数日前の聖教新聞に、昨日だから一昨日だか忘れたが「法難の日」という記念日と言う事が書いてあった。
なんでも、牧口・戸田(敬称略)が戦時中に逮捕された日を記念日にしたそうだ。
▼この学会精神の不滅の原点は1943年(昭和18年)7月6日、初代会長・牧口常三郎先生と第2代会長・戸田城聖先生が治安維持法違反と不敬罪の容疑で軍部政府に逮捕された「法難の日」にある。(聖教新聞から引用)
こんな記念日は俺が活動家時代はなかったが、また増えたんだね。毎日が「何かの日」で創価民も忙しいね。
創価が会内で「ナントカ記念日」を作るのは勝手だが記事を読むと、
いかにも当時の牧口・戸田が正しい大聖人仏法を行じていたから難を受けた風に書いてある。
つまり、牧口・戸田の逮捕が大聖人仏法における「法難」であると。さすがにそりゃね~わ。
創価では牧口・戸田が反戦を訴えて逮捕されたように喧伝されているが、
むしろ逆で牧口も戸田も「戦争に勝利する」ことを願っていたことは多くの歴史的資料から一目瞭然だ。
聖教にも書いてある通り、牧口・戸田の逮捕は「反戦思想」ではなく、治安維持法違反と不敬罪だ。
そして記事では宗門に対して
▼権力の弾圧を恐れた日蓮正宗宗門は、御書全集の発刊禁止や御文の削除などの大謗法を犯した。
などと書いているが、宗門が「弾圧」を恐れたとしたのなら
それは大御本尊と血脈断然を守るために「弾圧」を恐れたのである。
つまり自分個人への弾圧を恐れたのではなく大御本尊への弾圧を恐れたということでこんなことは至極当然のことだろう。
およそ日興門下のご僧侶の使命は大御本尊を守ることが第一義である。
大御本尊を守る事は血脈相承を断絶させない事だ。
大聖人仏法を守り伝えるのがご僧侶の本懐なのである。
軍部から神札を受けた云々(創価の言うように宗門が祀った事実はない)
御書全集云々、必勝祈願云々、観念文云々と
創価は戦時下の宗門の行動にいちいち非難を加えるが、
戦時下という特殊な時代の中で大御本尊を守る為に、
御文を削除したり神札を受け取るるという行動をとることに何の問題があるのだろうか?
創価は大御本尊よりも御書の方が大切とでもいうのだろうか?
俺はむしろ耐えがたきを耐え、軍部に面従腹背しながらも大御本尊を守った宗門僧俗は偉いと思う。
当時は人革の「狸祭り事件」で有名な小笠原慈聞氏が正宗と身延の合同を画策していた時期でもある。
もしも当局に口実を与えてしまえば強引に身延と合同させらる可能性も十分ある。
そうなれば大御本尊は身延のモノとなり血脈相承は途絶える。
そこまでして頑なに「神札は受けません」と当局に逆らう事が大切なことではないだろう。
創価が指摘する戦時中の正宗の謗法だが、正宗僧俗はその時に
創価が指摘するような謗法を犯さず大御本尊を失い血脈相承を失った方が良かったのか?
ご聖訓に曰く
◆謗法の者にも浅深軽重の異あり、法華経を持ち信ずれども誠に色心相応の信者能持此経の行者はまれなり、此等の人は介爾ばかりの謗法はあれども深重の罪を受くる事はなし、信心はつよく謗法はよはき故なり(阿仏房尼御前御返事)
日蓮大聖人の色心二法たる戒壇大御本尊を危険に晒す行為と神札を受け取るのとどちらが大きな謗法かは明らである。
大御本尊を危険に晒す行為に比べれば、創価の指摘する宗門の当時の謗法行為など「介爾ばかりの謗法」に過ぎない。
逆に牧口は言った
▽「私が嘆くのは、一宗が滅びることではなく、一国が滅びることなのだ」(創価公式HPより)
牧口は一宗すなわち正宗が滅び大聖人仏法が滅びることより国が戦争で負けることの方を嘆いると。
大謗法というのは、この牧口のごとき言動をいうのである。
◆日蓮によりて日本国の有無はあるべし(種種御振舞御書)
とのご聖訓を見よ。「日蓮によりて」の「日蓮」とは大御本尊である。
その大御本尊を失うことを嘆かずして、一国が滅びることを嘆くとは本末転倒だ。
この当時の牧口創価教育学会は寺院とは絶縁状態であり、
会員にも寺院への参詣を禁止していたことも忘れてはならない。
牧口は特高の尋問に対し
▽「私は正式の僧籍を持つことは嫌いであります。僧籍を得て寺を所有する事になれば、従って日蓮正宗の純教義的な形に嵌った行動しかできません。私の価値創造論をお寺に於いて宣伝説教する訳には参りませんので、私は矢張り在家の形で日蓮正宗の信仰理念に価値論を採入れた処に私の価値がある訳で、此に創価教育学会の特異性があるのであります」
▽「会員は悉く日蓮正宗の信者として、常在寺、歓喜寮、砂町教会、本行寺において授戒して居りますが、創価教育学会其ものは、前に申し上げた通り日蓮正宗の信仰に私の価値創造論を採入れた処の立派な一個の在家的信仰団体であります」
と答えている。牧口創価は形だけは正宗の信徒であるが、
その実は大聖人仏法の信者ではなく牧口教信者だった。
つまり、逮捕される前から牧口創価は日蓮仏法の本道から外れた謗法路線を進んでいたのである。
これについては、『人間革命』の第1巻に
▽「牧口の価値論から入った、大善生活を思うとき、そこには、彼独特の、倫理的臭みを帯びてくる。さらに、大善生活の実践のために、大御本尊を仰ぐ時。大御本尊は、価値論の範疇に入ることになってしまう。――ここに砕尊入卑のきらいが影となって射して来るようだ。戸田は、出獄以来、ひとまず価値論を引っ込めた。そして、南無妙法蓮華経そのもの自体から出発したのである。それは、幾多の苦難の歳月を経て身をもって体験した確信からであった。彼は、価値論を現代哲学の最高峰であるとは思っていた…しかし、大聖人の大生命哲学からするならば、時に『九重の劣』とすら思えた」
と書いてあるように、戸田も池田も牧口の信仰にあり方に間違いがあったことを認めている。
とまぁこの件についてはまだ書き足らないところもあるがそれは機会があればいずれ書くが、
言いたいのは、牧口・戸田が逮捕されたのは「法難」なんかではない。
ということである。
▽「堀米先生に、去年堀米先生を『そしった』罰をつくづく懺悔しておる、と話してください。『法の師をそしり』し罪を懺悔しつつ『永劫の過去を現身にみる』と言っております、と」(獄中書簡)
▽「牧口先生の先業の法華経誹謗の罪は深く、仏勅のほどはきびしかったのでありましょう」(創価学会の歴史と確信)
と戸田が自ら言っているように、二人の逮捕・投獄は「法難」ではなく「仏罰」なのである。
なので、この「師弟の法難の日」というのは「そりゃ、ね~よ」って事である。
冒頭に会内でどんな記念日を作っても構わない。と書いたが
大聖人仏法と無関係な創価が大聖人仏法と関連付ける記念日を作るのはおこがましいにも程がある。
そこは、戸田の言葉を借りて、師弟の「仏罰の日」とでいいだろう。これなら大聖人は関係ないし(笑)
いづれにしても創価の歴史を見れば戸田時代の一部の事案を除き「法難」などないのである。
もちろん大作センセが逮捕されたのも「法難」ではなく選挙違反の容疑である。
そして今後も「法」を捨てた創価に「法難」など微塵も起こらないから安心したまえ。
それらは戸田に言わせれば全て「仏罰」である。