林檎さん、こんばんは。
> 私を活動家にさせようとしている点では支部婦人部長は魔と呼べるのでしょうか。
簡単に言えば「魔」です。
支部婦人部長がどんなにいい人でも「魔」です。
「魔」の働きとは
◆第六天の魔王と申す三界の主をはします、すでに此のもの仏にならんとするに二の失あり、一には此のもの三界を出ずるならば我が所従の義をはなれなん、二には此のもの仏になるならば此のものが父母兄弟等も又娑婆世界を引き越しなん、いかがせんとて身を種種に分けて或は父母につき或は国主につき、或は貴き僧となり、或は悪を勧め或はおどし或はすかし、或は高僧或は大僧或は智者或は持斎等に成りて或は華厳或は阿含或は念仏或は真言等を以て法華経にすすめかへて仏になさじとたばかり候なり(治部房御返事)
とあるように、衆生の成仏を阻止すること。
つまり大御本尊への信心をやめさせる事が目的です。
衆生が成仏してしまうと自分達(魔)の住処が無くなってしまうので都合が悪いらしいです(笑)
創価の活動をするということは、正に大御本尊を捨てることにつながる行為です。
「そんな大げさな・・」と思うかもしれませんが
それが「紛然」と現れるということです。
紛然とは、「わかりにくい」「紛らわしい」という意味です。
このブログへのコメントを読めば林檎さんは大御本尊への信を深めていることがわかります。
このままいけば林檎さんは成仏(幸福になる)してしまう。
だからこそ学会活動に参加させようと「魔」が働いているのです。
先日も御書講義で書きましたが
「魔」が現れたということは林檎さんの信心が正しい証拠です。
>活動を拒否するべきとはわかっているのですが、上手く断れません。
それはそうでしょう。
おそらく、婦人部長さんが連絡してくるのも
林檎さんのスケジュールなどを知っているのも
ご主人が婦人部にリークしてお願いしていることだ思います。
そんな中あからさまに拒否れば、またご主人との関係がギクシャクしてしまいます。
無理に断る必要もなければ、無理に活動する必要もありません。
大切なのは「心」です。
◆王地に生れたれば身をば随えられたてまつるやうなりとも心をば随えられたてまつるべからず(撰時抄)
と御書にあります。
止むを得ない状況で創価の活動に参加したとしても(身は従っても)
大御本尊への信を失わなければいいのです(心は従わない)
そうであるならば、罰が出るどころか必ず守られます。
◆「必ず心の固きに仮つて神の守り則ち強し」云云、神の護ると申すも人の心つよきによるとみえて候(四条金吾殿御返事)
>婦人部長に思っていることを話すことで私の信心が試されているのでしょうか
それも一理はあるかもしれませんが、今も書いたように今すぐどうこうしなくても大丈夫です。
いまは、今まで通り、大御本尊への信を取り
勤行・唱題に出来る範囲でいいので励んでくだい。
そのうち林檎さんの強き信に「魔」の方が音をあげますから安心してください。
最後にもう一度書きますが
林檎さんの信心が正しいから魔が現れているのです。
孤軍奮闘とはおもいますがご本仏が味方です。
何も心配ありません。
また、私やこのブログの多くの読者の方も林檎さんを応援してますから
これからも「正法」を行じていってください。