熊本地震から1週間。
被災地ではまだまだ予断の許さない状況が続く。
心からお見舞い申し上げます。
5年前の東日本大震災。
俺自身は関東圏に住んでいるので大きな被害は受けなかったが
俺の父方と嫁の母方の実家がともに福島県で
親類縁者が多く福島県にいて
消息がわかるまで1週間本当に気が気じゃなったことを思い出す。
俺も福島県にいつか移住しようと土地を購入してあるのだが
5年経ったいまでも、いまだ除染作業が完了していない。
また、今回の熊本県も友人がひとり熊本の出身なので
他人事とは思えない。心が痛む。
こんな、惨事である震災が起きると
必ずいるのが、
震災を【総罰】という輩だ。
立正安国論やら、 聖人御難事やらの御書を引用して
震災が起きたのは【罰】と主張するわけだ。
そういう言葉を聞いたり、ネットで見つけると
本当に胸糞悪い。
したり顔で「今回の震災は正法誹謗による総罰です」
な~んて書いてあるサイトをうっかり見つけちゃうと
その書き手の頭と心の構造はどうなってるのか?
頭破作七分なのか?と思わずにいられない。
「正法誹謗の総罰」だけでも酷い思考なのに
「熊本地震は安倍政権を支持したから起きた」などと書いてある
トンデモブログまであった。
しかもご丁寧に学会員は自民党じゃなく公明党を支持しているので問題ない。
とまで書かれているにいたっては
いくら個人的な感想を書く場であるブログであっても個人的には許しがたい
そしてそのようなブログを書いているのが学会員なのだから嫌になる。
そもそも「震災」を「罰が出た」などと言い放つ人間性。
信仰者を名乗る前に、人としてどうかしてると思う。
そんな方々に日蓮大聖人の仏法を信仰してます。などと言って欲しくない。
てか、その言葉を被災地に行って被災者の方々に言えるのか?って話。
堂々と被災者の方々に面と向かって「総罰だ」って言えるならたしたものだが言えないだろう?
本人の目の前で言えないことをコソコソいうのはいただけない。
まぁ、そうした人は「私が言っているのではなく大聖人様が言っているのだ」と反論するのだが
「言っているのはオマエだよ。大聖人のせいにしてんじゃね~よ」って感じだ。
そもそもだ。大聖人の言葉と、オマエの言葉は全然違うんだよ。
例えば、自分のお世話になっている人から
「お前のこういうところが悪い」といわれるのと
赤の他人からいわれるのと
同じ言葉を言われてもその重みは違うんだよ。
大聖人は確かに「一国謗法故に災難が起こり、それは総罰である」と言われている。
でも、それは衆生を救わんがための言葉であり
また御本佛として衆生を救う力があるから言える言葉なのだ。
俺たち凡夫には、そんな力もなければそんな覚悟もない。
なのに、人の不幸をみて無責任に「総罰です」なんてよく言えるよ。
こんなただの言い逃げなんか、法を下げ、他人の心を逆なでするだけで
何の意味も価値もない。
それを震災の度に書いたり、言ったり。
本当に胸糞悪いのだ。
因みに俺の個人的な見解は、大聖人ご入滅後に総罰なんかない。と思っている。
なぜなら、総罰の原因はすでに大聖人の法体の折伏によって一掃されているからだ。
◆大陣すでに破れぬ余党は物のかずならず(四条金吾殿御返事)
大聖人が戒壇大御本尊を建立した時に
すでに、総罰の原因は敗れている。
だから総罰などない。
それが俺の考えである。
震災にあってしまうのが仏法上どんな意味があるのか分からない。
わからないが、ご本仏である大御本尊が厳然としておられる。
全て、転重軽受していけるはずだ。
被災地の皆さんの事を心からご祈念申し上げます。