創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

創価教学じゃない御書講義(30年4月座談会御書・如説修行抄)

天台云く「法華折伏破権門理」とまことに故あるかな、

然るに摂受たる四安楽の修行を今の時行ずるならば

冬種子を下して春菓を求る者にあらずや、

鷄の暁に鳴くは用なり宵に鳴くは物怪なり

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今月の座談会御書は「如説修行抄」だね。

毎回「自虐ネタ」のように座談会で御書講義なんてしなくていいのにって思うけど

一応、「御書根本」と謳っている手前やらなきゃいけないのかな?

さて、今回の「如説修行抄」も創価時代に何十回も講義した御書で

題号の「如説修行」を理解すればOK。

「如説修行」とは何か?それを念頭に本文を読んでいくべき御書です。

題号の講義だけでほぼ完了してしまう御書という事です。

「如説修行」については色々と講義はできるけど、

まずは基本として、「如説修行」には以下の三義があります。

1、人法相対 2.師弟相対 3.自行化他  です。

「如説」は「法」で、「修行」は「人」・・・人法相対

「如説」は「師」で、「修行」は「弟子」・・・師弟相対

「如説」は「化他」で、「修行」は「自行」・・・自行化他

そしてまた、この題号には三大秘法があります。

「如説」は本門本尊で、修行は本門題目。如説修行の所は本門戒壇。という感じです。

ここからまた話は膨らむのですが今回の御文に必要なところを説明すると

人法相対の義でいうと如説は「法」だけど、これを開くと「如説」にまた人法があります。

「如」は如来で仏故に「人」であり「色法」。「説」は言葉ですから「法」であり「心法」

更には「説」の一字にも、「能説の法」と「所説の人」の人法があります。

これを「本門本尊」というわけです。

つまり、「如説」とは人法一箇。ご本仏の色心二法の大御本尊の事で、

その大御本尊を信じて題目を唱える所を「修行」とするわけです。

それが大聖人仏法の如説修行の根本です。

次に「修行」とは自行化他を指します。

「修」は修める故に「自行」であり、「行」は行動故に「化他行」とこうなるわけです。

如説(化他)に対すれば、修行は自行なんだけどその修行の中にまた自行化他を含むわけで

そのココロは、「如説のごとぐ修行する」ということですね。自行即化他という事です。

「如説のごとく修行する」というのも色々な解釈ができるんだけど

今回の御書に即して言えば

◆所詮仏法を修行せんには人の言を用う可らず只仰いで仏の金言をまほるべきなり

といことです。

「仏の金言を守る」とは一つに「御書」に説かれる法門法義を守るということなんだけど

もう一つ「仏の金言」=「如説」=一大秘法の大御本尊であるから

「大御本尊」を仰いで守る。という意味もあるわけです。(ハイ、ここテストに出すよ)

以上のことから結論すると、

大作センセの指導を守っても、創価のカラーコピー掛け軸に祈っても

「大作センセ」も「カラーコピー掛け軸」も、「如説」(仏の金言)ではないから如説修行にならない。ということ。

もちろん「如説修行」といのは総じては内外にも通じるから「外道の如説修行」にはなるけど

その「外道」「権門」を破折しているのが、今回拝読の「法華折伏破権門理」と言葉だね。

今回の拝読箇所は、摂受・折伏の摂折二門の内、折伏がメインであることを言われているところだね。

◆仏法は摂受折伏時によるべし(佐渡御書)

とあるように「時」に適った修行は折伏であるということ。

◆無智悪人の国土に充満の時は摂受を前とす安楽行品のごとし、邪智謗法の者の多き時は折伏を前とす常不軽品のごとし(開目抄下)

◆然るに今世は摂受の時か折伏の時か先づ是を知るべし摂受の行は此の国に法華一純に弘まりて邪法邪師一人もなしといはん、此の時は山林に交つて観法を修し五種六種乃至十種等を行ずべきなり、折伏の時はかくの如くならず経教のおきて蘭菊に諸宗のおぎろ誉れを擅にし邪正肩を並べ大小先を争はん時は万事を閣いて謗法を責むべし是れ折伏の修行なり、此の旨を知らずして摂折途に違はば得道は思もよらず悪道に堕つべしと云う(聖愚問答抄)

とあるように「末法」のこの時は法華一純に広まっておらず邪智謗法の者が多いので折伏でなんだね。

またそもそも大聖人仏法は下種仏法であるから「折伏」が本になるんだよ。

◆下種摂折二門の本迹 日蓮折伏を本とし摂受を迹と定む法華折伏破権門理とは是なり。(百六箇抄)

もちろん、

◆何ぞ必ずしも折伏の時摂受の行を修すべけんや、但し四悉の廃立二門の取捨宜く時機を守るべし敢て偏執すること勿れ云云。(五人所破抄)

とあるように、四悉を心がけることも大切だけど、基本は折伏だよ。

学会員さんでも、無智の人と邪智の人がいる。

無智のひとには為人悉檀。邪智には対治悉檀。といった感じ大切かな。

もちろん変えていけないのは第一義悉檀。大御本尊はご本仏である。ということだよ。

さて、今回の御文を創価活動家が学んでどうすんでしょう?

この御書には

◆権門をかつぱと破りかしこへおしかけここへおしよせ

と書いてあるけど、

街角で会えば逃げ隠れしてしまい

このブログに来ては罵詈雑言の書き逃げしかできない

物怪学会活動家に「折伏」なんてできないでしょ?

え?三類の強敵?

出るわけないでしょ。外道の如説修行にそんなもん(笑)

だからとっとと「日顕宗」とやらを破折してみなさいな。

「カラーコピー掛け軸」や「創価学会仏」の正義を語ってみなさい。

それも、できないで陰でコソコソとくっだらないブログ書いたり

「あいつから連絡が来ても無視しろ」といったり

物怪創価の会員さんはお気の毒ですね。


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