昨晩は、昨年・今年に勧誡受けた元創価仲間のS・U・Oと4人でお会式のお逮夜に参加した。
もちろん初参加。「お会式」が大聖人様の命日の行事だということは知っていたけど
実際にどういうものか知らないのでちょっとドキドキ。
なにせ創価時・広宣部時代の「お会式」といえば寺の駐車場をこっそり見張り
知った顔がいないか?とか車のナンバーを控えるとかそんなことばかりだったからなぁ~。
内容は読経・唱題。読経の途中自我偈に入る前に申状を捧読。
その後はご僧侶による法話。(布教講演)で終了。
毎月のお講とそれほど変わらないが、今回お会式に参詣するにあたり色々と聞けたので良かった。
大聖人様の命日は、「弔事」ではなくて「慶事」であるということ。
「非滅の滅」を現されたのであるからお祝いだそうで、「おおなるほど」と納得。
桜の花の造花を飾るのは大聖人の亡くなられた時に桜が咲いていたという故事になぞられているらしい。
中山法華寺の「泣き銀杏」の話もあった。
凄くザックリいうと、日頂上人が大聖人の三回忌の法要に法論をしていた間に合わず
義父である富木日常に破門され生涯許されなかった。日常が許さなかったのは後世の弟子への戒め。
つまり「法論」と言う理由であっても、大聖人の法要に姿を見せないのは許されない。というお話。
お会式にはうってつけかつコテコテの話なんだけど、いたく感動しましたね~。
ただ一番の感動は、大聖人のご命日を弟子檀那が荘厳にお祝いする姿ですね。
「大作センセ~」みたいな気持ち悪いソレではなく、本当に心が晴れ晴れしました。
それに、ピンクとから黄色とか明らかににあっていない色のスーツを着たご婦人たちもいませんし、
全員が伸一カットの髪型の青年たちもいません(笑)
創価でも毎年「日蓮大聖人御入滅の日」の勤行法要とかはやってるけど
各地の会館で盛大にご命日をお祝いするようなことは一切なかったもんな。
てか、大聖人の命日を知っている会員もろくすっぽいないし
幹部も「今日は大聖人様のご命日です」と言う人もいなかった。
「先生の入会記念日」「先生のお誕生日」「先生の○○」ばかりで
大聖人のことなんか二の次、三の次ぎだからなぁ。
創価の連中は、こうした正宗の行事に対して
「形式だけの行事」「金儲け目的の行事」などと誹謗するが、
単なる形式だけの行事に過ぎないだろう。
「御入滅の日の意義をとどめたものである。」などとふざけたことを言っているが、
大聖人の御入滅は、「非滅の滅」「滅の非滅」の意義があることを学会員は全然分かってないだろうが。
もし大聖人のご入滅の意義が分かっていれば、大御本尊を捨てるなんていうことはあり得ない話だろう。
なにが「大聖人直結」だ。バカも休みや休みいえよ。
ああ、バカは死んでも治らないってわけか(笑)
お会式の後4人で飲みに行って話したのは創価学会員には想像がつかないくらい
そして、やはり「偽物は所詮ニセモノ」なんだなぁ~っていう話になった。
で、まだ創価に残っている仲間を創価から救い出さねばと新たに決意したわけであります。
そして最後は来月登山しようや。と言う話になり午前2時に散会となったわけです(笑)