創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

今週の言葉(2016年10月24日)への雑感

任用試験に挑む宝友へ

皆で真心のエールを!

仏法への入門は

幸福博士の大直道なり。

生命の最高峰へ共々に!

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また今年もやってきましたね~任用試験。

弘安二年の大御本尊が出世の本懐と教えたかと思えば

翌年には、全く別のことを教えたみたりと

受験した年によってご本仏の出世の本懐が違っちゃうという

とてもお粗末で適当な試験の季節がやってきましたぁ。

そんなクルクル言っていることが変わる創価教学のなかで

唯一、ず~っと変わらないのが

日顕宗を破す」という項目。

これだけは、なにはなくても必須科目なようですね。

しかし、あれだな。

任用試験というのは、先日コメントをくれた

「はすこ」さんのような組織に出始めたばかりの会員さんや

会友さんと言われる、外部の人も受験する試験だよね。

その試験に「日顕宗を破す」なんて項目があっていいものなのかね?

そもそも「日顕宗」なんていう宗派はないのに

ご丁寧に「なぜ日顕宗というのか?」という講義までして試験するんだもんなぁ。

しかもだよ、日蓮正宗とは無関係な団体です。って言っておきながら。

日蓮正宗とは無関係だが、日顕宗という宗派とは関係あるってことかいな。

で、このようなことを「教えられる」

外部の人や、はすこさんのような会員さんは

一体どんなふうな気持ちで

日顕宗を破す」なんていう必須科目を学んでいるのだろう。

それが仏法への入門であり、

幸福博士の直道であり

生命の最高峰であると思っているのだろうか?

だとしたらとんだ勘違いだよ。

そもそも仏法の初門とは、アニメのなかで一休さんがいう「ナムサン」だよ。

「ナムサン」とは「南無三」と書き、「南無三宝」のことで

「仏宝」「法宝」「僧宝」の「三宝」に南無する。

これが仏法の初門。これがなければ何を学んでも「入門」することはできない。

しかし、創価教学での「日顕宗を破す」では、

正宗が僧俗差別をするのは悪だと教える。

つまり、僧侶は不要というのが創価教学のいう民衆仏法とやらの思想なんだよな。

そもそも「民衆仏法」なんて言い方自体おかしな話で

民衆が好き勝手に決めるのは、民衆法であって仏法じゃないし。

まぁ、そんな「僧侶不要論」は「僧宝否定」につながる。

大聖人仏法においては「三宝一体」であるから

「僧宝否定」はそのまま「仏宝」「法宝」否定となる。

三宝否定」は大聖人仏法のみならず、大乗仏教ですら否定していることになる。

仏法への入門どころか仏法からの破門だな、これじゃ。

「御本尊はすでに三宝一体だから御本尊を信じていれば僧宝否定にならない」

な~んていう活動家さんもいるが

一体なにゆえそうなるのか?全然わからない。

そもそも、三宝一体の体とは仏の体だ。

仏宝に法宝も僧宝も含まれるということは以前書いたと思うが

大聖人仏法における仏の体とは大御本尊に他ならない

それ以外の御本尊は分身の仏だ。

本仏がそう何万人にいるわけない。本仏は一人である。

ゆえにその体も一つである。

それが戒壇大御本尊である。というのが大聖人仏法の根本義だ。

その仏の本体を受持せずに、分身だけ受持することが正しい受持であるわけないだろう。

分身は本体が無ければ存在しないが、

本体は分身がなくても存在する。

いくら本体と同じ力があっても、分身は本体あってこそ存在できるのである。

その本体を捨てることは、分身も消えるといことだ。

テレビや漫画だって、

「分身の術」が破られるのは

「本体を見破られて本体を攻撃されるから」だ。

サスケもウルトラセブン北斗の拳も男塾も・・etc・・

全てそうだろ?それ以外の方法でどうやって「分身の術」を破るんだ?

その本体を自分たちで捨てておいて、

三宝否定はしてません」って・・

どの口がいう?この口か?この口なんか?

そんなわけで、戒壇大御本尊を書写した本尊以外に本尊がない創価

その根本を捨ててしまえば、そこにある分身はもはやないに等しい。

そこにあるモノは、だたのモノ。

まさに、池田センセのいう「ただのモノ」であって

三宝一体の体などではない。

要するに、創価には「仏様はいない」のである。

仏様がいない以上、創価の教学試験などは「仏法への入門」などになりえない。

ただの創価の教えであって、大聖人の教えじゃない。

大聖人の御書を悪用し、

人々に仏法だと思わせ、

幸せになれると騙して、

創価の教えを普及しているに過ぎない。

任用試験を作る側が、仏法から(正宗からでなく)破門された人たちだ。

他人に試験をする前に、まずは自分がキチンと学べ。というわけだ。

まぁ、そんな任用試験を「幸福博士」への直道だ。

なんて思える活動家さんたちは

ある意味、オメダイくて幸せな方々だとは思うが

俺は、そんな「おめでた博士」

「お笑い博士」にはなりたくないな。

俺は、芸人じゃないからな。

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