創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

一山いくら

桜梅桃李。自分らしく、個性豊かに。

創価の信心にはソレがある。

って言う幹部・活動家がいるけど

俺には、そんな創価幹部・活動家は

一山いくらのジャガイモに見えるな。

まぁ、確かに一山の中にも、

大きい・小さい・形がいい・形が悪い・中には腐っていると様々あるが

所詮は、全部同じジャガイモ。

それが創価幹部・活動家じゃないかと思う。

まず、彼等は説明ができない人ばかり。

自主的に創価の信心をし、創価が正義だ。大聖人直結だ。というならば

当然考えに至った理由や、創価が正義である理由を説明できるはず。

ところが彼等にはそれができない。

話すと途中までは色々というが

皆、大聖人仏法の法義に則して説明ができず

多くの会員がいるから正しいとか

世界から顕彰されている池田センセの言う事は正しい。などど言いだす。

信者が大勢いるのが正しいのなら

キリスト教イスラム教の方が創価より正しい。

世界から顕彰されるから偉大で正しいのなら

池田センセよりも、ダライラマ14世やマザーテレサのように

ノーベル平和賞を受賞した人の方が偉大で正しい。

このような人達を師匠にし、永遠の指導者にしたらどうか。

こうした発言を見聞きする限り

とてもじゃないが、創価の正義を叫ぶ活動家に自主性は感じない。

単に創価の言ってる事をそのまま無条件に受け入れているだけ

本当に自主的に創価の正義を信じているなら

その正義を説明できて当然じゃないか。

日蓮仏法の信者と言うならば当然キチンとその理由を説明できるはず。

説明できないのは他人(創価幹部)に言われた事をまんま信じているだけじゃ

全く受動的で、能動的な部分は全く見当たらないよ。

また、創価の活動についていうと

これまた、どこにも主体性がない。

上からの打ち出しをまんま言われたとおりにこなしてるだけ。

俺にも経験があるが、幹部言ってる事をやらないと

組織から事実上追放される。

つまり活動家として創価の組織に残っているのは

主体的に信心をしている人でなく

組織に言われた事を従順に守っている人達だ。

これまた受動的で、主体性のかけらも感じないよなぁ。

このように、自主性も主体性もない人達が

創価活動家・幹部として創価の似非正義を主張するんだよ。

こうした、自主性・主体性のないひとは

残念だか世間の信頼や功績を残す事は出来ないでしょ。

つまり世間では相手にされないか利用されるかって所だよね。

だから、そうした人は学会の中に逃げ込んじゃうんだね。

学会はそうやって世間から逃げ込んできた人達を囲って

巧妙に利用してるんだな。

結局は、自主自立していないと、どっちにしても利用されちゃうワケだね。

そんなワケで、創価の信心で個性を伸ばす。な~んてことは有り得ない。

むしろその逆で、自らの自主性・主体性を奪われて

一山いくらのジャガイモにされ創価に収穫されるのがオチだよ。

ジャガイモにされる前に、創価の活動をやめないと。

自主性・主体性を保つならば、自主的に創価の活動をやめるべきだね。

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