先月の29日・30日の聖教新聞4面に
「会則の教義条項改正に関する解説」なるものが
発表されたのはもうご存知の通り。
俺も一学会員として学会の主張もキチンと聞かないいけない。
別にただなんでもかんでも批判しているわけじゃないからな。
そこで、毎日何度も読み返してみたが・・・
う~ん・・・一言で言って「何も説明していない」
もっというと、スリカエ・詭弁・欺瞞に満ちた解説だと思う。
そもそも、この解説とやらは誰に向けて解説しているのか?
バリ活会員に向けているならこんな解説は必要ない。
彼らは学会の言う事は全て正しい。正義だ。と思っちゃってるから
わざわざ解説などしなくても【分かってれる】
なんとも扱いやすい【チョロイ信者】だ。
なのにわざわざ解説したということはそんな【チョロイ信者】向きじゃないだろう。
大御本尊を信受しない事に疑義を持っている会員
それと、教学がまだついていない新米の会員の向けて解説したのだろう。
にもかかわらずこんな陳腐な解説でコンセンサスを得られると本気で思ってるのだろうか?
バリ活会員さんは、こんな解説で他の会員を納得させられると思っているのか?
もしそう思っているのなら、自分達のレベルの低さを認識した方がいい。
このダメだし部分満載の解説とやらを順を追って読むと
まず【はじめに】と言う事で総論が書いてある。
まず笑っちゃうが
◆教義の変更ではなく、教義の解釈の変更と位置付けられるものである。
なに?これ?
現実に【教義を変えた】のもかかわらず、解釈の変更だって(爆笑)
教義の変更と、教義の解釈の変更とどう違うわけ?
憲法9条も解釈を変えるようなこと与党はやってるけど
教義を変えず解釈を変えるなら、教義の文はそのまま残すはず。
教義の文言を変更しておいて、解釈を変えただけ。
そんな理屈が通るわけないでしょ?
◆日寛教学や相伝書についても慎重に研究を重ねより普遍的な創価学会教学の構築
はいはい。これは将来的には日寛上人の教学は捨てますよ。
相伝書も学会に都合が悪いから捨てますよ。
という大宣言ですな。
【創価学会教学】の構築って自分で言っちゃってるもんなぁ。
大御本尊をすて、日寛上人の教学捨てて、相伝書捨てると
もう身延だね。
全体的に言ってる事は、身延と同じでビックリだよ。
そしてこの【はじめに】の解説部分で全体的に言えるのは
【教義】と【本尊】を混同している。と言う事。
無知か故意かは知らないがどちらにても欺瞞に満ちている。
【教義】というのは言わば【正しい本尊を知る】ためにあるもであり
【正しい本尊を説明している】のが【教義】なのである。
「普遍的な教義」の構築。それ自体は悪くない。
しかし大聖人の【本尊】と言うのは既に【普遍】であり【不変】なのである。
「普遍的な教義の構築」というのは
この大御本尊を信受できるようにするために必要なのである。
【教義】によって本尊を変える。
【教義】先にありき。
こんなのは大間違い。
【大本尊】が先にあって
それを説明するために【教義】は生まれ
【教義】によって【化義】は変わる。
これが本当。
つまり、教義や化義は様々な要因から変化し進化することはあっても
【本尊】が変わる事は有り得ないのだよ。
時代や環境が変わるたびに教義が変わり
教義が変わるたびに本尊観が変わる。
そんな宗教団体のどこが普遍的なのか?
その辺の解説は?
まぁ、のっけからこんな感じ。
残りの解説文についてはまた今度書くことにして
最後にもう一度
【教義】は変わっても【本尊】は変わらない。
【教義】と【本尊】の違いを理解することは
基本であり重要な事だよ。