。
不軽菩薩はいわゆる二十文字の法華経、( 我深敬汝等 不敢軽慢 所以者何 汝等皆行菩薩道 当得作仏)を説いた。
即ち、不軽菩薩が人を敬わったというのは、この24文字の法華経を説いたということである。
末法の今は24文字の法華経に代わり、一大秘法の大御本尊を語ることが
教主釈尊即日蓮大聖人の修行の面に即した出世の本懐なのである。
◆其れに付いても法華経の行者は信心に退転無く身に詐親無く一切法華経に其の身を任せて金言の如く修行せば慥に後生は申すに及ばず今生も息災延命にして勝妙の大果報を得広宣流布大願をも成就す可きなり。(祈祷経送状)
との御文に書かれている振る舞いが大聖人門下の振る舞いなのである。
つまり大御本尊を信じ詐り親しむことなく大本尊について語っていくことが不軽菩薩の振る舞いと同じなのである。
当たり前のことだが、世間的に非常識な振る舞いを容認するわけでない。
大御本尊を語ることに関しては妥協は必要ないが、それ以外については四悉檀を心がけ常識的な言動をするのは当然である。
ただし、創価や創価活動民のごとき大謗法に対してははまた別である。
彼等に関しては完膚なきまで破折してこそ不軽菩薩の振る舞いなのである。
中途半端に接することこそ「詐親」に他ならない。
彼等は上慢の四衆の如く破折してあげてこそ再び大御本尊の元に帰れるのである。
なので、俺はこれからも「口が悪い」といわれようと創価及び創価莫迦集う家さん達を破折して差し上げようと思っている。
また、世間の人達は創価莫迦集う家さん達の下心だけの「詐親」に騙されないよう注意されることを望む。
とくに創価のいう「日蓮仏法」なんていう創価が勝手に作り上げた架空のおとぎ話には要注意。
彼等は日蓮大聖人に縁もゆかりのないどころか大聖人を捨てた人間である。
創価は「伝統的な仏教」を信仰している団体ではなく、
大作センセを個人崇拝する単なる新興宗教団体でであることをくれぐれも忘れないよう注意して欲しい。