創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

創価本尊の体を言えない活動家に代わって

先日ここにコメントをくれた学会員。

とうとう「本門の本尊」の説明もないまま

相変わらず極悪と戦っているみたいだが

それにしても過去にコメントをしてきた

自称創価活動家さん達は

「本門の本尊」が何なのか?について

誰ひとり回答不能とは情けないではないか(笑)

しかも、その対応ぶりもほぼ一緒で

こちらの質問にはまったく答えないくせに

質問返しをしてきて、こちらに「答えろ」と迫ってきたり

質問と関係ない話を始めるという論点すりかえしてみたり

教学蔑視の発言や更には現証論と

どんだけ「本尊」の事を質問されるのがイヤなんだよ。

もしかして「これってニセ本尊なのかなぁ」って

自分の創価本尊のことを疑ってるんでじゃないの?

いや、絶対そうでしょう(笑)

じゃなきゃここまで遁走を繰り返さないっての。

たま~に、自分自身の中に本尊がある。

なんていう相変わらずの創価教学丸出しの回答をしてくる人もいるが

前回記事に書いたように、「総別」も「理事」も分かっていない

五老僧バリのそんな回答してくるんのだから

オジさん疲れちゃうよ(笑)

自分自身が「本門の本尊」であるならば

創価の本尊なんて必要ないじゃない。

仏壇に鏡でも置いて、自分の間抜け面に向かって

題目でもあげてれば済む話じゃないの?違うの?

こんなのばかりで彼、彼女等は

本当に創価学会員なのか疑わしくすら思えてくる。

昔の幹部活動家は、「本尊」の話だけで

余裕で2時間は話ができたぞ。

俺も「観心本尊抄」の題号だけで1時間講義したこともあったよ。

それがな~んも答えない。

こういうのザマを「アホウのバラモン」っていうんだろうね(笑)

創価の本尊が「本門の本尊」であるというならば

「本門の本尊」とは何か?

そしてどうして創価の本尊が「本門の本尊」であるのか?

普通はそれくらい説明できて当然じゃないのか。

こんなことは教学力が「ある」とか「ない」とかの話じゃない。

自分たちが毎日拝んでいる「本尊」の話だ。

自分たちが拝んでいる本尊すら説明できないのに

一体どうやって他宗を破折するのか。

一体どうやって部員さん達に指導をするのか。

一体どうやって未入会の人を折伏するのか。

「本尊」を説明できなければ

それらは全て不可能である。

本尊の説明もおぼつかなくて

どうやって「本尊流布」するんだよ。

ひょっとして「本尊流布」なんてしたことないヤツばかりなのか?

それとも「騙されたと思って・・」とかいうパターン?

いやいやあなた達見てれば「騙される」って思うさ。

「いや無理」って大抵の人はそう思う。

事実「騙して」いるのだからその手は桑名のなんとか。だよ。

商品に関する説明一切なし。

または事実と違う説明して売りつける。

世間ではそれを、詐欺とか押し売りとかいうんだよ。

「本尊」を説明できない。ということはそういう事だ。

で、代わりに言っていることは

正宗には、「日顕宗」というネガティブキャンペーンを展開して極悪と言うだけ。

部員さんには「活動すれば功徳出る」「財務には功徳がある」なんて指導して

折伏の時は創価学会は世界に広まっているし有名人もやっているから正しい信仰だよ。

なんて下世話な事いっちゃたり

これのどこが破邪顕正なのさ。

単なる創価大作狂の与太話じゃね~か。

そもそもさ、こんな与太バナのどこが「大聖人仏法」なんだよ。

全く大聖人仏法の話なんてしてないだろ。これじゃ。

ただの創価の内輪の話だろ。

創価の内輪の話をするのは

大聖人仏法の広宣流布とは言わない。

弘教や指導の時は「大御本尊」の仏力・信力を語り

破折の時は他宗の誤った本尊義・本尊観を破すのが

大聖人仏法を広宣流布するという事である。

それをだ。

「本門の本尊」の説明もできない

「自分が拝んでいる本尊」も説明できない人間が

「私は広宣流布してます。悪と戦ってます。」

なんて言っちゃってるわけだ。

一体どこまで恥ずかしい人たちなんだろう。

聞いているこっちが思わず赤面してしまう(笑)

本当に「くだらない」の一言に尽きる。

「本尊」を語れないということは

「題目」も「戒壇」も語れないということ。

つまり「三大秘法」を語れないのであり

「大聖人」も語れないという事だ。

これって前述したが、教学の問題ではないのである。

「信心」の問題なのである。

つまり、ここで俺からの本尊に対する質問から

遁走していった学会員は

教学以前に信心がない。のである。

法華講員さんから「ニセ本尊」といわれも

信心のない創価活動家は文理で反論することもできず

ヒステリックに「日顕宗、日顕宗」と騒ぎ立てるだけ。

全く惨めであり、こんな創価活動家の姿を見ると涙すらこぼれそうになる。

「自分の拝んでいる本尊の体」すら答えられない

無信心の活動家諸氏に

今日はおれが特別に教えてあげよう。

大御本尊を捨てた君たちが毎日拝んでいる

その「本尊の体」とは

「ただの紙切れ」だ。

「コピー用紙」の方がいいか?

どっちにても「あってもなくてもどっちでもいい」代物である。

いやむしろない方がいい

そして「ただの紙切れ」に「南無妙法蓮華経」とつぶやいても

「何も起こらない」

いや謗法だから最後は無間地獄だな。

それが、君たちが3000円?も出して創価から購入した

創価が「本尊」と呼んでいる代物の体である。

「大御本尊」と等しく「本門の本尊」?

バカも休み休み言って欲しいもである。

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