設い大鬼神のつける人なりとも日蓮をば
梵釈日月四天等天照太神八幡の守護し給うゆへに
ばつしがたかるべしと存じ給うべし、
月月日日につより給へ
すこしもたゆむ心あらば魔たよりをうべし。
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
今月の座談会御書は、「聖人御難事」ですか。
「余は二十七年なり」と、大聖人の出世の本懐が
「弘安二年の大御本尊である」という重要な御書ですね。
この「聖人御難事」を、身延のごとく解釈し
無理やり「大御本尊だけが出世の本懐ではない」としでかしたのが
約2年前の創価の本尊義変更の解説だったよね。
【その創価】が【聖人御難事】を学んだところで何になるのか?
本書で一番重要な出世の本懐の意義を捻じ曲げて
この御書の切り文だけ学んでも何も意味がない。
というか、今の創価にこの聖人御難事を学ぶ資格はないんだけどね。
創価は教義変更の改悪の解説で、本御書を引き、
※、「出世の本懐」 の本義は、大聖人の御生涯において、末法万年の一切衆生の救済のために三大秘法を確立されたこと、それとともに、立宗以来27年目に、熱原の法難において、農民信徒たちが大難に負けない不惜身命の信仰を示したことによって証明された民衆仏法の確立である。 大聖人が、「弘安2年の御本尊」 を御図顕されたことも、この三大秘法の確立と民衆仏法の確立という意義の中に含まれるものと考える。※
これを読むとね、「民衆仏法の確立」が主で、その一環として大御本尊を図顕した。
とうい意味なんだけど、基礎教学すらわかってないんだよね
(まぁ、学会活動家の教学レベルならこれで騙せるのかな)
仏の出世の本懐ってのは、一大事因縁といい、開示悟入なんだよ。
衆生に、仏知見を開かせ、示し、悟らせ、入せしめる。
それが仏の「出世の本懐」(基礎教学だよ)
◆一大事因縁の事 文句の四に云く一は即ち一実相なり五に非ず三に非ず七に非ず九に非ず故に一と言うなり、其の性広博にして五三七九より博し故に名けて大と為す、諸仏出世の儀式なり故に名けて事と為す、衆生に此の機有つて仏を感ず故に名けて因と為す、仏機を承けて而も応ず故に名けて縁となす、是を出世の本意と為す(御義口伝巻上)
それが「先」に無ければ「民衆仏法」が確立するわけないじゃん。
熱原の法難は、あくまでも「因縁」でありそれ自体が出世の本懐ではない。
熱原の法難っていうのは
大聖人の仏界即九界と熱原信徒の九界即仏法が
事実の上で境地冥合した姿であり
真実の事の一念三千である大御本尊ご建立の時が到来したという事。
そのことを「余は二十七年なり」と
大聖人とおっしゃって大御本尊をご建立したんだよ。
それを、、「民衆仏法の確立」の一環として大御本尊を図顕した。
なんて、本末転倒の解説している創価がこの御書を学ぶなんて両腹痛いっての。
さて、それを踏まえて今回の御文を解説すると
「大鬼神のつける人」ってのは、創価幹部・活動家のこと。
◆悪鬼其身に入つて我を罵詈し毀辱せん(一代五時図)
悪鬼其身の人ってのは大聖人(大御本尊)を、罵詈し毀辱する人。
大御本尊と創価の御本尊を全く同じ。
なんて推尊入卑するのは大聖人を罵詈し毀辱しているの同じ。
また、御書にはこうも書いてある
◆或は悪鬼天魔の身に入りかはりて悪法を弘めて正法ぞと思ふ者もあり(小乗大乗分別抄)
ほらね。まさに創価の幹部・活動家のことでしょ(笑)
大聖人仏法(大御本尊)以外の悪法を広めているのに
正法(大聖人仏法)を広めていると思っている。
こういう人を「大鬼神のつける人」というわけ。
でも、そんな連中がどんなに大御本尊を嘘の讒言で誹謗しようとも
諸天善神が守護するので大御本尊を罰する(貶める)ことはできない。
そして、どんなに創価の連中が詭弁を使い
大御本尊のことを貶めても、
日々月々強く大御本尊を信じていきないさい。
少しでも疑う心があれば、自分自身が悪鬼其身の者になってしまいますよ。
ってのが、今月の座談会御書講義だな。
決して、どんな権力が創価学会や先生を迫害しても学会正義は壊されない。
なんていうバカな講義をしたり、聞いたり、信じたりしないようね。
最後に、「月月日日につより給へ」ってのは
◆深く信心を発して日夜朝暮に又懈らず磨くべし何様にしてか磨くべき只南無妙法蓮華経と唱へたてまつる を是をみがくとは云うなり。 (一生成仏抄)
ということだからね。
要は、創価のインチキ勤行・インチキご祈念はやめて
五座三座とちゃんとしたご観念文を祈念することが大切。
五座三座は大変だから少しづつできるようになればいいと思う。
今日からすぐにできるのは、
創価のインチキご祈念文を読むのをやめること。
まづは、これから実践してみてね。
そうじゃないと、魔が知らせを聞いてやってくるよ(笑)
魔の軍勢に加わるのでなく、
大御本尊を守護する、
梵釈日月四天等天照太神八幡の
諸天善神の陣列に加わろうね。