創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

創価教学じゃない御書講義(2020年3月座談会御書・兵衛志殿御返事)

しをのひるとみつと月の出づるといると夏と秋と冬と春とのさかひには必ず相違する事あり凡夫の仏になる又かくのごとし、必ず三障四魔と申す障いできたれば賢者はよろこび愚者は退くこれなり

今月の座談会御書も過去何度もやった「兵衛志殿御返事」の上記の御文です。同じ御文を何度も座談会で取り上げて本当に芸がないというかなんというか創価の教学部は仕事してないんかい!と思ったりしますがこの御文は創価にとっては大切な御文で、どんな難にあっても学会活動をやめちゃいけないよと会員に繰り返しすることによってMC効果がでるという事なのでしょう。病気になろうと貧乏しようと家族や他人に嫌われようと、とにかくどんなに不幸になろうともそれは「三障四魔」なのだから学会活動をやめることはもとよりむしろ「喜んで活動するのが賢者」と会員を洗脳するわけです。全く莫迦げた話です。いいですか?「三障四魔」が現れる条件を確認してみると、

◆仏法をばがくすれども或は我が心のをろかなるにより或はたとひ智慧はかしこきやうなれども師によりて我が心のまがるをしらず、仏教をなをしくならひうる事かたし、たとひ明師並に実経に値い奉りて正法をへたる人なれども生死をいで仏にならむとする時にはかならず影の身にそうがごとく雨に雲のあるがごとく三障四魔と申して七の大事出現す(三沢抄)

との御文によれば、明師と実経に出会って「成仏」できちゃいそうな人に対してだけ現れるわけです。「明師」とは大聖人のことであり「実経」とは妙法ですから、【明師並に実経】とは人法一箇の大御本尊のことです。創価民は【明師並に実経】を捨て大作を選択した【師によりて我が心のまがるをしらず】の人々です。また「兄弟抄」にも、

◆此の法門を申すには必ず魔出来すべし魔競はずは正法と知るべからず、第五の巻に云く「行解既に勤めぬれば三障四魔紛然として競い起る乃至随う可らず畏る可らず之に随えば将に人をして悪道に向わしむ之を畏れば正法を修することを妨ぐ」等云云、此の釈は日蓮が身に当るのみならず門家の明鏡なり謹んで習い伝えて未来の資糧とせよ

とあります。【此の法門】とは、大作の思想や哲学はたまた在家で凡夫の創価が解釈した法門もどきではないのです。つまりガッカイカツドウなんてものは【此の法門】でもなんでもない。よって【行解】なんてものは皆無です。つまり「三障四魔」というのは正法を信じることを妨げようとする働きであり力なんです。だから正法でもなんでもないむしろ謗法の創価信仰をしてても成仏なんてしないのだから「三障四魔」なんて起こらないわけですよ。ガッカイカツドウしていて起こる「難」らしきものは全て自業自得よる苦しみで「難」ではなく「罰」といった所です。さて「三障四魔」の詳細は省略しますが「三沢抄」の上記御文の次下に

◆設ひからくして六はすぐれども第七にやぶられぬれば仏になる事かたし、其の六は且くをく第七の大難は天子魔と申す物なり

と書かれているように「三障四魔」の中で仏道修行を妨げる一番の「魔」が天死魔です。この天死魔というのは天界の六欲天の最上位にある他化自在天に住む神のことで、創価活動民がよく口にする「第六天の魔王」とか略して「天魔」というやつです。この「他化自在天」のスペックは簡単にいうと「自分の手を下さず他人を操り自分の思い通りにすることを楽しみにする」というものです。要するに「自分で苦労せずに他人に苦労させて自分だけ楽しむ」ってことです。それ故に国主や権力者が該当するわけです。自分では何もしないで周りの人がなんでもしてくる世界が化他自在天でありそこの住人が第六天の魔王です。これって誰かさんと一緒ですね。自分は0分勤行だけど弟子には自分の事を祈らせたり報恩感謝の祈念させたり、自分は大して折伏してないのに折伏の金字塔を立てたように話したり、会員の金なのにまるで自分が一番お寺に供養したかのごとく恩着せたり。そういう人がいましたね。たしか「イケなんとか、なんとかサク」という。そうです永遠の支障「創価大作」のことです。そして今の会長を筆頭とする創価執行部や創価職員も同じです。会員に弘教をさせ、会員に財務をさせ、会員に集票させ、会員に新聞拡販させた挙句会員に配達させ、会員に交通誘導させ、会員に会館警備させ・・エトセトラ・・なにから何まで会員にやらせておいて自分達は何もしないで高い報酬もらって会員を指導し時には査問し訴訟し除名し自分達のやりたい放題楽しむだけ。そうなんですよ。創価学会は化他自在天とほぼ同じなんです。人界の凡夫が化他自在天を真似て作った場所。いや欲に支配されたがゆえに「欲界」にある化他自在天のようになったのかそれは分からないけど化他自在天と創価学会は全くよく似た場所なんです。だから「創価大作」を筆頭とする執行部・本部職員こそ「第六天の魔王」なんですよ。勿論一般幹部でも何もしないくせに威張って命令しているヤツいるでしょ?それも悪鬼入其身の天魔です。大御本尊を捨てたがゆえに魔が便りを聞いて創価に集まってきたとしか思えません。そろそろそんな天魔に利用されていることを健気な会員さんには気づいて欲しいと願ってます。そして化他自在天の創価にいたなら成仏なんて100%あり得ないという事にも。創価信仰で身の上に起こる不幸はただの不幸なんです。謗法である創価活動をしていれば、不幸になっても幸福そうになっても「天魔」が喜ぶだけで本当の賢者ならば創価から退く。これが正解なのです。創価歓喜していること自体が愚者なんです。今の創価の教義・化義・指導がおかしいと思いながらも人間関係やら今までの創価民としての人生の歴史やら色々な思いがあり創価を辞められない人は大勢いると思いますが、それこそ「三障四魔」に負けてしまっている姿なんですね。そこに打ち勝って創価を辞め正しい大聖人仏法を信仰することが、自分がお世話になったり一緒に活動してきた学会内の友人を成仏に導く方途なんです。「第六天の魔王」は諸天善神としてご本尊の相貌にも認めれられています。何故なら大聖人仏法を行じれば「第六天魔」もまた仏道修行を助ける働きとなるからです。創価民達を「第六天」に置き去りに天魔のままで放置するかそれとも仏道修行を助けた諸天善神にしてあげるか。現役学会員さんにはよく考えてもらいたいですね。


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