創価ダメだしブログ

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学会員が大御本尊に信を取る方法

「大御本尊に信を取る」信心。と

リアルでも散々言っているし

このブログでも何度も書いているんだけど

先日、食事をした創価の後輩に

「大御本尊に信を取る信心って具体的にはどうすればいいですかね?」と質問された。

まぁ、確かにそうだわな。

「大御本尊に信を取れ」と言ってるだけで

いままで具体的にどうすればいいか。

って話はしたこともないし、ブログで書いたこともない。

これじゃ確かに抽象的すぎて乱暴だな。と反省。

なので今日は簡単だけど

学会員が「大御本尊に信を取る」方法を書いてみることにする。

一番いいのは、創価を退会すること。

といってもそれができれば苦労はしない。

創価をやめた方々はやめられない会員さんを「未覚醒」と思うのだろうが

そんな単純な話じゃないもんな。

で、次善の策は「創価の活動をやめる」こと。

これまたなかなか難儀で、

活動やめられるくらいなら退会だってできるよ。ってことだよね。

てことは次に考えられるのは五座三座の勤行の実戦。

え?いまさら五座三座はキツイ?

それに創価じゃ長行の経本がもう売ってない?

しょうがないなぁ・・・

てなわけで俺のオススメは「ご観念文」

歴代法主に報恩感謝するのことに抵抗ある会員さんは

まずは「本尊供養」のご観念文だけでも「観念」する。

もう細かいことは言わない。

方便自我偈の勤行でもなんでもいいから。

とにかく「本尊供養の観念文」を念じる。

これでOK。

「本尊供養の観念文」とは昔の会員さんなら知ってるだろうけど

「二座」のご観念文ね。

「信を取る」というのは「受持」をするということ。

 

◆受くるはやすく持つはかたしさる間成仏は持つにあり(中略)経に云く「護持仏所属」といへり、天台大師の云く「信力の故に受け念力の故に持つ」云云(四条金吾殿御返事)

 

と御書にあるように、「受」と「持」では「持」の方が重要であり

「持」とは「念力」によるんだね。

この「念力」が凝縮されているのが「ご観念文」なんだよ。

もちろん、創価の本尊供養じゃだめだよ。

ちゃんとしたご観念文を読むんだよ。

一応、正宗の正式な本尊供養のご観念文を書いておくよ。

 

【南無本門寿量品の肝心、文底秘沈の大法、本地難思境智冥合、久遠元初、自受用報身如来の御当体、十界本有常住、事の一念三千、人法一箇、獨一本門戒壇の大御本尊、御威光倍増御利益広大御報恩謝徳の御為に】

 

このご観念文だけでいいから勤行・唱題のあとに一番最初に、小声で言う。

これで身口意の三業で「大御本尊を受持した」「大御本尊に信を取る」ということになると思う。

実は、コレは創価がおかしくなりだした頃に俺がやってたこと。

自分では、このご観念文を読んでたから信心が誤たなかった。と感じてる。

 

南無本門寿量品の肝心    釈迦を含む諸仏が成仏した法体

文底秘沈の大法         釈迦の白法でなく大聖人の大(白)法

本地難思境智冥合       大作センセごときの凡夫に思慮することもできない大聖人の境涯

久遠元初             最初からそのままでの姿の本仏

自受用報身如来の御当体   自受用報身如来即ちご本仏大聖人の当体

十界本有常住          ご本仏大聖人の己心の常住の十界

事の一念三千          ご本仏の色心二法の「事」の一念三千

人法一箇             妙法即大聖人。大聖人即妙法。

獨一本門             コピーできない唯一無二の法体

 

それが「戒壇大御本尊」であり、

それに、南無し報恩感謝する。

 

大御本尊を捨てていない。

大御本尊を捨てたくない。

そう思う学会員さんは、せめてこのご観念文だけは読むといいよ。

必ず全てが変わってくるから。

 

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