先日、ある学会員さんから
「今まで通り日蓮仏法がしたい。学会のご本尊と信仰のありかたについて」
とのご質問をいただきましたので、
創価本部が勝手に本尊義を変えたから
おそらく困惑している学会員さんも多くいると思うので
今夜はこの件について書こうと思う。
まづ、純真な学会員さんが困惑する一番のポイントは
学会の本尊でいいのかどうかだと思う。
宗門・法華講などは学会の本尊を「ニセ本尊」と呼んでいるが
この点を厳密に言うと「義」の上から言えば
宗門・法華講がいうように学会の本尊は、本尊としての【義】はない。
平たく言うと、本尊の体はなしていない。というのが率直な意見だ。
では、その本尊は魔札なのか?功徳は出ないのか?というと
そうとも言い切れない。
というのも功徳があるかないかという【事】の上では
本尊義は重要な要素であることは当然なのだが
それと同じくらいにこちらの信力・行力が重要になる、
もし本尊義だけが重要であとはどうでも良いのなら
身延の本尊ににも功徳があることになるし
日逹上人の御本尊をご安置してるバリ活学会員には功徳がある。ということなる。
それはどう考えてもありえない。
となると重要なのは「信心」ということになる。
戸田先生も「ご本尊様には違いはあるがこちらの信心如何で大御本尊と同じになる」と指導されている。
◆信心の血脈無くんば法華経を持つとも無益なり
とある通りだと思う。
この【信心の血脈】を具体的言うと、何度かこのブログで書いているように
一大秘法の【戒壇大御本尊】と、日蓮日興の【唯授一人血脈】へ信を取ることをいう。
突き詰めれば【一人血脈】も大御本尊=大聖人に帰結するのだから
【戒壇大御本尊に信を取る】ということが【信心の血脈】だ。
この【信心の血脈】により、【義】のない学会本尊に【事】が顕れ
【事】が顕れることにより【義】も備わる。というのが俺の考えである。
ご本尊というのは大聖人の色心二法なのだから
突き詰めれば【大御本尊】以外の御本尊は
皆分身であり、乱暴な言い方をすれば大御本尊の垂迹のお姿だし、ある意味方便だ。
だから、大御本尊以外の御本尊に「ニセ」も「本物」もないと思う。
真偽があるのは御本尊の方でなく、こちら側の信心だ。
だから、学会のご本尊でも何の問題もないので安心して欲しい。
現に、俺自身も以前体験談を書いたように学会の本尊から功徳をいっぱい頂いている。
以上が本尊に関することだが、ここからは学会のご本尊で功徳を出す方法。
これまた何度かブログに書いてはいるが何度でもかく。
まず、自行としては、
1.勤行は五座三座を基本にする。
2.ご観念文も正宗のご観念文を使用する。
3.あくまでも大御本尊(大聖人)を胸に思い唱題する。
また教学は創価教学でなく、日寛上人の教学をできるだけ学ぶ
で、化他行としては
1.学会活動はしない。
2.聖教新聞は購読しない
3.財務は当然しない
これは、謗法への布施を止めることで、
立派な折伏であり化他行だ。
これを続ければ必ず功徳は出る。
悩める学会員さんには是非とも実践してもらいたい。