創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

元創3人組へ。大御本尊利用はやめなさい。

久しぶりに元創価職員3人組のブログを読んだ。

個人的はあの3人組のやっていることにつては特別興味もないのだが、

今回のブログ(2018年12月9日付)で、

彼らが定期的に行っているサイレントアピールのスローガンを

『2014年以降の教義変更を白紙撤回せよ!!三代の師匠が築かれた「大御本尊根本」の教義に戻せ!!』

にするとのタイトルがあり、「おお!ついに彼らも気が付いたか!」と多少期待して記事を読んだのだが

その余りの酷さにひとことダメ出ししておかないと気がすまなくなった。

(以下太字は3人組さんのブログより引用)

仏法の根本の「師弟」を忘れて己義を構え、大御本尊を否定し、

創価三代の師匠が築き上げた教義を破壊し続ける原田現本部執行部はまさに師敵対であり、

大謗法以外の何ものでもない!

 「根本の御本尊」を軽んじた原田執行部の狂いが、創価の信心の血脈を狂わせ、

まさに本尊雑乱の様相を来しているのである。

うん。うん。なるほど。なかなかいいことを言うじゃないか。とここまでは良かったもののそれもつかの間。

今から28年前の1990年(平成2年)12月、宗門は創価学会の破壊を企て、池田先生を総講頭から罷免。翌1991年(平成3年)11月には創価学会を破門した。池田先生への嫉妬にかられた天魔・日顕が、一閻浮提総与の大御本尊をいわば“人質”にし、御本尊の下付を断てば学会員が自分の信者になると考えて行なった広布破壊の蛮行であった。

などどいきなりアフォなことを言い出す。

大御本尊を人質?いやいや大御本尊が「創価のモノ」だったことなど一度たりともないだろう。

大御本尊を700年もの間、お守りしご供養してきたのは日興門流の僧俗のなのである。

ポッ出の創価が偉そうに「俺達が広宣流布した」などと何を傲慢に言っているのだね。

多額の供養した?その金は全て大御本尊へのご供養ではないか。

なんで創価に多額の残金が残るんだ?盗人猛々しいにも程がある。

なぁ~にが「人質」だ。大御本尊を金儲けに利用したは創価の方だろうが。

それに、昔から創価学会員は日蓮正宗に入会して創価学会員になるのだ。

正宗は信者(入信)ではない人間に御本尊を下付するような宗派ではないのだ。

身延かなにかと勘違いしてるのか?それとも何か?

学会員ってヤツは入信しないで御本尊だけ下付してもらうなど調子のいい事を企んでいたのか?

入信しない人間に御本尊を下付しないことが広布破壊の蛮行ならば

大聖人・日興上人のときから広布破壊の蛮行をしてきたということになるがどうなんだ?

また法主批判をし血脈相承を否定した大作センセが

法華講の総講頭を罷免されるのは至極当然なことだろう。

法主を批判する人間が「総講頭」のままでいられる方がおかしいわ。

いいか血脈相承を否定するという事は即ち大御本尊を否定するのと同じなんだぞ。

何故ならば血脈相承による法水の源は日蓮大聖人のご当体である大御本尊だからだ。

血脈相承 をずっと遡れは大御本尊(大聖人)にたどり着く。

それを否定したならばその人の信心は大御本尊にたどり着かない。

そもそも、オマエ等は初代法主がだれか知ってるのか?

初代の法主とは日蓮大聖人なのである。

血脈相承を否定するという事は、日寛上人や日興上人はもとより日蓮大聖人をも否定する謗法であることを自覚し給え。

◆凡そ謗法とは謗仏謗僧なり三宝一体なる故なり(真言諸宗違目)

そもそもオマエ達、法主を天魔といい宗門を謗法などといい散々罵っておきながら

その同じ口で、よくもいけしゃあしゃあと「大御本尊根本」などと言えたもんだな。

いったいどのツラ下げてそんな言葉を発しているんだ?サイコパスなのか(笑)

そして日寛上人といえば、この3バカトリオは創価のカラコピ掛け軸本尊もどきについて

現在創価学会が会員に授与している『日寛上人の御形木御本尊』は師匠池田先生が正式に認められた御本尊である。

などといって、現在の創価のカラコピ本尊もどきが正しい本尊であるなどと言っている。

ご存知の通り、創価の本尊風掛け軸は栃木県の浄圓寺の日寛上人ご書写の本尊のカラーコピーであるが

浄圓寺が日蓮正宗から離脱して創価側についた時点で、浄圓寺本尊は大御本尊から離れたのである。

つまり大御本尊の分身散体としての力用を失ったわけである。

身延の真筆本尊とまったく同じ状態という事だ。

そんな本尊を、【池田先生が正式に認めた】から【正式な本尊】であるなど結論付けるとは

脳みそが腐っているのか?それとも教学力が恐ろしく足りていないのか?

どっちにしても、御書の文証もなく教学的ロジックもなく

ただただ「池田先生が認めた本尊だから正しい」などと言ってしまう愚かさには呆れる。

いったい、池田大作が本尊を認定してよい。などという文証はどこにあるのかね?

そして文証・理証が全くないまま

 身近にいる、3度のガンを克服した滝川の母・滝川光子さんも話していた。

“日寛上人の御形木御本尊が間違っているというのであれば、私はその御形木御本尊に祈って3度も癌を克服した。まだまだ創価変革のために戦える体にしてくれている。この体験をどう説明するというのでしょうか。”と。

などと「現証」だけでカラコピ本尊を正当化させようとする手法はさながら「顕正会」である。

光子さんに、教えてあげるがあなたの「体験」は「魔の通力」で説明がつく。

◆唯仏の遺言の如く一向に権教を弘めて実経をつゐに弘めざる人師は権教に宿習ありて実経に入らざらん者は

或は魔にたぼらかされて通を現ずるか、但し法門をもて邪正をただすべし利根と通力とにはよるべからず(唱法華題目抄)

との御文にあるように、文理に寄らない体験は「魔の通力」なんですよ。

つまり光子さんの体験は創価カラコピ掛け軸がまさしく「魔札」であることの証明ですね。

ともあれ、『「大御本尊根本」の教義に戻せ!!』のスローガンを掲げるというので

多少は見直したとおもったがさにあらず。

「大御本尊」を創価執行部批判の道具に利用しているだけ。

ダーハラ達と一体どこに違いがあるのかがわからない。

大御本尊を自分達の都合のいいように利用するその無信心さは

彼らが批判している創価執行部といい勝負である。そんな彼らが、

『大御本尊が根本』であるというのが永遠に変わらぬ『根本の教義』”なのである。

などと力説しても何の説得力もない。

彼らの根本はどこまで行っても末法の荒凡夫であり世紀の謗法者である「池田大作」でしかない。

私たちが根本とするのはどこまでいっても、師匠池田先生そして三代の師匠の仰せである

と自分で暴露している通りだ。

大御本尊根本なのは、大作がそう言ったからであって彼ら自身が心の底からそう信じているからではない。

大聖人直結なんていいながら、大作を通してでしか大聖人仏法を見ることが出来ない。

それが、彼らの叫ぶところの「師弟」なのだろう。

まぁ、彼達が何を信条としようが自由ではあるし、畜生界さながらの「骨肉相食む」姿を眺めているのは愉快だが

創価ともオマエ等3人組とも何の関係も大御本尊を利用して巻き込むのはやめなさい。

大御本尊様は我等日興門下が心より尊敬し大切にしている仏様である。

その大御本尊をオマエ達と創価の醜い争いごとに利用されるのは真っ平だ。

創価や池田狂信者に「大御本尊」は全く無関係なのである。

キミ達3人組は、公明党とか創価幹部のスキャンダルで騒いでいればよろしい。

こっち(信仰)の話はキミ達のような、無教学・無信心の輩が軽々に口出しすることではない。


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