昨日に続いて聖教新聞掲載の
「会則の教義条項改正に関する解説」について
そのダメっぷりを書いてみる。
今日は1月29日掲載分を見てみる。
昨日書いた【はじめに】の後に続いて
1.三大秘法についてとの見出し
三大秘法については30日掲載分と合わせて
全部で3つ解説している。
順を追ってみていくと
(1)三大秘法に関しては
◆(本文)宇宙と生命に内在する根本の法を南無妙法蓮華経であると明かされ
それを三大秘法として具体的に顕わされた。
とある。
これな。池田教学の一番ダメな所。
どこがダメかというと【法】の側面からしか見ていない所。
これだと南無妙法蓮華経とは唯の法である。
と言う事になる。
つまり法は人より上になってしまい人法一箇じゃなくなる。
それでは釈迦仏法になっちゃう。
大聖人仏法は、
【一念三千即自受用身】
人法一箇なんだよな。
宇宙根本の法と大聖人の色心二法は同じ。
つまり御本尊と言うのは宇宙の根本法であると同時に大聖人そのものと言う事。
また解説にある【生命に内在する法】ってのは
あくまでも【本仏の生命に内在する法】だ。
凡夫の生命に内在する法など本尊にはなるわけない。
仏界所具の人界と人界所具の仏界は似て非なるモンってことわかってね~よ。
それがわかってね~から
◆「弘安2年の御本尊」に繋がらなければ他の本尊は一切力用を発揮しないなどとする宗門の独占的な本尊観は大聖人の仏法に違背する
なんて解説しちゃう。
「大御本尊」に繋がらなければ他の本尊が力用を発揮するわけないんだよ。
発揮するなら、身延の本尊も力用発揮するのか?
顕正会の本尊も力用発揮するのか?
発揮するなら学会じゃなくてもいいじゃね~か(笑)
そもそも三大秘法の体というのは、
日蓮大聖人のお一人の色心二法に他ならない。
宇宙の法則なんて解釈は理の一念三千だ。
大御本尊と言うのは日蓮大聖人そのものである。
と言う事がどうしても創価患部・バリ活には分からないらしい。
ホントに嘆かわしい。
(2)出世の本懐に関しては
◆(趣旨)「聖人御難事」の「余は27年なり」の一節を引き、
この御書には弘安2年の御本尊の事は書いてない。難遭われた事を強調してるだけ
などど、身延の主張をコピペしたような解説。
ってか「書いてない」から「大御本尊建立が出世本懐じゃない」
というなら。
何度も言うが、「聖教啓蒙」も「公明支援」も御書に書いてない。
書いてないのだから仏道修行じゃないし
大聖人仏法の本義じゃない。
という理屈になるのだが?
それに、在家が勝手に教義を解釈してもいい。
在家が勝手に化義を変えてもいい。
とも御書には書いてないけど、それはどうなんだ?
ある時は「書いてないから」否定する。
またある時は「書いてないから」自由にする。
自分達の都合のいいように御書を使い分ける
このダブルスタンダードは、身延とソックリだ。
それにこの解説は全く論証のテイをなしていない。
主張した側に論証責任はあるのだが
「書いてない」といういうのは論拠を示していないのだ。
例えば、アリバイが無いから殺人現場にいたと言う証拠は無い。
と言ってるのと同じロジックなのが
今回のこの部分の解説のロジックなのである。
論証・証明というのは
アリバイが有るから殺人現場に居なかった。
と証明しなければいけないのだ。
出世の本懐が弘安二年の御本尊建立でない。と主張するなら
出世の本懐が弘安二年の御本尊建立でない。と書いてある文証を提示しなければ
論証したとは言えないのである。
こんな事は常識中の常識。
それすら出来ていないんだよ。
で結局大聖人の出世の本懐の解説はというと
◆27年目に熱原の法難において農民信徒たちが大難に負けない不惜身命の信仰を示した事
だって。
まづ、そうなら釈迦・天台・伝教と対比するの必要は無い。
御書で対比しているのだから彼等の本懐との中で一貫性がなければヘン。
まさか、大聖人の仏法だけが民衆仏法と言う訳じゃないだろ。
それに仏の本懐は、民衆たちによって示されるのでない。
例えば迹仏の釈迦の本懐である法華経は
無問自説である。
民衆に乞われて説いたのではない。
仏は民衆を化導する為の法を説き法を残す為に出世する。
それを衆生が受持するかしないかは関係ない。
故に衆生が受持した事が出世の本懐など言う解釈はありえない。
不惜身命の信徒なら、出世の本懐の時は
不惜身命の信徒はいたのだからその時でいいはずだ。
四条金吾に代表される
弘安2年以前にも不惜身命の信徒・民衆などたくさんいたのに
なんで弘安2年なんだ?
弘安2年を出世の本懐としたのは
不惜身命で三大秘法を受持した信徒が顕われたからでなく
それ以外の理由がある考えるのが自然だろう。
また、大聖人は熱原信徒が首を切られたのは聞いて
「これで俺の出世の本懐が達成された」と思ったのか?
バカも休み休み言って欲しい。
こんな感じで29日の解説を読み終えた俺は
次の(30日)はどんな与太話を新聞に掲載するのか?
と思うのであった。
つづく(笑)