創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

青蓮さんのブログを読んでみた。

今週は休暇を取り、まとまった時間が出来たので

青蓮さんのブログ「学会3世の憂うつ」を読んでみた。

以前、古本屋店主さんから紹介され

また、青蓮さんご本人からこのブログにコメントいただき

いつかキチンと読まないと。と思ったいた。

実は、古本屋店主さんから紹介された時に

チラっと流し読みしたのだが、

一読しただけで他の創価系ブログとは異なるブログだったので

キチンと読みたいと思っていた。

読んでみて、なるほど古本屋店主さんのオススメなだけあると感じた。

まづ、文章がしっかりとしている事に加え

ロジックもまたしっかりしていて

内輪ネタやら、レベルの低い(失礼)創価教学を書いている創価系ブログや

このブログにコメントくれた過去の創価活動家さんのような

感情的かつ理論破綻をきたすことなく

淡々と自身の主張を展開してていて

創価にも正宗系にも自身の考えの元に批判する様は

非常にバランスが良い。

なによりも他の創価活動家と違い

「自身の考えがある」つまり「自身で学んでいる」という事が

20代半ばという若さでありながら非情に好感を持てる。

これでは、現場の創価幹部や活動家では

情けない話だが、青蓮さんが「納得いく指導」は出来ないだろうと思われる。

ただ、このバランスが非常に良すぎて

青蓮さんの「信仰者」としてのベクトルというか姿と言うか

そういうものが見えてこない。

平たく言うと「信仰者ぽくない」そんな印象だ。

そんな青蓮さんの「思想」のバックボーンとなっているのが

どうやら「仏教学」のようだが

この「仏教学」の方向に行ってしまうと

「信仰者ぽくなくなる」というのは必然。

「仏教学」という「学問」を志すには

「信仰者」としての立場を徹底的に廃さない事には

客観的な見地に立ってフラットな判断を出来ない訳だから

「信仰者ぽく」あってはいけないのだろう。

それ故にバランスの良い主張が出来るのだと思う。

学生時代に「仏教学」と出会った。とのことなので

創価大の宮田教授あたりに影響を受け

そこから「仏教学」を学んだのろうか。

いずれにしても「学会員ぽくない」

しかし、更に考えれば実は青蓮さんは

近い将来の学会員のスタンダートなスタイルなのかも知れないとも思う。

そいう意味では「ニュータイプの学会員」

それが青蓮さんなのだろうと感じる部分も大きい。

御承知の通り、創価は大御本尊をすてた。

これにより、唯授一人地脈も

大聖人の出世の本懐も

日寛教学(ちなみに日寛教学などという教学はないが)も

そして、大聖人が御本仏である事も

全て、変えざるを得なくなった。

変えると言うよりも、全て否定しなければならなくなった。

そうしないと大御本尊を受持しない。

という教義の正当性を主張することが困難だからだ。

しかしながら、今までの教学では

当然これら(日蓮本仏や一大秘法など)を否定することはできない。

これらを否定するにはまず日蓮正宗の教学の根幹をなしている

日寛上人のご指南(仮に日寛教学と呼ぶとして)を否定しなけばならない。

となれば、「仏教学」という学問による以外に使える方法はない。

「人文学」「歴史学」「文献学」などを駆使し

時にはある御書を偽書とし

時には文献に残っていないから間違いだとしていく以外に方法は無い。

創価もすでにその方向へと舵を切ったのは明らかであり

いまは大御本尊不受論への教義を練っている所だろう。

青蓮さんはそうした創価教学の先頭・先陣ではないかと思う。

そういう意味で、青蓮さんは未来の学会員。ニュータイプだと感じる。

まぁ、「仏教学」見地からの正宗教義への批判は今に始まったことじゃない。

さんざん身延が言ってきた事なのでそれほど驚きはしない。

大御本尊を捨てれば身延化するのは当然の帰結と考える。

この先、創価は教義的には

身延派・創価学会となっていくことだろう。

そしていきつく先は本尊変更になるだろう。

日蓮本仏・戒壇本尊一大秘法・唯授一人血脈等々を否定すれば

日蓮大聖人の曼荼羅本尊へ題目を唱える。

という行為は、自らの主張との間に齟齬が生まれる。

なぜなら、大聖人が本仏でないなら曼荼羅本尊も口唱題目も

「仏法」ではなくなるからだ。

それは、人間日蓮が創造した「凡夫法」か

はたまた、菩薩日蓮上人が提唱した「菩薩法」か

いずれにせよ、大聖人が本仏でないのから「仏法」ではない。

故に、大聖人は本仏に非ず。という立場ならば

「我々が行じているのは仏法じゃありません」と言うか

釈迦が説かれている修行・本尊を用いるべきだろう(釈迦が説いているならの話だが)

話はそれたが、青蓮さんはご本人が言っている通り

現在は活動家でもアンチでもない。

それ故に、バランスが取れていて、信仰者ぽくない。

それが今の青蓮さんの魅力だと思う。

と同時になんとなくだが、

今はまだ信仰者としての自分を模索しているようにも感じる。

個人的には願わくば、

「大御本尊」「日蓮仏法」という方向に進んで欲しいとは思う。

だがいまは、私とは大きく意見も異なるのが少し残念ではあるが

ただ、自身で学び・思索し・結論出す。

いうプロセスを踏んでいる事に非常に感銘を受ける。

これは、私は活動家・幹部時代から皆に言ってきたことだ。

大聖人の仏法とは個の自立である。

絶対他力でも絶対自力でもない自立だ。

それができない創価学会員が多い中で

青蓮さんのような若者の存在は

創価の未来への一縷の光だと感じる。

青蓮さんが今後どのような方向に進んでいくのか?

非情に興味深くもある。

これからも、彼のブログを読んでみたいと思った。

追伸:「仏教学」見地立った正宗教義への批判については

大変にいいテーマなので

後日、いくつか記事にしてみたいと思っています。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 創価学会へ