創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

創価教学じゃない御書講義(2021年5月座談会御書・立正安国論)

帝王は国家を基として天下を治め人臣は田園を領して世上を保つ、而るに他方の賊来つて其の国を侵逼し自界叛逆して其の地を掠領せば豈驚かざらんや豈騒がざらんや、国を失い家を滅せば何れの所にか世を遁れん汝須く一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を祷らん者か

はい。今月の座談会御書はこの立正安国論の御文ですね。いやいや実に分かりやすい。要は「選挙の戦いしろよ」って話ですね。なにせ当該御文は創価が選挙をする意義を無理やりこじつける唯一のテッパンの御文であり、創価切文教学の象徴ともいえる御文です。創価が言うには信仰者として自分の幸福だけ祈るではなく社会や世界の安寧・平和を祈ることが大切でその一環として政治に関わるらしいです。だから選挙=立正安国=信心なんだそうです。こんな切文のコジツケを真剣に言う莫迦杉君達が政治になんて関わって欲しくないと思うのは私だけでしょうか?そもそも、立正安国論に大聖人が政治について言及している所なんてありません。ちゃんと立正安国論を学んでいるんですか?大聖人は世が乱れ人民が苦しむ原因は、

◆世皆正に背き人悉く悪に帰す、故に善神は国を捨てて相去り聖人は所を辞して還りたまわず、是れを以て魔来り鬼来り災起り難起る

と神天上の法門を示されています。そして人々が正法に背くのは邪法を弘めるヤツがいるからで、そういう邪法を弘める人間こそが世を乱し人々を苦しめている「一凶」である。と言われてます。故に

◆如かず彼の万祈を修せんよりは此の一凶を禁ぜんには。

と言われているわけです。そうした全体の中で【汝須く一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を祷らん者か】と言われているわけですよ。四表の静謐を祈るのは万祈を修めることであり。それよりも「一凶」を禁しなければ社会や世界の安寧・平和はない。というのが大聖人のご指南です。だから選挙=立正安国=信心などという方程式は創価が会員に選挙運動をやらせるための詭弁でしかないのです。では、【四表の静謐を祈る】とはどういうことなのか?確かにコロナ収束や世界平和を祈ることも一理はありますが、その根本は【一天四海本因妙広宣流布の祈りなのです。そして【一天四海本因妙広宣流布の祈りは】必ず折伏・弘教になって顕れるわけです。大聖人は「如説修行抄」で、

◆法華折伏破権門理の金言なれば終に権教権門の輩を一人もなくせめをとして法王の家人となし天下万民諸乗一仏乗と成つて妙法独り繁昌せん時、万民一同に南無妙法蓮華経と唱え奉らば吹く風枝をならさず雨壤を砕かず、代は羲農の世となりて今生には不祥の災難を払ひ長生の術を得、人法共に不老不死の理顕れん時を各各御覧ぜよ現世安穏の証文疑い有る可からざる者なり

と言われており広宣流布以外に平和世界の実現はありません。だからこの立正安国論の最後に、

◆唯我が信ずるのみに非ず又他の誤りをも誡めんのみ。

折伏勧奨をされているわけです。選挙を立正安国論に結び付けるのは大聖人の仏法を矮小化する冒涜です。それにそもそもが創価こそが一凶でありその創価が支援する公明党もまた一凶です。立正安国論では法然(選択集)を一凶に指定しますが何故選択集が一凶であるかといえば、

◆捨閉閣抛の字を置いて一切衆生の心を薄んず

とあるように、法然は正法である法華経を「捨てよ、閉じよ、閣[さしお]け、抛[なげう]て」と言って多くの人々に捨てさせたからです。そして現在では末法のご本仏・日蓮大聖人の色心二法であり末法衆生成仏の本因である戒壇大御本尊を多くの人々に捨てさせている創価こそ一凶であることは御聖訓に照らして明らかなのです。「一身の安堵を思わば」まず創価とは関わらない。創価の依頼は聞かない従わないことです。「金」(聖教新聞の購読など)も「時間」(創価の会合にいくなど)も「票」も何一つたりとも創価に施してはいけません。創価会員の皆さんもですよ。貴方が創価をやめればその分世界平和に近づくのですよ。

◆所詮国土泰平天下安穏は一人より万民に至るまで好む所なり楽う所なり、早く一闡提の施を止め永く衆僧尼の供を致し仏海の白浪を収め法山の緑林を截らば世は羲農の世と成り国は唐虞の国と為らん、然して後法水の浅深を斟酌し仏家の棟梁を崇重せん。(立正安国論

最後に、以前書いた立正安国論の題号だけ講義をリンクしておきます。

題号だけの御書講義②(立正安国論)


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