まづは、コメントいただきありがとうございます。
> ここまでに13年ほどかかりました。 同様な方々もいらっしゃることと思います。 要は勇気の問題、つまり世間法(人の良い会員さんたち)との軋轢を恐れずに絶つことと、何より、真の仏法を求めていくという一念を失わない姿勢だと信じます。 「親しみにより破るべし」との大聖人は仰せです。しかし 築いてきた人間関係を主眼に置けば、いかにもつらく、裏切り幹部!と石もて追われる存在になることを恐れていた自分がいました。
> 内部から変えてみせる!という自負もありました。 会合でもかなり踏み込んだ挨拶もしました。 一家崩壊の恐れもあります。創価班一期生としての苦しみもありました。
何があったのかわかりませんが、創価との決別を決断されたようですね。
その決断をされるまでには、多くの葛藤があったと察するに余りあります。
活動家を長く続ければ続けるほど創価との決別を決断するのは並大抵行こことでありません。
でも、今の創価は大御本尊を捨て、自分勝手の教義をバラまいている
大聖人とは縁もゆかりもない邪教団と変貌してしまっています。
その創価と決別するは、大丈夫の心そのもです。
内部の活動家には言いたい放題言われます。
私もつい昨日まで談笑していた同じ学会員が
ある日を境に豹変した姿を目の当たりにしています。
組織の幹部は私と付き合うな。私には気をつけろ。無視しろ。と
あることないことを組織の人間に吹聴して
私と学会員を分断しようと画策しました。
そのくせ面と向かって私に対論を申し込んでくる幹部は
いまもって一人もいません。
それが、創価の活動家・患部というのもです。
影でこそこそと画策し面と向かっては何もいってこれない。
臆病者の集まりだと思ってます。
そんな烏合の衆に恐ることなど何もありません。
「裏切り者」私も言われました。
でも、私が組織を裏切ったのでなく
組織が私を裏切ったのです。
大御本尊を御本佛として純粋に信じてきた会員を
創価学会という組織は裏切ったのです。
その創価上層部の手駒となっている活動家は
大聖人を裏切ったのです。
大御本尊つまり大聖人を信じその正義をかたっていこうとする
大聖人を裏切っていないと思います。
これは、本当に素晴らしいことだと思います。
また、必ずランボーさん眷属が学会員中にいます。
これは私の経験上間違いあいりません。
臆病で狡猾な患部・活動家の誹謗中傷など
笑い飛ばしてやってください。
◆一切の人はにくまばにくめ、釈迦仏多宝仏十方の諸仏乃至梵王帝釈日月等にだにもふびんとをもはれまいらせなばなにかくるしかるべき、法華経にだにもほめられたてまつりなばなにかくるしかるべき
>信仰者としての人生の括りを意識すれば、このままではいかんと鼓舞しつつ、このブログにたどり着いたところです。
すごく感銘するお言葉です。
自分は何を信じているのか?
それとも、日蓮大聖人を信じているのか?
私も、そのことを自問自答した時期がありました。
何度も御書を読み
日寛上人んの書を読み
戸田先生の指導を読み
もちろん池田名誉会長の発言を吟味し
出した結論が、今の創価は大聖人仏法じゃない。ということでした。
そして、時の経過とともに創価の邪強化は進んでいく一方です。
創価に報恩する方法は
創価の邪義を破折することと今は思っています。
お互いにこれからが大聖人の弟子として真価が問われると思っていますし
ランボーさんという心強い同志を得た思いがいます。
共々に頑張りましょう!
またいつでも来てください。
最後に私の大好きな御書の一節を贈ります
◆但生涯本より思い切て候今に飜返ること無く其の上又遺恨無し諸の悪人は又善知識なり、摂受折伏の二義仏説に依る、敢て私曲に非ず万事霊山浄土を期す、
ではまた。