創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

なんでも日顕宗

相変わらず、創価の活動家は

正宗を「日顕宗」と呼び

あ~だこ~だと言っているが

最近の創価活動家はなんでも「日顕宗」

と言えばいいと思ってるフシがある。

というか「それしか言えない」というのが実情なんだろうな。

そもそも、創価が正宗を日顕宗名と呼ぶ理由としては

毎年、任用試験にバカみたいに出題しているが

法主信仰とか僧俗差別とか神秘的な血脈間とか

御書に書いていないことを勝手に言っているから。なんだそうだが

御書に書いていない事を勝手に言ってるのは創価の方で

選挙や新聞啓蒙や財務に功徳がある。

なんて御書には書いていないけど?って突っ込みたくなるが

そこは今日は置いておくが

ともかく最初の内は、

法主に唯受一人血脈がある。とか

僧と俗では役割の違いがある。なんて言っていると

「そんなことを言うのは日顕宗と同じだ」

なんて幹部や他の活動家に言われたりした。

俺は、創価活動家時代から

「唯受一人血脈」を肯定していから

組織の中で「日顕宗教学」とか陰口叩かれ

俺の御書講義を聞いた幹部から注意されたりした。

血脈を認めると法主も認めることになるので

幹部としては看過できなかったのだろう。

ともあれ始めは「法主」肯定=日顕

というような定義だったのだが・・・

やがて、五座三座の勤行を推奨すると「日顕宗」

塔婆のことを言えば「日顕宗」

僧侶の役割のことを話せば「日顕宗」

友人葬ってなんかピンとこないんだよねと言えば「日顕宗」

なんでもかんでも「日顕宗」というようになり

そして、ついには創価活動家は

戒壇大御本尊を唯一無二のご本仏として信じる」と主張すると

日顕宗」というようになるまでになった。

リアルでもそうだし、創価活動家たちのブログやSNSを見ればよく分かる。

でも、ちょっと待ちなさいよ。

「大御本尊を絶対無二」というのは日寛上人も言っている。

唯受一人血脈もそう。

創価が破門される以前までは

日蓮正宗の僧俗は皆言っているのである。

今の創価のいい草通りならば

日興上人も日寛上人も「日顕宗」

創価本部の本尊を書写した日昇上人も

創価の御書を選定した日亨上人も

そして、牧口・戸田も全員「日顕宗」ということになる。

いやいや、いくらなんでもそりゃ言い過ぎだろう。

日顕上人と同世代の人間ならばまだしも

鎌倉時代や江戸時代の僧俗が「日顕宗」になれるわけがない。

そもそも、大御本尊を一大秘法と決めたのは日顕上人ではないし

唯受一人血脈を言い出したのも日顕上人ではない。

しかも大御本尊の事を言い出したら「日顕宗」になるのはごく最近。

創価が大御本尊を受持の対象にしなくなったからでしょ?

自分たちの方が、クルクルと教義を代えておいて

変わっていない日蓮正宗の事を「日顕宗」などと呼ぶのは

単なる印象操作のネガティブキャンペーンでしかない。

むしろ日蓮正宗。つまり日興門流でなくなったのは創価の方

であるならば、正宗を「日顕宗」なんて呼ばないで

自分たちを「創価大作教」を呼べよ。って話だよ。

なんでもかんでも「日顕宗」なんて呼んで

くだらないネガティブキャンペーンをやっている暇があるなら

もう少し教学をお勉強してキチンと正宗を破折すればいいじゃん。

それが出来ないは「創価大作教」の教義は

大聖人仏法ではないことを証明しているのと同じだ。

なんでも「日顕宗」と言えば

くだらない創価教学を誤魔化せるとでも?

純粋な会員さんを騙せるとでも?

そういう姑息なことはやめて

創価大作教」の教えを流布すればいいんじゃないの。

え?「創価大作教」じゃ広まらないって?

分かってるならカツドウなんてやめようよ。

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