先日書いた母の退会の件で
母の仲の良い創価活動家のYさんご夫婦と会って話した。
母も退会するにあたり、Yさんご夫婦に話をして欲しい。
といっていたので
突然はあったが今日2時間弱話をすることになった。
俺がYさん夫妻に話したかったのは
できるのなら今まで通りに母と仲良く付き合って欲しい。
その一点だけ。
それが母の望みでもあるし、それだけお願いするつもりだったが
まぁ、相手からすれば、
「ああ、そうですか。わかりました」ってわけには行かない。
俺が母に退会を勧めている理由などを
当然のことながら訊いてくる。
俺は、創価が教義変更して大御本尊を捨てたこと。
それによって創価には大聖人の仏法はなくなったこと。
母のような信心が分かっていない人間が
大聖人の仏法がない組織に居続けけても大聖人の仏法にめぐり会えないこと。
母のような信心が分かっていない人間は、
御本仏(大御本尊)に直接会わないとダメだということ。
その為には日蓮正宗にならななければいけないこと。
基本的にはそのような内容を話した。
それに対して、Y夫妻は大御本尊を信じてないわけじゃない。というので
「Yさんは大御本尊も信じているのはよくわかりました。同じことをいう学会員さんもたくさんいます。
でも、いまはYさん達の信心をどうこう言ってるのではなく、創価総体のこと言っているんです」
「創価学会だって大御本尊を信じないとは言ってないですよ」とYさん。
「いやいや、聖教新聞で弘安二年の大御本尊を受持の対象としない。と明確に発表したでしょ」
「それは知ってますが、それは信じない。ということじゃありません」
「ちょっと待ってください。受持しないというのは信じないと同じことですよね」
「なんでそうなるんでしょう?」
「大聖人の仏法ってのは、受持即観心の信心ですよね?」
「そうですよ。それが信心の基本ですから」
「そうでしょ?受持とは信心のことですよね」
「そうです」
「では受持とは信心っていうのは、僕とYさんの共通認識ですよね」
「そうです」
「ということは、大御本尊を受持の対象にしない。というのは言い換えれば大御本尊を信心の対象としない。ということじゃないですか。つまり大御本尊を信じない。ということだからこれは不信ですよね。不信は謗法ですよね。つまり創価学会は総体としては謗法ということになりますよね」
「いや、そうではないです。そのように私たちは受け取っていません。大御本尊のことも信じています。」
「ちょっと待ってくだい。受持とは信心でしょ?だったら受持の対象としないっていうのは信心の対象としないことで、信心の対象ではないというのは本尊として認めない。ってことになりますよね」
「そうですか。そのような受け止め方をされるのですね」
「いやいや、そのような受け止め方といいますが、それ以外にどのような受け止め方があるのですか?もし創価が大御本尊を信じている。というのであれば、わざわざ聖教新聞で大御本尊を受持の対象にしません。という必要はないでしょう。御本尊は全部一緒です。というだけいいじゃないですか?なんでわざわざ受持しないというのでしょう。」
「聖教新聞になんて書いてあったか記憶が曖昧なのであれなんですけど大御本尊を信じない。という意味ではないと思います」
「では、どんな意味ですか?受持の対象じゃないけど信じないわけじゃない。これって変ですよね」
「私は別に変とは思わないですよ」
「え?どうしてですか?どうして変じゃないって思うんですか?説明してくださいよ」
「受持の対象にしないのは日顕宗がそうさせたからでしょ」
「破門されたことと、受持しない。というのは関係ないですよ。創価が破門されようとされまいと、創価ができる以前から、そして今後創価がなくなっても、大御本尊は大聖人の出世の本懐、一大秘法ですよね。それを受持しないというのは謗法じゃないですか。それにもしその理由であれば、受持しない。ではなく受持することができません。と書くべきじゃないですか」
「そういう考え方もあると思いますが、私たちはそう考えてませんよ」
「Yさん達は。でなく創価は。という話をしているんです。」
「創価学会もそんな風には思っていないはずです」
う~ん・・・・Yさん。
ボクの言っている事、理解できませんかねぇ?
ボクは何か辻褄の合わないこといってますかねぇ?
わかりずらいですか?
自分では、ちゃんと筋の通った話をしていると思っていのですが
ボクは変なこといってますか?
ボクからすると、Yさんの言っていることは
全く理解できないのですが・・・
その他、諸々の話をしたけど
どれもこれもなんだか途中で話が噛み合わなくなっちゃう。
Y夫妻さんは人柄もよく、母も仲良くしていたいと思っているので
大上段からの破折はしなかったけど
ホントに俺にはYさんご夫妻が言っていることは
理屈に合わないことばかりに聞こえた。
心理学で言うところの認知的不協和状態?そんな感じ。
まぁ、多くの学会活動家は認知的不協和なのだけど。
で、今日のところはYさんの尊敬する
教学もよく知っている幹部の人と近々もう一度会って話す。
という事で話は終わった。
Yさんにも立場があるだろうし、
それでYさんも納得するらしいから
その教学をわかっている幹部さん。
とやらに会うことにした。
ぶっちゃけ、創価幹部の教学なんて知れてるし
何を言ってくるのか。も大体予想もできるから
面倒と言えば面倒なんだけど
母をなるべく穏便に退会させるには
仕方ないなぁ。