創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

創価教学じゃない御書講義(2019年度1月座談会御書・大悪大善御書)

大事には小瑞なし、大悪をこれば大善きたる、すでに大謗法国にあり大正法必ずひろまるべし、各各なにをかなげかせ給うべき、迦葉尊者にあらずともまいをもまいぬべし、舎利弗にあらねども立つてをどりぬべし、上行菩薩の大地よりいで給いしにはをどりてこそいで給いしか

2019年最初の座談会御書は「大悪大善御書」ですね。断簡の短い御書ですが創価的には結構使う御文です。

この御文を引いて「どんなに大変なことがあっても舞を舞う如く愉快に朗らかに喜び勇んで戦っていきましょう」

とかなんと言っちゃって、会員さんをだまくらかして学会活動をさせようとする御文です。

まぁ現実には愉快とは程多い疲れ切った表情で活動に追われている会員が大半ですけどね。

それもそのはず、学会活動は謗法側ですからね~。舎利弗でもなけりゃ迦葉尊者でもないのが創価カツドウカ諸氏です。

さてこの御文と同じ御文は、「減劫御書」にも書かれています。

大悪は大善の来るべき瑞相なり、一閻浮提うちみだすならば閻浮提内広令流布はよも疑い候はじ

瑞相というのは、「呵責謗法滅罪抄」に

瑞相と申す事は内典外典に付いて必ず有るべき事の先に現ずるを云うなり

ということで、分かりやすく言うと「前兆」ってことです。普通の感覚だと「いい事の前兆はいいこと」と思いますよね。

釈迦仏法においても「いい瑞相にはいい結果」が基本なのですが、

大聖人仏法では「大悪」が「大善」の瑞相となるわけです。これは何故かと言えば末法だからなんですね。

本文に書かれているように、「大悪」とは「大謗法」のことで、「大善」とは「大正法」のことです。

「大正法」とは「大謗法」にたいする薬ですから大謗法の症状がでないと人々は飲まないわけです。

そしてこの「大謗法」の病に先天的に侵されているのが末法衆生なのです。

末法衆生は本未有善といって、最初から「善根」がない人々なのです。

ここでいう善根とはいわゆるキリスト教的な「善・悪」というニュアンスではなく

成仏の種がない。という意味ですから「性悪論」のような解釈ではありません。佐渡御書にも

一闡提人と申て謗法の者計り地獄守に留られたりき彼等がうみひろげて今の世の日本国の一切衆生となれるなり。

と書かれている通りですから、「理」の上では私も含め全員悪人。まぁアウトレイジみたいなもんです。

「大謗法の病」をもっていても生まれ落ちてからなので誰も気が付かない。

誰も気が付かなければ「大正法」たる色香美味の大良薬・大御本尊を信受しない。

そうなると人々は不幸になる。人々が不幸になれば依正不二の原理で国土も不幸になるわけです。

私はこの御文で一番感じるのは「すでに大謗法国にあり」の部分です。

軽く読み流してしまうんですけど、さっきも言ったように普通にしていたら誰も自身の「大謗法」に気が付かないわけです。

誰かがこの大謗法を顕したから大謗法が国に存在することを知ったわけです。

その方こそご本仏・日蓮大聖人に他なりません。

此の悪心の根本は日蓮によりて起れるところなり(瑞相御書)

大聖人は「理の大謗法」を「事の大謗法」にせしめ、病に気づかず蝕まれている衆生に大良薬を与えてくださったのです。

この大聖人ご在世の四箇の格言による謗法破折と大正法たる大御本尊の建立を「法体の折伏」というのです。

この「法体の折伏」がなければ大謗法は顕れることなくそうなれば大正法も広まらない。

結果、この娑婆世界で仏法はついに絶え一切衆生も非情も成仏せず娑婆世界は無間地獄と化すわけです。

それを救済したのがご本仏・日蓮大聖人の事としての「法体の折伏」です。

大作センセをはじめとする創価カツドウカが「俺たちが広宣流布をしてやった」などと偉ぶるのは

全くの傲慢であり、恥知らずであり、恩知らずの吐くセリフです。

オマエ達が折伏をしてこられたのは、大聖人が「法体の折伏」をして大謗法を顕してくれたからであり、

日興門流の僧俗が法主を中心に大良薬であり大聖人の色心二法である大御本尊を守護してきたかに他ならない。

なので、戒壇大御本尊から離れてしまえばそれは大正法とはいえない。

大正法でもないモノをいくら流布したところでそれは大謗法を世界中にまき散ららかしているにすぎないわけだ。

よくよく振り返れば、昭和時代には日達上人が顕正会・正信会という大謗法を顕し

平成時代には日顕上人が創価学会という大謗法を顕した。

血脈相承がなせる行動と思わざる得ない。不思議なものである。

ともあれ、創価・顕正と大謗法がここまで明らかに眼前に白日の下に晒された今、

正しき日興門流の折伏が決まらない訳はない。

「必ず広まるべし」とご本仏が太鼓判を押しているのである。

創価ではないが、喜び勇んで楽しく折伏をしていきましょう。

折伏は楽しいと思わないと絶対にできませんよ。

難しく考えないで、家族や友人・知人を大切に下心なくお付き合いする中で仏法の話を自然とすればいいだけです。

あとは大御本尊に祈ってお任せです(笑)

今年は大謗法の創価「選挙」で忙しいでしょうから、その隙をついてやりましょ(笑)


にほんブログ村