創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

先師否定の五老僧の末裔。

先月、寝言丸さんの勧誡式に参詣したときに寝言丸さんから戸田会長のレコードの音声データをいただいた。この手の昔の指導や書籍は俺のような平成入会の人間は持っていないので非常に嬉しい。俺の友人の創価2世の家にも昔の書籍がたくさんありそいつも家族も創価を辞めるつもりがないようなので買取させてくれといってるのだが何故だか手放そうとしない。手放なさないということはまだ多少は大御本尊の許へ戻る可能性があるのだろうと会うたびに話をしている。戸田会長の指導のレコードは昔これまた創価2世の地区リーダーが録音したものを聞いたことがある。確か「三沢抄」の講義だったと記憶している。いまこうして改めて寝言丸さんからいただいた戸田会長の指導を聞いてみると日蓮正宗の教義から全く逸脱していなく大聖人仏法の教義をキチンと会員に教えていることが分かる。因みにいただいた音声データには大作センセの指導?スピーチ?も入っていたがこちらも聞けば聞くほどなんでこんな若造が戸田会長の後を継いで3代会長になったのか分からないが俺が男子部時代の青年部長の谷川・男子部長の佐藤も同じように中身のない話を勢いだけで話していたからこれは大作センセからの伝統なんだろうなぁって思う。

さてそんな戸田会長の指導だかどんどんと創価内では抹消されている。戸田城聖全集は廃刊となり久しい。俺はたまたま戸田城聖全集は無料で手に入れることが出来たが今や古本で買う以外にない。やがてそれも市場に無くなるだろう。戸田会長の書籍だけではない。昔の創価が発刊した「御書講義」の書籍も今やヤフオクかメルカリ頼りだ。俺の御書研鑽のテキストだった御書講義本もわが家にが十冊程度となった。「六巻抄講義」も多分廃刊になっていると思われる。昔の大作指導やニンカクなどの大作本も改竄に次ぐ改竄だ。「時代に合わなくなった」という理由を創価民は口にするが仏法の道理が時代によって変わることはないし、ニンカクだって創価の歴史なのだからそれを時代を理由に改竄するのはまんま創価の歴史の改竄である。要は「時代」というよりも今の自分達の都合に合わなくなったという事だろう。つまり「変節」したのは宗門ではなく「創価」と「池田」の方だという証左でもある。

しかし、自分達の都合に合わせて戸田会長などの先師の書籍を廃刊にする行為は全く五老僧にそっくりである。ご存知の通り五老僧は大聖人御書を燃やしたりスキカエシにしたりして消失させた。いまの創価のやっている事はまったくこれと同じだ。

◇是れ先師の恥辱を顕す云々、故に諸方に散在する処の御筆を或はスキカエシに成し或は火に焼き畢んぬ。(富士一跡門徒存知の事)

「永遠の指導者」であるならばその指導も永遠であるはずだし、師匠というのならば師匠の言葉を正確に残し後世に伝えるのが弟子としての務めではないか。それを無かったことにするなんて到底弟子とは思えない所業だ。昔と違い今はいくら廃刊にしようともネットでいくらでも創価の昔の指導を読めるが廃刊・改竄する行為に「師弟不二」などという精神の欠片も見えないのである。元々は大作が戸田会長の指導に背いたのだが今はその大作が戸田会長を利用したように現執行部に利用されているだから因果律というものは不思議なものである。日興上人は「富士一跡門徒存知の事」の上記の言葉に続いて、

◇ 此くの如く先師の跡を破滅する故に具に之を註して後代の亀鏡と為すなり。

と綴っている。五老僧の大聖人の「跡」を破壊する所業を日興上人が明らかにして後代へ残すと。残念ながら創価の中には日興上人のごとき正義の人はいない。大作の己義を正して戸田会長を顕彰する人間がいない。もちろんそれは大作がそのような人間を組織から排除したからなのだがやがてそのツケが回って来るだろうと思う。

いま戸田会長の正義を主張し戸田会長の跡を破壊する者どもを破折し後代に残そうとしているのは現役の学会員ではなく正宗の僧俗なのである。五老僧の末裔だけになった創価がやがて消滅しても戸田会長の功績は正宗僧俗の中で生き続けるだろう。なんとも皮肉なことだ。


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