この3連休の金曜日と日曜日に二人の学会員さんが御受戒を受けた。
お二方ともに創価から大御本尊の元へ戻られて本当に良かった。
また、今回はお二人とも遠方からわざわざ私の菩提寺に足を運んでいただいての御受戒でした。
日蓮大聖人のご聖訓に
◆道のとをきに心ざしのあらわるるにや(乙御前母御書)
とあります。遠いところお越しいただお二方のその「志」に頭が下がる思いです。
乙御前の母は寡婦の身でありながら幼い乙御前を連れ鎌倉から佐渡も大聖人様に会いに行った方です。
◆日本第一の法華経の行者の女人なり、故に名を一つつけたてまつりて不軽菩薩の義になぞらへん日妙聖人(日妙聖人御書)
と大聖人様から日妙聖人という号をいただいています。
「遠き道」とは、物理的な距離ももちろんですけど、それ以外に精神的な距離というようなことも含まれています。
日妙聖人が佐渡まで行くには物理的・肉体的な距離以外にも様々な葛藤という精神的距離もあったわけです。
今回ご受戒を受けたお二人も創価学会員として様々な葛藤があったと思います。
無信心の人には分からない話でしょうが、「とっとと辞める」というのはなかなかできないわけです。
自分の心の中の問題や家族の関係そして創価での人間関係など
MCの一言で片づけられるものではなく、傍から言うほど簡単なモノではありません。
また、創価はやめてもそのまま無信心に戻ったり
対話ブログの管理人さん達のように、創価を辞めたら今度はご本尊や大聖人を悪口罵詈する人も大勢います。
というか大半の創価退会組はその程度の差はあれ信心を止める方向に進んでいきます。
創価を去って尚且つ大御本尊の元へ戻れる人は少ない。まさしく「遠き道」だと感じます。
そうした有形無形の困難と葛藤を乗り越えて今回ご受戒をお受けになられたお二人は
遠き道を「志」をもって歩まれて来たのだと感激しました。そして
◆凡夫は志ざしと申す文字を心へて仏になり候なり(白米一俵御書)
とのご聖訓に違わず成仏されることは間違いないと確信もしています。
現在法華講員の私がこのようなブログを書いていると法華講に勧誘していると思われる人もいるかもしれませんが
個人的には、法華講員を増やすとか日蓮正宗を大きくするとか考えていません。
私は別に法華講で何か役職についているわけじゃないし、法華講で役職を目指しているわけでもない。
むしろそういうのは創価時代でコリゴリ。自分のペースで信仰をしなければ創価の二の舞ですし
法華講のいいところは仏法を求めるか否かは自分が決めることで
なので信仰に興味のない人に無理矢理に信心の話をするつもりは毛頭ないし当然日蓮正宗に勧誘するつもりない。
信仰なんて無理強いしたって本人の為にも仏法の為にもなりません。
そんなことをしたら結局は信仰を止め却ってご本仏を誹謗する人を作ってしまうだけです。
ただ、信仰を持ちたいと思っている人には大聖人仏法を知って欲しいとは思ってます。
また創価や顕正会にデタラメな大聖人仏法を騙って欲しくないし、
会員さんには騙されてほしくないから創価や顕正を破折します。
だから、こうして創価からご本仏の元へ戻られる人を見るとやはり嬉しく思うわけです。
ここから先はその人の信力・行力ですが、
縁あって出会って同じ大聖人仏法を信仰することになった方とは一緒に信仰を貫きたいなと思います。
なにはともあれ、ご受戒おめでとうございました。