創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

話がつながらね~よ

昨日、地元の創価活動家幹部と会って

小一時間ばかり話をした。

男子部時代からの知り合いで

特に仲も悪くないし、どちたかというと仲のいいほうの活動家だ。

(まぁ俺と話をするってことは仲が悪いわけはないが)

彼は、普段から

「池田センセの書写した本尊でいい」とか

「池田教で構わない。寧ろ嬉しい」

な~んて言ってはばからない

俺からすると完全に無間地獄行きへの

特急列車に乗っちゃっているヤツなんだが

それでも言わないよりも言ったほうがマシかと思い

年に1~2度会っては小一時間くらい話しをする。

今回も創価の本尊義も誤りを説明するが

まぁ、毎度のことながら聞く耳は持たない。

その細かい内容は割愛するが

彼の言い分を抜粋するとこうだ。

戒壇の本尊も、身延の本尊も。日顕(書写の)本尊もみな変わらない」

「これらの本尊は全て大聖人の出世の本懐である」

「仏力・法力よりも信力・行力が先で大切。」

「信力・行力があるからこそ仏力・法力が現れる」

創価学会でしか幸せになれない」

とまぁ、こんなところなんだが、

これってさ、話がつながんね~んじゃないの?

「身延の本尊も正宗の本尊も変わらない」ってことは

「身延の本尊も正宗の本尊も学会の本尊と全く同じ力用がある」ってことでしょ?

で、その力用というのは「信力と行力」によって出てくるんだよね?

ってことはさ、身延でも正宗でも

信力と行力があれば、仏力・法力が現れるってこと。

仏力・法力によって功徳が現れ

宿命転換をが可能となり絶対的幸福境涯になれるわけだから

身延でも正宗でも、「信力」「行力」があれば幸福になれる。といことになる。

なのに何故「創価学会でしか幸せになれない」という結論になるのか?

この理論でいうならば

創価学会じゃなくても

大聖人の顕した曼荼羅本尊に対する信行があれば幸福になれる。

しかもそのマンダラはコピーでもいいわけだから

創価のみならず、身延にも正宗にも所属しなくてもいいわけだ。

身延に行けば、お土産マンダラ買えるし

ネットでも掛け軸マンダラを買える。

つまり何処にも所属しなくても幸福になれる。

そういう道理になる。

だとしたら、むしろ創価学会に入らない方がいいよね?

創価に入ったら、公明党応援したり、

提灯記事ばかりの新聞もどきを毎月2000円も出して購読したり

年末には一口10000円の財務をしたりと

無駄な時間と金ばかりかかっちゃう。

創価に入らなければ、掛け軸を買うだけであとは何もかからない。

掛け軸買うのがもったいなければ

知人の学会員の本尊をカラーコピーしてもらえばいい。

カラーコピー代金なら500円もかからない。

それでいいじゃん。

本尊は皆一緒で、信力と行力あれば功徳が出るなら

なんで「創価学会じゃなきゃダメ」なのさ?

おかしいんじゃん。そんな話。

って聞いてみたが

「それは創価学会以外は謗法だから」

だってさ。

だ~か~ら~

だったら何処にも所属しなきゃいいんじゃね~の?

ってさっきいったよね?

オマエの話は全然言ってることがつながんね~よ。

「いや、創価じゃなきゃ幸福になれないのは事実だから」

なんだそりゃ・・・

しっかりしろよ「池田教」!

今度会うときまでにはもう少しレベルアップしとけよ。

と言って彼と別れた。

しかし本当に意味分かんね~。

まぁ、そこが池田教の池田教たる所以だが

疲れるわ~。

(本人が池田教と言われると嬉しいとうので池田教と記述させてもらいました)

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