創価ダメだしブログ

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御講拝読御書研鑽(2022年7月・四条金吾殿御返事)

此の経をききうくる人は多し、まことに聞き受くる如くに大難来れども憶持不忘の人は希なるなり、受くるはやすく持つはかたしさる間成仏は持つにあり、此の経を持たん人は難に値うべしと心得て持つなり、「即為疾得無上仏道」は疑なし

 

今月の御講拝読御書は別名『此経難持御書』といわれる1ページほどの短い御消息ですので全文拝読してみてください。【此経難持】とは法華経・宝塔品に説かれている言葉で、「此の経は持ち難し」と読み六難九易の説法をもって滅後(末法)に法華経を持つことの難しさを説いています。因みに六難九易は付属有在・令法久住とともに【宝塔品の三箇の勅宣】といわれます。六難九易とは枯草を背負って大火に飛び込んでも焼かれないとか、空を掴んで空中散歩するとか常識では絶対に不可能と思われる九つのことを挙げて、それらすら簡単に思えるほど末法法華経(大御本尊)を持つことの方が難しいという説法です。麻原尊師の空中浮遊や大川総裁の霊界との交信なんて屁でもないくらい大御本尊を受持するのは難しいのです。その理由は末法で大御本尊を受持すれば必ず難に逢うからです。では何故難に逢うのでしょう。それは自分自身の過去からの謗法が原因です。勤行のときに読む(創価は読みませんが)寿量品に【飲他毒薬】という言葉がありますが、我々のような末法に生まれてきた衆生は過去世から謗法の毒薬を飲み続けてきたいわば「謗法ドラック中毒者」なのです。そんな我々が大御本尊を信受することによって謗法ドラックを止めようとしているわけです。テレビドラマなどで麻薬中毒の人が薬断ちして苦しみもがいているシーンを見たことが有るかもしれませんが、それと同じで大御本尊への信仰によって「謗法断ち」をする過程では苦難に遭遇するわけです。また、これは私自身の体験でもありますが抗がん剤治療って「もう嫌だ」ってくらい本当に苦しいのです。でもそれを途中で止めたら治らない。薬物も癌も最初は痛くも痒くもありません。薬物に関してはむしろ気持ちが良くて幸福感すら感じるのでしょう。自覚症状が無いから何とも思わないけど確実に体を蝕んでいき最後は地獄の苦しみのまま死を迎えます。謗法もこれと同じで痛くも痒くもない。自覚症状もない。でも放置すれば最後は必ず無間地獄の苦しみを味わのです。それほど「謗法ドラック」「謗法癌細胞」は恐ろしいのです。それを治療し仏であるという人間の本来の姿である健康体に変えていくのが妙法の良薬である戒壇大御本尊です。この良薬を服用するとその反作用として過去世の謗法の反作用として苦難に逢いますがその苦難こそ正法の良薬が効いているという証拠でもあるのです。故に大聖人は、

◆今日蓮等の類いの修行は妙法蓮華経を修行するに難来るを以て安楽と意得可きなり(御義口伝巻上)

と教えて下さっているのです。ここで苦しいからと言って大御本尊への信を止めてしまえばまた「謗法ドラック中毒」へ逆戻りし、「謗法癌細胞」が再発してしまう。だからこそ大聖人はさる間成仏は持つにあり】と私達を励ましてくださっているのです。謗法の種類・度合いによって自身にかかる苦難の種類・度合いは人それぞれ違いますが、誰であれ何であれ大御本尊を受持する人がそうした苦難に逢うのは過去からの謗法罪障が消滅し本来誰しもが歩める成仏への道に戻るための苦難・苦痛なのです。この法理について大聖人は、

◆我等現には此の大難に値うとも後生は仏になりなん、設えば灸治のごとし当時はいたけれども後の薬なればいたくていたからず。(聖人御難事)

といわれています。この法理をまた「転重軽受」の法門ともいいます。四条金吾じゃなくても私達は信心をしていても苦しい事や辛い事に遭遇します。それでも戒壇大御本尊を信じ頼りにし唱題行を根本に退転することなく大御本尊を信受し続ければ必ず幸福になれる。成仏できます。大聖人は本抄を通じてそのことを御教示してくださっているのです。

天台大師の云く「信力の故に受け念力の故に持つ」云云

 

 

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