俺は以前から学会批判系のとある掲示板を作っているんだど
最近その掲示板に、おそらく学会男子部と思われる人からの投稿。
その学会員さんがいうには
なんでもその人は自分のスマホの待ち受けうけ画面に
御本尊の画像を使っていて
時間が空いた時にそのスマホ本尊に題目を上げるとのこと。
で、それは謗法かどうか?と質問された。
学会員の誰かはやってるだろうなぁって思ってはいたが
本当に「スマホ本尊」やってる学会員が存在していたよ。
さて謗法かどうかと訊かれれば
そらアンタ謗法ですよ。
男子部時代に入決をした人が
本流の日まで待てずに、自分で「南無妙法蓮華経」と書いた紙を
壁に貼って題目上げてたのを慌ててやめさせてことを思い出した。
それと同じ道理だな。
自分で勝手に御本尊を写真に撮って本尊とする。
その行為は、自分で御本尊を書写して本尊としているのと同じで
つまり、自分で御本尊を作っちゃってるんだから
謗法です。
その彼が言うには、印刷されている本尊と
それを写した画像とは違いがない。と。
そこで、俺はその彼に「御本尊」定義を尋ねると
「大聖人が魂を墨に染ながした大切な御本尊様と思います」との答え。
え?ここまで分かっていながら「スマホ本尊」なの?
画像を写したのが大聖人ならば
日蓮が魂が流れているだろうけど
自分で写した画像に大聖人の魂をどうやって写すの?
な~んて思ったり。
しかし、確かに謗法なんだけど
なんだか悲しくなってくる話なんだよなぁ
その彼が御本尊を求める気持ちは多分嘘じゃない。
空いた時間に唱題をする。なんて素晴らしいことだと思う。
でも、肝心な本尊義が分かっていないというか
創価に嘘の本尊義を教え込まれちゃっていて
折角の純真さも総て無駄というか謗法になってします。
こんなに悲しいことはないね。
これはその彼だけじゃない。
多くの学会活動家にも当てはまる。
純粋に信心だと信じて学会活動をしているのに
全てが謗法にしかならない。
本当に痛ましい。
御本尊は大聖人の魂であるとわかっていながら
御本尊が人法一箇であると分からない。
そして何より大御本尊こそが日蓮大聖人である。
という事を知らずに、創価本部に言われるまま
大御本尊を捨ててしまっている
その根本が分からないから「スマホ本尊」なるものを
大真面目に「やっていいこと」だと思っちゃう。
なんだか切ない。
と同時に、会員にこのような謗法を犯させる
池田センセと創価上層部
そしてそれに追従する創価患部に怒りを覚えるわけだ。
何度も何度も書くけど
本当に学会さんには教学を学んで欲しい。
無知は悪を助長する。故に無知とは「悪」なんだよ。
◆悪を滅するを功と云い善を生ずるを徳と云うなり(御義口伝巻下)
まずは自身の「無知」という「悪」を滅することが功徳を得る第一歩だよ。
それと、「スマホ本尊」している学会員さん。もしこのブログ読んでたら
即座にやめましょうね。