創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

そろそろ3ヶ月

1月の中旬に創価の御本尊を返却してから

早いものでそろそろ3ヶ月が経とうとしている。

この間、いわゆる内得信仰を続けてきた来たが

これが意外とちゃんとできる。

御本尊をご安置していた時と変わらずに

朝晩の勤行を1日にも欠かさず

カラのお仏壇に向かって題目もあげられる。

御本尊がないのにお線香もちゃんと焚いて。

お樒はさすがにあげてないし、お水などのお給仕はしていないが

普通にちゃんとできるもんなんだね。

我ながら感心している。

もちろん、創価の御本尊を返却しても

なんの「罰」もでない。

まぁ、そんなことは初めから分かっていたことなので

今更、書く事もないのだけど

学会の本尊を怖くて返却できないでいる会員さんの為に

あえて書いておく。

創価の本尊はこのように「何の力」もない。

「罰」も出ない代わりに「功徳」も出ない。

あくまでも大御本尊に信を置かなければ

創価の本尊は本尊としての価値はないということである。

自分が創価本尊を返却して3ヶ月試してみて

実証することができた。

まぁ、そうなんだけど

さすがに3ヶ月もご本尊がご安置されていないと

淋しい気分になるのも正直なトコロ。

この3ヶ月間の間に何度か地元の正宗寺院へ行き

お寺の御本尊の前で唱題したが

やはり御本尊の前とカラの仏壇の前では

気分は全然違うとうのも実感した。

そろそろかな?

折角、大聖人様が俺を創価から切り離してくれたのだから

今度は大御本尊(大聖人)にお目通りしないと

大聖人の御心にお応えできない。

最近ではそう思うようになった。

とかいいつつなかなか決断できないのは

俺の命がそういう命なんだろうね。

まぁ組織とかそういうものに属するのがイヤというか

懲り懲りというか。

それでもそれは大御本尊には関係ない瑣末なことなんだけどね。

なんだか徒然な感じの記事になったので

今日はこの辺でやめておきますね。

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