命は三千にもすぎて候而も齢もいまだたけさせ給はず、
而して法華経にあわせ給いぬ一日もいきてをはせば功徳つもるべし
、あらをしの命やをしの命や
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今月の御書は「可延定業書」。
◆一日の命は三千界の財にもすぎて候なり
と本文にもあるが、本当に「そうだなぁ」って思う。
いつもは、お金は大事だ。って思っているが
命に関わるような病気になると
本当に、お金なんか二の次で、一番大切なのは命だって思う。
大病にかかると人生観が変わるよね。
「健康第一・お金は第二」だよ。
「可延定業」とは、「定業」を延ばすことができる。という意味
ここでは、「不定業」は病気
「定業」は寿命(死)と定義付け
決まっている寿命ですら延ばすことが可能なのだから
それより軽い病気が治らないはずはない。
ましてや、あなたはまだ若いのだから
この病気は定業でなく不定業であるから
必ず治りますよ。と激励されている御書です。
まぁ、一応は病気を不定業、寿命を定業とされてはいるが
冒頭で、軽病と重病を分けているので、
定業の中に重病は含まれると思う。
軽病=不定業、重病・死=定業。ということだろう。
実際、我々も風邪や虫歯で必死に祈ることはないが
命にかかるような病気になったときは必死に祈る。
また、命に関わるような重病の場合の原因は
「業による」ものであると考えられるから
それは「不定業」ではなく、過去世からの「定業」だ。
病気が全て「不定業」なら、病気に信心は必要ない。という話になってしまう。
では「重病」を治すにはどうしたらいいか?
ということだが、冒頭にはこのように書いてある。
◆重病すら善医に値うて急に対治すれば命猶存す
ここの一番のポイントは「善医にあう」ということである。
現代でも、いい医者にかかるのと、ヤブ医者にかかるのとは全く結果が違う。
ゴットハンドといわれるような名医によって命を救われる人もいれば
医療ミスで奪われなくてもいい命を医者に奪われる人もいる。
それほど医者という存在は大きい。
◆病の所起を知らぬ人の病人を治すれば人必ず死す(撰時抄)
では、この「定業」「業病」を治す善医を尋ねれば、本文には
釈尊・天台・大聖人を挙げている。
処方し病人に与えてくれる善医なのだ。
この善医と会い、善医を信じて
南無妙法蓮華経の良薬を服すことが
重病を治し、定業を伸ばす唯一の方法だ。
しかるに今の創価は
この善医であり、尚且つ大良薬である
人法一箇の戒壇大御本尊を
受持することを放棄したのである。
つまり自ら「重病」を治してくれる善医をすてて
業病の原因を知らない池田センセを始めとする創価上層部を取ったのだ。
御聖訓の通りならば、「必らず死す」のである。
創価の言うような信心をしたら文字どうり「必死」である。
俺も詳しくは書かないが、重病を患った。
そして大御本尊に本当に祈り、
乗り越えるどころか病気によって功徳までいただいた。
善医とヤブ医者ではその結果に雲泥の差がある。
大御本尊と創価幹部。
比べるのももったいないが、
どちらが名医でどちらがヤブかは明白だろう。
もし、このブログを読んでる病気で苦悩している学会員さんがいたら
創価幹部の指導など鵜呑みにせずに
大御本尊を信受し祈りきって欲しいと思う。
病気によって正しい信心に戻れるのなら
その病気はまさしく諸仏の計らいであり
そうであるなら必ず「可延定業」となると思う。
◆病ある人仏になるべきよしとかれて候、病によりて道心はをこり候なり、(妙心尼御前御返事)