創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

久々に腹が立つコメントを読みました。

非公開でいただいたコメントを読んで非常に腹が立ったので記事に書く。

コメントをしてくれた方は創価を退会して正宗に移籍された方です。

詳しい事は書けませんが、その元創価の方に「良くない事」があったようです。

そしたら創価の活動家がどこかでそれを聞きつけて、その法華講の方に次のようなメールを送り付けたきたそうです。(以下太字が創価のメールの内容)

さて、聖人御難事に曰く

「過去現在の末法法華経の行者を軽賤する王臣万民始めは事なきやうにて終にほろびざるは候はず、日蓮又かくのごとし、始めはしるしなきやうなれども今二十七年が間、法華経守護の梵釈・日月・四天等さのみ守護せずば仏前の御誓むなしくて無間大城に堕つべしと・おそろしく想う間今は各各はげむらむ、大田の親昌・長崎次郎兵衛の尉時綱・大進房が落馬等は法華経の罰のあらわるるか、罰は総罰・別罰・顕罰・冥罰・四候、日本国の大疫病と大けかちとどしうちと他国よりせめらるるは総ばちなり、やくびやうは冥罰なり、大田等は現罰なり別ばちなり」と。

また、法華経の行者を軽賤した現証があらわれる時期について、種種御振舞御書では

梵天帝釈日月四天の御とがめありて遠流死罪の後百日一年三年七年が内に」と仰せになられました。

つまり、元創価の人に「良くない事」が起きたのは「現罰」であると言っているわけです。

というのも「良くない事」が起きたのは、その方が創価批判をしてから1年後だから御書に照らして「現罰」というわけです。

これを読んで本当にこの創価の活動家に怒り心頭である。

まづ人の不幸を嘲笑うかのような言動は、信心以前に人間として最低な行為だろう。

そしてメールは偽名を使っているのも本当に姑息で卑怯。

その上で御書を利用して、自分の最低な言動をあたかも大聖人様が言っているように見せかけている。

つくづく創価の信心をすると人間のクズになるという事が分かるような創価活動家の見本だなコレは。

この御書の引用は全くフザケタ切文であることは読めばすぐに分かる。

本人も書いているように、聖人御難事と種々御振舞御書という全く別な御書を関連付けているところが最大の騙しだ。

聖人御難事に書かれている罰の話と種々御振舞御書に書かれている「百日一年・・・云々」の御文とは全く関連性がない。

そもそも御振舞御書の当該引用部分は大聖人が平左衛門尉との対面時にこのように言った。と述べている部分で、信徒に対して現罰は「百日一年三年七年が内に」出る。というな話ではないのである。こんなことは種々御振舞御書を読めば明白なのだが、こぼクズ創価員はこの二つの関連のない御書をつなげ、「百日一年三年七年」が現罰の出る「時期」だと抜かしてるわけである。

つまり現罰の定義は「7年以内」という事を言っているわけだ。ほん莫迦である。

現罰とは今世で出る受ける罰のことだ。「現罰7年時効説」とは一体どんな邪義だ(嗤)

ちなみに平左衛門尉の一族が滅亡したのは、熱原法難から数えたって14年後だがそれはどう説明するんだ?

平左衛門尉に7年で現罰が出なかったという事だけ見ても大聖人が現罰が出る期間を7年以内と言っていないことは分かるだろう。クズ創価員は大聖人をウソつきだというのか?それとも平左衛門尉には現罰がなかったというのか?本当にバカバカしい。

こんなのは「破折」でもなんでもない単なる嫌がらせだ。嫌がらせをする為に大聖人の御書を利用すなよ。

このように大聖人の御書を悪用して他人の不幸を嘲笑う材料とするとは、この創価民方こそ種々御振舞御書に書かている

◆かかる日蓮を用いぬるともあしくうやまはば国亡ぶべし

のご聖訓のままやがて滅びることを恐れよ。

法華経の行者の当体である大御本尊をすてたコイツこそ

◆過去現在の末法法華経の行者を軽賤する王臣万民始めは事なきやうにて終にほろびざるは候はず

なのである。無間地獄でせいぜい嘆く事だ。それが大聖人様の教えである。

しかし、何度も書くが創価莫迦ツドウカってのは本当にクズ人間ばかりだな。

これが噂の「人間革命」というヤツなのか(嗤)

もっとも、こんな腹が立つ嫌がらせメールをされた法華講員の方は意にも介さず大御本尊への信仰を貫いておられるので

この莫迦ツドウカのやったことは、創価莫迦さ加減と創価の非常識さを世間にアピールすることになっただけだが。

俺も創価を追放されてこのかた、様々な「良くない事」に遭遇しその都度創価の連中から「罰が出た」と陰口言われてきたが、

その全てが変毒為薬され、ヤツラが言ってたようにはひとつも成らなかった。

悪口罵詈されればされるほど功徳が出るのが大聖人仏法です。

◆されば釈迦仏は賞罰ただしき仏なり(四条金吾殿御返事)

との御文の通りです。大御本尊は「賞罰」を正しく下す。間違いありません。

さて、今回このどこの馬のか分からない創価莫迦ツドウカを取り上げましたが、

このような事は他山の石ではありません。

我々法華講員もともすれば、やってしまいがちな事です。

「私たちは法華講員は創価と違って同じことを言っても間違えていない」と思うかもしれません。

確かに間違っていないかも知れませんが、だからと言って非常識な言動を安易にしなように気を付けたいものです。

創価と同じような言動をすれば、宗内では理解を得られても世間では創価と同じと思われますからね。


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