創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

「日蓮正宗」という宗名の話。

今回は「日蓮正宗」という宗名についての話をしたいと思います。御書には「法華宗」「法華本門宗」などという記述がありますが日蓮大聖人は宗名について特に重要視しなかったようです。聖典の「日蓮正宗略史」には大聖人は他宗存立自体を謗法として認めていないので他宗との分別するという意味のある「宗名」には拘らなかったとその理由が書かれています。確かに『妙密上人御消息』でも日蓮は何の宗の元祖にもあらず又末葉にもあらずと言われているように大聖人御自身は御本仏ですから大聖人からすれば「宗名」などこだわる必要はないし最終的に広宣流布すれば他宗は全てなくなるので「宗名」で分別することもありませんので「宗名」は不要ですね。大聖人ご入滅後は日興遺誡置文に◆富士の立義と書かれているように日興上人が五老僧達の異流儀と分別する為に「富士の流儀」をたてました。それがやがて大石寺一門のことは「富士門流」という名称として一般的に広まったようです。そして時は下り明治時代になると、明治5年に「一宗一管長」制に基づいて全大聖人門下が「日蓮宗」という名で統一されますがすぐに「一致派」(本迹一致)と「勝劣派」(本勝迹劣)に分かれます。明治9年に「勝劣派」の興門流八本山が「日蓮興門派」を組織します。この「日蓮興門派」は明治32年に「本門宗」と改称しますが、「興門派」の中にも日興上人の「富士の立義」と相違する宗派もありそれらと分別すべく大石寺は「日蓮宗富士派」として「本門宗」から分離独立します(日応上人時代です)その後「日蓮宗富士派」という名称は身延日蓮宗の一派閥のような印象を与えかねないということで、明治45年(大正元年)6月7日に日正上人の決定により現在の「日蓮正宗」という宗名になりました。「日蓮法華」として「天台法華」と分別し「日興派」として五老派を分別し「富士派」として「異流儀興門派」を分別しそして「日蓮正宗」になったわけです。その後昭和の戦時中は身延との合同問題もありましたが(これについてはいずれ機会があれば詳しく書きます)その難局も乗り越えて「日蓮正宗」の名は現在に残りました。正宗とは大聖人の正統・正義を顕してています。戒壇大御本尊を唯受一人血脈相承で守り伝えてきた本宗に相応しい名前です。また日寛上人の「立正安国論文段」に◆立正の両字は三箇の秘法を含むなりとのご指南があるように、「正」という文字には「三大秘法」が含まれておりまさしく日蓮大聖人の三大秘法を信じ守り伝え広めていく本宗の宗体を顕した素晴らしい宗名であると思います。余談ですが創価学会の宗名は「日蓮世界宗」です。世界桂冠詩人である池田大作センセが付けた宗名だそうですが創価民でも自分達が「日蓮世界宗」であることを知らない会員が多いですね。聖教新聞等の機関誌でも「日蓮世界宗」の宗名はほとんどみることもありません。そして何よりも世界桂冠詩人命名した割には軽くてダサい。「妙子」「法子」「伸一」という命名と同レベルだと思います(笑)まぁそれはどうでもいいですが、私も法華講員になったからには「日蓮正宗」の名に恥じぬように大聖人の三大秘法を立てその正義・正統の誇りを胸に日々の信仰を実践していきたいと思います。

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